夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

墨梅図 平野五岳筆

2013-05-25 09:19:19 | 掛け軸
海外出張から休む間もなく食事会やら国内出張、そして休日は宴会としばしブログの原稿を纏める時間どころか体を休める時間がない・・。

書き溜めてあった原稿をそのまま投稿します

本作品は平野五岳が絶頂期ともいうべき68歳の作品です。

「詩をたくさん依頼されるのだが、なかなか思うように製作がはかどらないようである。月日ばかりが過ぎるのが早い。」と詩に詠んでいる。

このような詩を依頼している御仁に返すのを想像すると、これまた面白い。文人のご愛嬌というものでしょうか。昔の知識人は粋なものです。

墨梅図 平野五岳筆
紙本水墨軸装 軸先塗 合箱
全体サイズ:縦1975*横570 画サイズ:縦1420*横440



 賛は「遊印 暗香浮月影横射 想得孤山儒士家 詩債幾多償未了 一年究易又梅花 丁丑子春日作午古竹園 岳」とあり、明治10年(1877年)の作で平野五岳が68歳の作品であることが推察される。



意味は「暗いながら(梅の)香りがし月影(光)が横から射す 独り山に儒士の家を得たと想う 詩を幾つをも頼まれ未だ終えてはいない 一年は過ぎるのは早くまた梅の花が咲いている」(独解)





平野五岳:1809(文化6)年~1893(明治26)年 豊後国日田郡幕府領渡里村(現日田市)生まれ。江戸時代後期の画僧。名は岳、字は五岳。号に竹邨方外史、古竹園主、古竹老衲など。正念寺に生まれ、のち、専念寺の養子となり同寺を継ぐ。11歳の頃から儒学者広瀬淡窓に学び、淡窓の私塾咸宜園の人々と交友する。




本格的に画作に取り組み始めた30歳代の頃は、田能村竹田の画に学び描いていたが、50歳代に入った幕末頃より独自の画風を確立していく。実際の景色を描くのではなく省略化された画面は前衛的でもある。明治初年、日田県知事となった松方正義は五岳の書画を高く評価し、それによって中央でも知られるようになった。文人のたしなみである三絶(詩、書、画)に通じ、高い評価を受けている人物である。






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