夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

山水図 狩野養信筆 その3

2013-06-29 06:15:20 | 日本画
ブログのアクセス件数は一日に250件、土日になると若干減少するようです。300人のアクセスにならないかと頑張っていますが、なかなか面白い話題、気の利いた文章になりません


一昨日は取引先の銀行の方と投資についての雑談をしました。やはりこれからは定期預金などの預金よりも、日本人は投資というものを覚えていかなくてはならないという話になりました。少額の投資の税制優遇も微々たるものながら、政府の方針も見え隠れしています。円への不安もあり、外貨へのリスク分散など自分で運用を考える時代のようです。

さて。一昨日は同僚と麻雀、昨日は会社に近いところからの元同僚からの麻雀の誘い、久方ぶりに赤坂で二晩続けて麻雀でワイワイガヤガヤ。続くときには続くものです。

さて、本日はまくりの作品です。週末には神田あたりでいい額がないか探して回ろうかと思います。

狩野派の作品ほどピンからきりまである作品群も珍しいものですが、最近はいいものが少なくなってきました。やはり限りのある作品群ですから、だんだん少なくなってきたのでしょう。

山水図 狩野養信筆
紙本水墨
画サイズ:縦380*横595



晴川院法印筆」とあり、法印と署していることから1834年以降の作品と思われます。



落款は文献と非常に近似しており、真作と思われますが印章の確認を要します。




狩野養信(かのうおさのぶ):寛政8年7月26日(1796年8月18日)~弘化3年5月19日(1846年6月12日))。江戸時代後期の木挽町家狩野派9代目の絵師。文化10年(1813年)まで、その名「養信」は「たけのぶ」と読む。号は晴川院、会心斎、玉川。

多作で狩野派最後の名手と言われています。


伊川院栄信の長男として江戸で生まれ、文政2年(1819年)に法眼になり、文政11年(1828年)には父の死を受けて家督を相続し、天保5年(1834年)、法印に叙せられています。


弟子に明治期の日本画家である狩野芳崖と橋本雅邦がいます。

芳崖と雅邦は同日の入門であり、実質の師匠は養信の子・雅信であったと考えられています。

このような渋い作品を渋い?額に入れてどこに飾ろうかな? トイレ??? む~、真贋を別としてこういうのが骨董では愉しいのです





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