
年末は大掃除。水屋もちょっとだけ掃除・・。我が家の水屋は家内と相談して立って使えるようにしました。座っての作業は高齢化とともにしんどくなり、さらには将来、一般的な流しにも使えるようにとの考えからです。

もともと祖母の部屋であり、押し入れのような収納スペースたったので扉が付いています。これは便利です。

さて本日は福田豊四郎と並んで我が郷里を代表する画家である伊勢正義の作品の紹介です。福田豊四郎は日本画家ですが、伊勢正義は洋画家です。ただ伊勢正義には本ブログで紹介したように掛け軸の作品もあります。
本作品で当方で所蔵する伊勢正義の作品は20点を超えることになりました。
郷里の画家 白き鳥 伊勢正義画 1961年(昭和36年)作
油彩額装 左下サイン
画サイズF6号:横550*縦460 全体サイズ:縦320*横410

この作品は右下のサインから1961年(昭和36年)の作で、伊勢正義が54歳の時に描いた作品と断定されます。

多くの作品が本ブログにて紹介されています伊勢正義であり、繰り返しになりますが画歴は下記のとおりです。
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伊勢正義:(1907年~1985年) 昭和時代の洋画家。明治40年2月28日、秋田県鹿角郡(大館市白沢)に生まれる。
転勤の多かった父に伴い、各地を転々としたが、少年時代を秋田県小坂町で過ごした。当時の小坂町は鉱山の最盛期で、秋田県の北辺の土地でありながら、中央から直接文化が流れ込み、近代的・都会的な雰囲気が満ち溢れていた。演劇などの文化活動も盛んに行われ、芸術方面の関心が高い町だったと思われる。本ブログで数多くの索引が紹介されていている同時期に活躍した日本画家の福田豊四郎(1904年~1970年)も同郷である。
昭和6年東京美術学校西洋画科卒業。藤島武二に師事。同8年20回光風会展に「女性」他3点を出品しK夫人賞を受け、翌九年光風会会員となり、同年の15回帝展に「カルトン」が初入選する。同10年22回光風会展に「無花果のある静物」他2点を出品、最初の光風特賞を受賞した。同10年松田改組に伴う第二部会展に「集ひ」を出品し、特選、文化賞を受けたが、翌年同志と官展を離れ、同年猪熊弦一郎、小磯良平、佐藤敬らと新制作派協会(現新制作協会)を結成、第1回展に「バルコン」「キャバレー」を出品した。
同12年日動画廊で初の個展を開催。その後新制作協会の主要メンバーとして同協会展に制作発表を行い、晩年はアラブ、アフリカの生活を題材にした作品で知られていた。また、日本貝類学会会員、国際教育振興会理事でもあった。戦前の混乱期、また画壇の紛糾していた時代に製作活動を続けていた画家で、改めて見直すべき洋画家のひとりと言えるでしょう。昭和60年11月18日死去、享年78歳。
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父が生存中には福田豊四郎氏と交友があり、その関係からか伊勢正義の作品も数点、自宅に飾られていました。また「新制作派協会」発足記念の脇田和が描いた絵皿なども自宅にありました。

父が亡くなり、家業を継いだ母は、縁があって伊勢正義のアトリエを解体する仕事を請け負った際にそのアトリエから若い頃の作品が見つかっています。母は郷里の方と協議の上、その作品を譲り受け、現在母から当方で譲り受けています。

父はどちらかというと気前がいい方だったらしく、親戚の方に何点か所蔵作品を譲っており、親戚の家を訪問した際に、ときおり父から譲り受けたという作品を見せていただくことがあります。その中に伊勢正義の作品もありました。当時では日動画廊にて個展が開催されるなど人気の画家でしたが、今では知る人も少なく手頃な価格で入手できるので、いい作品が気軽に楽しめる画家のひとりでしょう。

ただ女性を描いた作品が人気ですが、今ではそのような作品は市場では少なくなっています。女性を描いた作品以外ではバラや静物画・風景画、そして人形などを描いた作品が多いですが、本日紹介する鳥などの動物を描いた作品は稀有でしょう。私が好きな作品のひとつになりそうです。

