今回の帰京で男の隠れ家から漆器を取り出し、一部を手入れしてきました。写真にあるのは「10人揃い丸型弁当」? 当家で昔からありますが、蕎麦の器のように推察していますが、用途の詳細についてはよくわかりません。
丸型の一体となっており、蕎麦碗なら、蓋をとると薬味入れ? その下が蕎麦入れ、そして一番下が汁碗になっているのでしょう。たしかに弁当箱にもなりそうです。
作品自体は塗りも厚く、精度もぴったりでよく出来ています。全体の保存箱も五客ずついれるようになっており、取り出しやすいようになっています。材料になっている秋田杉の柾目が見事で、この保存箱は材木業を営んでいた当家で作ったものと想像されます。杉の柾目や板目にこだわる御仁が少ない昨今ですが、この辺は以前は大いにこだわりのポイントでした。
手馴れた保存箱ではありませんが、保存箱も含めて職人技のあるなんとも粋な器です。使ってみたいと思いませんか? 今は無用の長物・・。郷里に落ち着いてのんびりしたら友人らと一献傾けながら使ってみたいです。。
息子もお手入れのお手伝いです。まだ2歳半ですが、こういうことはもっと小さな頃から手伝ってくれますが、好きなのかな?
本日の作品は久方ぶりに天龍道人の作品の投稿です。天龍道人の作品は贋作は多々ありますが、本物は市場に出なくなりました。以前は廉価でかなり出回り、かなり集まったのですが、いったいどうしたのでしょうかね?
今回は以前に投稿した「葡萄図-17 天龍道人筆 その28」と本日の投稿となる「葡萄図-18 天龍道人筆 その29」の二作品の比較です。
葡萄図-17 天龍道人筆 その28
紙本水墨軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦2030*横700 画サイズ:縦1350*横510
葡萄の画家と言われた天龍道人の作品です。「鵞湖王瑾筆」とあり、鵞湖というのは「諏訪」の別称で、天龍道人が 61 歳で下諏訪に家屋敷を購入したと年譜にあり、それ以降の作品に姓の「王」と名の「瑾」を合わせて。「鵞湖王瑾」という組み合わせの署名がみられます。
「天龍道人」という署名 というは、70 歳頃からのようです。印章には「天龍」と「王瑾」の白文朱方印が押印されています。
本作品の「鵞湖王瑾筆」という書体の署名は70歳になる前の作品に見られ、晩年の独自の作に比べると若さが見られます。
流れるような描きっぷりはみずみずしさで溢れています。
淡彩筆力が流れるが如く、この時代の代表作でしょう。
二作品目は枯淡の域の作と言われている85歳の作品です。
葡萄図-18 天龍道人筆 その29
紙本水墨軸装 軸先木製塗 合箱
全体サイズ:縦1340*横664 画サイズ:縦345*横560
賛には「蕉鹿院法印天龍公瑜写寫 子時年八十有五歳」とあり、85歳時の作と推察されます。印章には「天龍」と「公瑜」の白文朱方印と朱文白方印が押印されており、左下には「□□□□」の印が押印されている。
興味深いのは画位である法印を天龍道人が賛に用いているかどうかで、今までの作品ではない記述です。
「□□院法印」のように「法印」と名乗っていたとすると新たな発見となります。
天龍道人の作品に長条幅の作品が多い中で本作品のように横に長い作品というのも特異です。
上記の作品がみずみずしいのに比較して85歳頃の作品は枯淡の域を示していると評されています。
よく観ると実に巧い。
天龍道人の「葡萄図」はもっと評価を受けていい画家ですね。
軸先は陶磁器のようです。
「□康院法印天龍□□写寫 子時年八十有五歳」・・資料などの年表では85歳とされるのは享和2年(1802年)ですが、「子時」と記述されているところから文化元年(1804年)の作と推察されます。実際の年齢と2年ほどのズレがあるようです。
みずみずしい作品と枯淡の作を比してみましたが、解りましたか? ま~、解りにくいでしょうね、「みずみずしい作品と枯淡の作」とかはマニアックな人の評だと思います。小生は正直なところたいした違いはないと思っています
漆器のようなもの、年季の入った漆器は、磨くと新たなみずみずしさをたたえますが、どこかに古さを感じさせる渋みが出てきます。これも永年、漆器を手入れしてきた人にしか解らないものかもしれません。
丸型の一体となっており、蕎麦碗なら、蓋をとると薬味入れ? その下が蕎麦入れ、そして一番下が汁碗になっているのでしょう。たしかに弁当箱にもなりそうです。
作品自体は塗りも厚く、精度もぴったりでよく出来ています。全体の保存箱も五客ずついれるようになっており、取り出しやすいようになっています。材料になっている秋田杉の柾目が見事で、この保存箱は材木業を営んでいた当家で作ったものと想像されます。杉の柾目や板目にこだわる御仁が少ない昨今ですが、この辺は以前は大いにこだわりのポイントでした。
手馴れた保存箱ではありませんが、保存箱も含めて職人技のあるなんとも粋な器です。使ってみたいと思いませんか? 今は無用の長物・・。郷里に落ち着いてのんびりしたら友人らと一献傾けながら使ってみたいです。。
息子もお手入れのお手伝いです。まだ2歳半ですが、こういうことはもっと小さな頃から手伝ってくれますが、好きなのかな?
