本日は寺崎廣業が明治40年頃に描いた「帰雁図」の作品の紹介です。当方の所蔵作品に同時期に同じような構図にて描いた作品があり、非常に興味深い作品となっています。
秋景帰雁之図 寺崎廣業筆 明治40年(1907年)頃 その120
鑑定書添(二松堂)大正7年 絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙加工 合箱
全体サイズ:縦2220*横545 画サイズ:縦1200*横400
鑑定書に記載された「本郷 二松堂」についての詳細は不明です。
この鑑定書によると大正7年10月1日に(寺崎)廣陵?(業)から真筆の鑑定を受けたとのこと。この廣陵たる記載が寺崎廣業と同一人物かどうかも含めて詳細は不明ですし、「二松堂」なる詳細も解っていません。
*ただし森廣陵という群馬出身の寺崎廣業の門人の画家がいるようです。おそらくこの画家が鑑定書に記載のある人物なのでしょう。
寺崎廣業はこの頃、1917年(大正6年)6月11日には帝室技芸員を命ぜられ、芸術家として斯界の最上段に立つようになった時、病気になっています。そしてその病気により寺崎廣業は1919年(大正8年)2月、54歳にて亡くなっています。
上記写真の作品中の落款と印章は全く違和感がなく、真筆に相違ないでしょう。このような作品は見上げるように鑑賞するのがいいようです。
上記写真のように多少の折れがありますが、改装するほどではないようです。表具はいい材料を使っており、良い状態のままです。
寺崎廣業は大正期には山岳を描いてさらに名を成しますが、その兆候が見られる作品のひとつですね。
靄に霞んだような描き方が当時流行の朦朧体に共通したところがあります。
寺崎廣業の明治期の作品はこの頃より多作となり、駄作が多く存在します。これは著名になるにつけ、依頼される作品が多くなったことと、生活が派手になったことに起因するものでしょう。
ともかく蒐集にあたっては寺崎廣業の作品は厳選して作品を選ぶ必要があります。
冒頭に述べた同時期に描いた同じ題材の似たような構図の作品は当方の所蔵作品の作品です。
懸崖雁行之図 寺崎廣業筆 その44
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙加工 合箱
全体サイズ:縦2010*横550 画サイズ:縦1060*横410
並べて鑑賞すると面白いですね。
上記は展示室に飾った状態です。
ところで2メートルを超える掛け軸の作品を飾るには現在の住宅の階高では天井がないようにした高さが必要なのでしょう。床の間だけ天井を高くするという工夫もあります。
そのような高さのある所に飾る際には脚立に乗リますので、危ないので近くに床柱や梁といった掴まるものが以外に役に立ちます。当方の展示室は天井を造らずに梁を露わにして、掴めるようにしています。ともかく高齢になると高いところは危ない・・・。