夜噺骨董談義

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壬寅初夏 月下吼虎之図 大橋翠石筆 明治35年(1902年) その15

2024-12-26 00:01:00 | 掛け軸
昨日はささやかな我が家のクリスマス・・。断線していた庭のイルミネーションを修復・・・・。



息子はサンタさんにイラスト入りのお手紙を書いていましたが、なんと気が早く「来年もよろしくお願いします。」だと・・・。



さて本日の作品紹介は大橋翠石の作品です。大橋翠石の作品では若い頃の明治期の作品が残存数が少ないようですが、逆に贋作が多いのはこの明治期の作のようです。大正期以降の作品は技量において円熟度を増し、簡単には模倣できないため、真贋の判別がたやすくなるのでしょう。本日紹介する作品はは贋作が多く存在する初期の頃である明治35年の作ですが、出来から真作と判断される作品だと思っています。



大橋翠石の作品は当方にて本作品で真贋含めて「その15」となりますが、まだ未熟ながら徐々に真贋の見極めができるようになってきました。

壬寅初夏 月下吼虎之図 大橋翠石筆 明治35年(1902年) その15
絹本水墨着色軸装 共箱二重箱  
全体サイズ:横670*縦1970 画サイズ:横540*縦1270
分類A.青年期から初期 :1910年(明治43年)夏まで  ~46歳

 

この作品の共箱裏には「壬寅初夏」とあり、明治35年の初夏、37歳の時の作と推定されます。



この時期の作品は背景や毛並みに描き方に特徴があるとされています。その特徴を列記する下記のようになりますが、これだけの説明ではなかなか見極めは難しい・・・。

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青年期から初期 
南画画法によって虎の縞で形を作り描いている。(輪郭線を描かない)毛書きは白黒で描かれているために全体には薄く白っぽく見える。背景がないという極端な説明もありますが、少ないという表現の方が適切でしょう。
 
同時期に描かれたと思われる作品が「なんでも鑑定団」に出品されています。

参考作品 その1 
2018年2月27日放送 評価金額:100万円



評:近代の虎画の名手、大橋翠石の本物。翠石自身の箱書きがあり、37歳の若描の作品とわかる。この前年にパリ万博で「猛虎図」を出しており、日本人で唯一、金杯という最高の賞を受けた。初期の作品は一切背景を描かない。黒と白の絵具を使って、縞模様で体のふくらみや体躯を表現している。中年になってくると金が入って全体的に黄色く、晩年になると赤が入って、背景も描き込みが多くなる。勇猛果敢な感じの迫力のある良い作品。

参考作品 その2 
2014年10月14日放送 評価金額:200万円

  

評:江戸時代から虎はよく応挙や岸駒が描いていたが、大橋翠石との大きな違いは目の大きさで、翠石は非常に写実的。それから毛を金泥を使って細かく緻密に描いている。紙の上に金泥を乗せているので厚みが生まれ、まるで触れるほどの毛並みを表現している。一般的には虎と言えば一緒に竹を描くものだが、翠石はほとんど竹を描かない。古いものと違うものを目指したのであろうが、ただ依頼品には葦が描かれている。線を勢いよく引き、滲みを入れるなど伝統的な日本画の手法を使って描いている。それに比べて非常に写実的に緻密に描かれた虎との対比によって臨場感・雰囲気を醸し出している。

*この作品は「参考作品 その1」より少し後の作と推定されます。

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本作品は初期から中間期にかけての作風となるのでしょう。どちらかと言えば初期の作ですが、背景として「月」や「葦」が描かれています。



落款変遷としては「点石翠石 」と称されるもので、「石」字の第四画上部に点が付されていますが、この落款は初期から1910年(明治43年)夏まで 続きます。



この頃は1895年(明治28年)4月から開催された第四回内国勧業博覧会に『虎図』を出展して褒状・銀牌を受賞しており、「虎の翠石」として最初の名声を得た時期で、翠石31歳の年でした。



1900年(明治33年)には、パリ万国博覧会で同時開催された美術展覧会に『猛虎図』を出展し、日本人でただ一人、最高賞である金牌に輝いています。その後に参加した国際博覧会でも「虎の翠石」の評価は高く、1904年開催のセントルイス万国博覧会と1910年日英博覧会でも、同時開催された美術展覧会に出展し、金牌を受賞しており、この作品はその翌年に描いたことになります。



初期の頃よりも中間期に近い作風です。中間期の特徴は主に下記のようなもののようです。

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中間期 
墨で縞を描くのは変わらないが、地肌に黄色と金で毛書きをし、腹の部分は胡粉で白い毛書きがされてる。全体には黄色っぽく見える。背景は少ない。 

