今回の帰郷でも刀剣を数振りほど手入れのために帰京に際して持って帰りました。さて、手入れする価値がありや否やはあろうかと。その点をプロの意見を聞いてみたいと思います。
さて鍔の整理はそろそろ大詰め・・、頑固な赤錆は徐々にとれてきてはいますが、まだまだです。
鍔については郷里でも蒐集家にいい作品を見せてもらいました。多くの蒐集家の蒐集の対象は細かい細工の施されたものが多いようですが、小生は無骨な、飾り気の少ない鍔が好みです。
さて郷里出身、もしくは郷土に縁の深いの画家で、本ブログにたびたび紹介されている作品に福田豊四郎、寺崎廣業、平福父子、倉田松濤、蓑虫山人の作品があります。とくに福田豊四郎は父と友人ということもあり、当方には大作はありませんが、福田豊四郎の作品蒐集は小生のライフワークのようになっています。
今回の帰郷で福田豊四郎の22歳の頃、修行時代の作品を入手することができましたので紹介します。
菊 福田豊四郎筆
紙本水墨淡彩 軸先 共箱
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦*横
今回の帰郷で入手した作品のひとつです。福田豊四郎の入手ではなじみの骨董店からの購入です。今回は色紙「残雪の社」、額装「対岸の村」と共に3点購入しました。
作品の落款には「大正丙寅秋日 平安画人」とあり、大正15年(1926年)福田豊四郎が22歳の時に京都で描いた作品と推察されます。
福田豊四郎は大正8年、小坂町立小坂高等科を卒業し、画家を志して京都に出、鹿子木孟郎の塾に入りましたが、間もなく親の反対で一旦帰帰郷しています。。
大正11年再び上京し、川端竜子に師事、さらに翌12年京都に戻り、土田麦僊に師事し、この頃から豊四郎の号を用いています。
大正14年京都絵画専門学校に入学、昭和3年同校選科を卒業。同年の秋、上京して旧師川端竜子に師事しています。よって本作品は京都絵画専門学校に在席し、土田麦僊に師事していた頃の作であろうと思われます。
非常の初期の頃の作品で遺っている作品が少ないと思われます。骨董店の店主もこの頃の印章は知れていないとのことで、資料的な価値が高いと推察されます。
京都に在住しており、遠い東北出身ということで「奥州」や「陸奥」という印章を使用したようです。ちなみに土田麦僊は新潟の佐渡出身です。
この当時の作品で共箱である点も貴重です。
作品としては未熟で、見るべきところは少ない作品ですが、初期の作品を蒐集することは次の作品蒐集につながることも多く、蒐集する側にも非常に貴重な作品です。
ネットオークションなどにはほとんど真作の出品のない福田豊四郎の作品ですが、郷里にはファンもいて、数多く作品が遺っています。今回の帰郷でも蒐集家から良き作品をいくつか見せていただきました。
生意気なようですが、美術品の詳細な点は美術館でいくら見ても身につくものではありません。実際に手にとって共箱、箱書き、軸装、絵の筆致などを見せてもらうことから知識が始まります。これは絵も陶磁器も同じようです。理屈や写真では説明に限界がありますが・・・。そうそう鍔や弁当箱も同じかも、そして仕事の然り。
さて鍔の整理はそろそろ大詰め・・、頑固な赤錆は徐々にとれてきてはいますが、まだまだです。
鍔については郷里でも蒐集家にいい作品を見せてもらいました。多くの蒐集家の蒐集の対象は細かい細工の施されたものが多いようですが、小生は無骨な、飾り気の少ない鍔が好みです。
さて郷里出身、もしくは郷土に縁の深いの画家で、本ブログにたびたび紹介されている作品に福田豊四郎、寺崎廣業、平福父子、倉田松濤、蓑虫山人の作品があります。とくに福田豊四郎は父と友人ということもあり、当方には大作はありませんが、福田豊四郎の作品蒐集は小生のライフワークのようになっています。
今回の帰郷で福田豊四郎の22歳の頃、修行時代の作品を入手することができましたので紹介します。
菊 福田豊四郎筆
紙本水墨淡彩 軸先 共箱
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦*横
今回の帰郷で入手した作品のひとつです。福田豊四郎の入手ではなじみの骨董店からの購入です。今回は色紙「残雪の社」、額装「対岸の村」と共に3点購入しました。
作品の落款には「大正丙寅秋日 平安画人」とあり、大正15年(1926年)福田豊四郎が22歳の時に京都で描いた作品と推察されます。
福田豊四郎は大正8年、小坂町立小坂高等科を卒業し、画家を志して京都に出、鹿子木孟郎の塾に入りましたが、間もなく親の反対で一旦帰帰郷しています。。
大正11年再び上京し、川端竜子に師事、さらに翌12年京都に戻り、土田麦僊に師事し、この頃から豊四郎の号を用いています。
大正14年京都絵画専門学校に入学、昭和3年同校選科を卒業。同年の秋、上京して旧師川端竜子に師事しています。よって本作品は京都絵画専門学校に在席し、土田麦僊に師事していた頃の作であろうと思われます。
非常の初期の頃の作品で遺っている作品が少ないと思われます。骨董店の店主もこの頃の印章は知れていないとのことで、資料的な価値が高いと推察されます。
京都に在住しており、遠い東北出身ということで「奥州」や「陸奥」という印章を使用したようです。ちなみに土田麦僊は新潟の佐渡出身です。
この当時の作品で共箱である点も貴重です。
作品としては未熟で、見るべきところは少ない作品ですが、初期の作品を蒐集することは次の作品蒐集につながることも多く、蒐集する側にも非常に貴重な作品です。
ネットオークションなどにはほとんど真作の出品のない福田豊四郎の作品ですが、郷里にはファンもいて、数多く作品が遺っています。今回の帰郷でも蒐集家から良き作品をいくつか見せていただきました。
生意気なようですが、美術品の詳細な点は美術館でいくら見ても身につくものではありません。実際に手にとって共箱、箱書き、軸装、絵の筆致などを見せてもらうことから知識が始まります。これは絵も陶磁器も同じようです。理屈や写真では説明に限界がありますが・・・。そうそう鍔や弁当箱も同じかも、そして仕事の然り。