本日の作品は久方ぶりに天龍道人の作品の投稿です。天龍道人の作品は贋作は多々ありますが、本物は市場に出なくなりました。以前は廉価でかなり出回り、かなり集まったのですが、いったいどうしたのでしょうかね?
今回は以前に投稿した「葡萄図-17 天龍道人筆 その28」と本日の投稿となる「葡萄図-18 天龍道人筆 その29」の二作品の比較です。
葡萄図-17 天龍道人筆 その28
紙本水墨軸装 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦2030*横700 画サイズ:縦1350*横510
葡萄の画家と言われた天龍道人の作品です。「鵞湖王瑾筆」とあり、鵞湖というのは「諏訪」の別称で、天龍道人が 61 歳で下諏訪に家屋敷を購入したと年譜にあり、それ以降の作品に姓の「王」と名の「瑾」を合わせて。「鵞湖王瑾」という組み合わせの署名がみられます。
「天龍道人」という署名 というは、70 歳頃からのようです。印章には「天龍」と「王瑾」の白文朱方印が押印されています。
本作品の「鵞湖王瑾筆」という書体の署名は70歳になる前の作品に見られ、晩年の独自の作に比べると若さが見られます。
流れるような描きっぷりはみずみずしさで溢れています。
淡彩筆力が流れるが如く、この時代の代表作でしょう。
二作品目は枯淡の域の作と言われている85歳の作品です。
葡萄図-18 天龍道人筆 その29
紙本水墨軸装 軸先木製塗 合箱
全体サイズ:縦1340*横664 画サイズ:縦345*横560
賛には「蕉鹿院法印天龍公瑜写寫 子時年八十有五歳」とあり、85歳時の作と推察されます。印章には「天龍」と「公瑜」の白文朱方印と朱文白方印が押印されており、左下には「□□□□」の印が押印されている。
興味深いのは画位である法印を天龍道人が賛に用いているかどうかで、今までの作品ではない記述です。
「□□院法印」のように「法印」と名乗っていたとすると新たな発見となります。
天龍道人の作品に長条幅の作品が多い中で本作品のように横に長い作品というのも特異です。
上記の作品がみずみずしいのに比較して85歳頃の作品は枯淡の域を示していると評されています。
よく観ると実に巧い。
天龍道人の「葡萄図」はもっと評価を受けていい画家ですね。
軸先は陶磁器のようです。
「□康院法印天龍□□写寫 子時年八十有五歳」・・資料などの年表では85歳とされるのは享和2年(1802年)ですが、「子時」と記述されているところから文化元年(1804年)の作と推察されます。実際の年齢と2年ほどのズレがあるようです。
みずみずしい作品と枯淡の作を比してみましたが、解りましたか? ま~、解りにくいでしょうね、「みずみずしい作品と枯淡の作」とかはマニアックな人の評だと思います。小生は正直なところたいした違いはないと思っています
漆器のようなもの、年季の入った漆器は、磨くと新たなみずみずしさをたたえますが、どこかに古さを感じさせる渋みが出てきます。これも永年、漆器を手入れしてきた人にしか解らないものかもしれません。