もともと祖母の部屋であり、押し入れのような収納スペースたったので扉が付いています。これは便利です。

さて本日は福田豊四郎と並んで我が郷里を代表する画家である伊勢正義の作品の紹介です。福田豊四郎は日本画家ですが、伊勢正義は洋画家です。ただ伊勢正義には本ブログで紹介したように掛け軸の作品もあります。
本作品で当方で所蔵する伊勢正義の作品は20点を超えることになりました。
郷里の画家 白き鳥 伊勢正義画 1961年(昭和36年)作
油彩額装 左下サイン
画サイズF6号:横550*縦460 全体サイズ:縦320*横410

この作品は右下のサインから1961年(昭和36年)の作で、伊勢正義が54歳の時に描いた作品と断定されます。

多くの作品が本ブログにて紹介されています伊勢正義であり、繰り返しになりますが画歴は下記のとおりです。
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伊勢正義:(1907年~1985年) 昭和時代の洋画家。明治40年2月28日、秋田県鹿角郡(大館市白沢)に生まれる。
転勤の多かった父に伴い、各地を転々としたが、少年時代を秋田県小坂町で過ごした。当時の小坂町は鉱山の最盛期で、秋田県の北辺の土地でありながら、中央から直接文化が流れ込み、近代的・都会的な雰囲気が満ち溢れていた。演劇などの文化活動も盛んに行われ、芸術方面の関心が高い町だったと思われる。本ブログで数多くの索引が紹介されていている同時期に活躍した日本画家の福田豊四郎(1904年~1970年)も同郷である。
昭和6年東京美術学校西洋画科卒業。藤島武二に師事。同8年20回光風会展に「女性」他3点を出品しK夫人賞を受け、翌九年光風会会員となり、同年の15回帝展に「カルトン」が初入選する。同10年22回光風会展に「無花果のある静物」他2点を出品、最初の光風特賞を受賞した。同10年松田改組に伴う第二部会展に「集ひ」を出品し、特選、文化賞を受けたが、翌年同志と官展を離れ、同年猪熊弦一郎、小磯良平、佐藤敬らと新制作派協会(現新制作協会)を結成、第1回展に「バルコン」「キャバレー」を出品した。
同12年日動画廊で初の個展を開催。その後新制作協会の主要メンバーとして同協会展に制作発表を行い、晩年はアラブ、アフリカの生活を題材にした作品で知られていた。また、日本貝類学会会員、国際教育振興会理事でもあった。戦前の混乱期、また画壇の紛糾していた時代に製作活動を続けていた画家で、改めて見直すべき洋画家のひとりと言えるでしょう。昭和60年11月18日死去、享年78歳。
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父が生存中には福田豊四郎氏と交友があり、その関係からか伊勢正義の作品も数点、自宅に飾られていました。また「新制作派協会」発足記念の脇田和が描いた絵皿なども自宅にありました。

父が亡くなり、家業を継いだ母は、縁があって伊勢正義のアトリエを解体する仕事を請け負った際にそのアトリエから若い頃の作品が見つかっています。母は郷里の方と協議の上、その作品を譲り受け、現在母から当方で譲り受けています。

父はどちらかというと気前がいい方だったらしく、親戚の方に何点か所蔵作品を譲っており、親戚の家を訪問した際に、ときおり父から譲り受けたという作品を見せていただくことがあります。その中に伊勢正義の作品もありました。当時では日動画廊にて個展が開催されるなど人気の画家でしたが、今では知る人も少なく手頃な価格で入手できるので、いい作品が気軽に楽しめる画家のひとりでしょう。

ただ女性を描いた作品が人気ですが、今ではそのような作品は市場では少なくなっています。女性を描いた作品以外ではバラや静物画・風景画、そして人形などを描いた作品が多いですが、本日紹介する鳥などの動物を描いた作品は稀有でしょう。私が好きな作品のひとつになりそうです。