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金はまだ使われていないものの、黄色は使われていますが、毛書きに使われていないということのようです。ただ「全体には黄色っぽく見える。」という表現ですね。



「翠石の虎」と一言で括られる翠石の虎の作品ですが、翠石はその長い画業において弛まぬ努力を続け、進歩を重ねています。このために、同じ虎を描いた作品であっても、その表現は製作時期が推移するにつれて激しく変化しています。


 
正確な分類の記述としては下記のものが適切でしょう。

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「分類A.青年期から初期 :1910年(明治43年)夏まで  ~46歳」とされる大橋翠石の明治時代作品においては、この時期には毛描きが白、黒、茶などでされ、毛書きの本数もかなり多く、黄色がかった体色で描かれた虎と、全面に地色を施し、やや描きこみの密度を増した背景が特徴です。

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落款では「生」の字を持たず(後日「生」を用います。)、「翠」、「石」の二字が鍵石という書体で、均等に記される款記などの特徴があります。

これらは翠石が自己の虎の作品の描法を確立し、活発に展覧会へ出品を行っていた明治30年(1897年)前後の作品にしばしばみられる特徴であり、既に翠石ならではの写実的な虎画の様式は確立されつつあるものの、その様式にはなお不安定さが見られるとされます。



この時期(明治40年頃)の共箱ならば、通常は大垣の文錦堂の表具がされますが、例外もあるようでその表具であるかどうかは不明です。

  

印章は下記の写真右の資料との比較をしています。大橋翠石の贋作は数が多く、落款と印章は良く真似ている作品が多いので、一概にこれが一致するからと安易に真作とは判断できない作品も数多くあります。

*本作品はこの印章を用いた早期の頃と推定されます。

 

出来からはこの作品は数が少ない明治期の真作と判断しています。

さて「分類A.青年期から初期 :1910年(明治43年)夏まで  ~46歳」に分類されると思われる作品を本ブログでも幾つか紹介していますが、主だった作品は下記の作品です。

正面之虎 大橋翠石筆 明治40年代(1907年)頃
絹本着色軸装収納箱二重箱 所蔵箱書 軸先本象牙 
全体サイズ:横552*縦2070 画サイズ:横410*縦1205
分類A.青年期から初期 :1910年(明治43年)夏まで  ~46歳



雪中一声 大橋翠石筆 明治31年(1898年)頃
絹本水墨淡彩軸装 共箱二重箱 三尾呉石鑑定箱 軸先本象牙 
全体サイズ:横650*縦1950 画サイズ:横495*縦1160
分類A.青年期から初期 :1910年(明治43年)夏まで  ~46歳



親子虎之図 大橋翠石筆 
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 玉置頼石鑑定箱 
全体サイズ:横650*縦2150 画サイズ:横510*縦1260
分類A.青年期から初期 :1910年(明治43年)夏まで  ~46歳




(月下)猛虎之図 大橋翠石筆 
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 共箱 
全体サイズ:横700*縦1920 画サイズ:横500*縦1230
分類A.青年期から初期 :1910年(明治43年)夏まで  ~46歳



月下猛虎図 伝大橋翠石筆 明治40年代(1907年)頃
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 誂箱 
全体サイズ:横635*縦1945 画サイズ:横510*縦1250
分類A.青年期から初期 :1910年(明治43年)夏まで  ~46歳



慎重を期しているので真贋の判断ついては「伝」の作品を2点含むものの、この時期にはいろんな表情、肢体の虎を描いていることが分かります。

日本画の蒐集する者としては、大橋翠石の作品はともかく1点は所持したい作品ですね。



本作品は真作と判断し、状態の悪い表具を改装しています。改装すると作品の良し悪しが一段と解かりやすくなりますが、逆に改装してみてががっかりする作品もありますね。

再表具(軸先共 添付軸先を使用)+ 二重箱の紙タトウ                          改装費用:¥37,000

 

晩年の頃の贋作は非常に難しいので、この初期の頃の贋作は数多くあり、インターネットオークションなどにおいても横行していますので要注意です。



ともかく顔の表情、毛並みの表現が秀でている作品であることがポイントかと・・・。



後足に至るまで丁寧に描かれていることなど鑑定のポイントは幾つかありますが、このような虎の写生的な作品は当時の弟子も含めて多くの画家が描いていたのでしょうから一概には解りかねるところもあります。



正直なところ大橋翠石の真作を求めるのは意外に難しい・・・。


























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