夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

淡路珉平焼 白釉陽刻花草文図角小皿 五客揃

2023-12-09 00:01:00 | 陶磁器
現在、珉平焼を中心とした豆皿が人気らしい。時代のある割には廉価なこと、色彩が豊富にあること、陽刻、陰刻などの紋様が多種多様なことが人気の要因のようです。

淡路珉平焼 白釉陽刻花草文図角小皿 五客揃
一枚欠損補修有 誂箱
辺88~90*高台45角*高さ15


淡路珉平焼はテレビなどでも紹介されることが多くなったようです。



珉平焼は、現在の兵庫県南淡伊賀野において賀集珉平が文政年間(1818-30)に開窯した陶器窯。このため地名をとった伊賀焼や淡路焼などの別名もあるようです。



珉平は、京焼の名エ尾形周平から陶技を学んだ後、淡路の池之内村(現・洲本市)において良質の白土を用いて、本格的な作陶に取り組んでいます。後に周平を淡路に招き釉薬調合の秘伝を伝授されるなど1年6ヶ月に及ぶ本格的な指導を受けており、仁清写、道八写など多くの名品を残しています。

天保10年(1839)には阿波藩の御用を務め「御用御陶師」を称することを許されており、藩主が珉平窯に御成になったり、珉平が江戸藩邸に出仕したりしました。

 京焼風の作域の他、黄南京、緑釉、柿釉など華麗な作品に優れたものが多く知られ、大坂に販売所を構えて全国に販路を拡大するなど、大きく発展しており、多い年は年間銀400貫の売上があったそうです。一時は海外にも輸出され、今でも骨董ファンから根強い人気がある陶器で、淡路焼と呼ばれることもあるそうです。 



しかし明治4年(1871)に珉平が没した後は、長男力太が継いだものの振るわず衰退していました。

明治16年(1883)淡陶社(だんとうしゃ)として再出発し、タイル生産を開始しています。 この淡陶社製タイルは、当館特別企画展「ゴッドフリート・ワグネルと万国博覧会」においても紹介されました。同26年淡陶株式会社となり、現在のダントー株式会社に引き継がれています。 



近年、珉平焼窯跡に隣接して実施される広域農団地農道整備事業(通称・オニオンロード)のため発掘調査が行われ、近代のコーカシ窯や作業場などの遺構が検出されました。コーカシ窯は、焼成に使用する薪を乾燥させるためのものとされ、文献資料に知られるだけで、初めて実物が確認された貴重な例のため、移転保存されることとなり、兵庫県教育委員会において出土資料が整理されています。

*当方では蒐集対象とはなっていない珉平焼ですが、使い勝手が良さそうなので購入した作品です。














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