夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

2022年末 郷里の画家の作品 李朝壷ニ椿 伊藤弥太筆 & 十和田湖 小林喜代吉 など

2023-08-05 00:01:00 | 洋画
当方で所蔵する福田豊四郎の「鮎」の作品を原画とする漆盆があります。この作品は祖父が会社設立の50周年記念に際して作って関係者に配ったものですが、市場でときおり見かけた時には入手しています。父方と母方の2点と市場で見つけた2点で計4点を所蔵することになります。



この作品は残念ながら飾り紐が一部しかなく、改めて新調する必要がありそうです。



漆の表面は自分で磨き直しています。クレンザーとサラダオイルを混ぜて磨くと漆の表面は艶が蘇りますね。



小さな傷は消えますが、あまり強くは磨かないのがコツです。



原画となった作品は下記写真の右の作品ですが、この漆盆を製作した輪島の工房でこの原画を買い取りたいと申し出たこともあったと母から聞いています。

鮎 福田豊四郎筆
絹本着色軸装共箱二重箱軸先象牙
全体サイズ:横605*縦1450 画サイズ:横442*縦377



さて今年も夏には帰省しますが、帰省で入手する作品は郷里にまつわる作品ばかり・・。

本日紹介する作品も郷里出身の画家「伊藤弥太」と郷里に近い十和田湖を描き続けた画家「小林喜代吉」の作品の紹介です。



李朝壷ニ椿 伊藤弥太筆
油絵 額装 左下サイン(Y.ITO) 誂タトウ+黄袋 アクリル板
号 全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦*横
郷里の骨董店より2022年末に2万円にて購入



伊藤弥太:秋田県大館市比内生。1912年大館中学を中退し上京。1913年岸田劉生と出会う。14年巽画会に入選。15年草土社に出品。17年二科展に入選。1927年帝展に入選。29年槐樹社展で苅田奨励賞、1930年同展で田中奨励賞。32年里見勝蔵に師事、独立展に出品。38年里見と共に国画会展に移る。1964年国画会会員。69年秋田文化功労章。75年大館市で歿。享年83歳。1999年秋田県立近代美術館で遺作展。 



国画会会員の洋画家、伊藤弥太は、明治25年(1892)4月6日秋田県大館市に生まれ、秋田県立大館中学校を卒業後、明治44年(1911)に上京した。明治45年ころ友人らと美術雑誌『美の廃墟』を発行、6号までつづいたが、その後、岸田劉生に師事し、大正3年二科第1回展に入選、大正4年(1915)、現代の美術社主催第1回美術展(草土社第1回展にあたる)に「自画像」「風景1」「風景2」を出品した。劉生筆鉛筆デッサン「若き男の頭」(“Head of ayoung man, Riusei Kishida, 16th Feburuary 1915” の記入がある)のあることが知らされている。



このころ、家財道具一切を盗難にあい、それが原因となって岸田劉生とのあいだに誤解が生じ、絵画を放棄して静岡県三島市に隠棲しています。



昭和2年(1927)若山牧水らにうながされて再出発を決意し、上京、国分寺村に住み、同年の第8回帝展に「秋景」入選、翌3年9回帝展「山村風景」入選、同4年には千葉県に転居、さらに同5年には秋田市に転じ、同年11回帝展に「フォートイユによりて」を入選となった。

古い額はアクリルを入れ、裏板を直すなどの処置を施しておきました。

本ブログでは下記の作品が紹介されています。

十和田湖 その2 伊藤弥太筆
油絵 額装 左下サイン(Y.ITO) 誂タトウ+黄袋
P20号(変形小) 全体サイズ:縦660*横930 画サイズ:縦455*横730



昭和6年郷里の大館市に転じ、翌7年第2回独立美術展に「少女と金魚鉢」「室内裸婦(意匠風なる)」「窓に椅る人」入選、以後、3回展「紫姿」、4回展「肖像」「裸婦」、5回展「婦人像」、6回展「ピアノ」を出品入選となった。昭和14年(1939)からは国画会展に出品し、昭和33年32回展のとき会友、同39年に会員に推挙された。昭和44年(1969)秋田県文化功労賞をうけた。

十和田湖 その1 伊藤弥太筆
油絵 額装
8号 全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦*横(詳細は未測定)



また、昭和24,25年ころから水墨画を描きはじめ、昭和46年には『伊藤弥太郎水墨画集』が出版されている。

奥入瀬 伊藤弥太画
油絵 額装
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦*横


我が郷里にて洋画を描く画家として、いまひとり縁の深い画家がいます。小林喜代吉という画家です。本日紹介するふたつめの作品の紹介です。



今回の帰省で郷里の骨董店で1万円で購入した作品です。

十和田湖湖畔 小林喜代吉画
油彩額装 誂タトウ+黄袋
P1号 全体サイズ:横370*縦301 画サイズ:横225*縦150



師事した画家は「牧野虎雄」で、牧野虎雄は明治23年(1890年)12月15日 ~ 昭和21年(1946年)10月18日、 日本の洋画家です。

昭和7年(1932)槐樹社の解散後、岩井弥一郎、上野山清貢、小林喜代吉、鈴木金平等、旧槐樹社同人が発起人となり、牧野虎雄を盟主とし、その盟友、門下生を結集して「旺玄社」を組織、昭和8年3月、第1回展を東京府美術館で開催しています。

帝国美術院第10回(昭和4年)美術展覧会には小林喜代吉は「愛の郊外」という作品を出品しています。



小林喜代吉は森田村(もりたむら)の生まれで、青森県西津軽郡に位置する村である。2005年2月11日につがる市が発足するのに伴い廃止されています。縁が深いとされる秋田県小坂町の生まれではありません。



十和田湖の櫻花 小林喜代吉画
おとこの隠れ家旧蔵品 油彩額装 誂タトウ+黄袋
号 全体サイズ:横*縦 画サイズ:横*縦(詳細未測定)



亡くなった家内の実家のある作品。平成3年(1991年)台風第19号によって被害にあった実家を補修する際に義父から見せられたことがあり、その時は未額装か古びた額装であったように思います。その後、せっかくの作品だからということで当方にて額装に仕立てた作品ですが、現在は義妹が所蔵しています。2021年の仙台の地震で義妹が自宅に飾っていた作品が落下し、額が痛んだため改装しています。



郷里の画家、全国的にはマイナーな画家です。今回の帰省では他に「蓑虫山人」の作品を購入しました。

今年の夏にはすでに福田豊四郎の作品と蓑虫山人の作品の2作品が購入の打診がきています。郷里の縁の画家らの作品を維持管理していくのは郷里に生まれた者の宿命のようなもの・・・。













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