逆さに印章が押印されている伝広田多津筆の「鏡」という作品、真贋はどうあれ、飾るために額装にした作品。額はリサイクル・・。
鏡 伝広田多津筆
紙本着色軸装→額装に改装 2022年5月に額装→折れ補修のため同年7月に裏打ち直し
全体サイズ:縦1890*横647 画サイズ:縦875*横537
折れは神田の草土舎で裏打ちをし直して直しています。マット類は世界堂で・・。
さてここ最近、平福百穂の作品が数点当方にて入手できています。おかげさまで小作品ですが、筋の良さそうな作品ばかり入手できています。
秋山飛泉 平福百穂筆 昭和5年頃 絹本水墨軸装
軸先象牙 舟山三郎鑑定箱
全体サイズ:縦1340*横670 画サイズ:縦320*横470
インターネットオークションに出品されている作品の多くは贋作や工藝作品ですので、平福父子の作品においては入手判断が難しいですね。
平福百穂のこのような作行は昭和になってからであろうと推測ができます。
印章の「平福百穂」(朱文白長方印)は珍しいものとなりますが、落款の書体や作品の出来に違和感はありません。平福百穂は昭和8年に急逝しましが、その直前くらいの晩年の作と推定されます。
この作品は舟山三郎の鑑定箱に収まっています。平福百穂の鑑定は所定鑑定人の長男であった平福一郎、孫にあたる中田百合、そして門人の舟山三郎、島田
柏樹、鳥谷幡山らがいます。
鑑定には鑑定書の場合と箱書の場合がありますが、当方の所蔵作品にも舟山三郎の鑑定書があり、この作品と書体を始めとして違和感はありません。
基本的に平福百穂の所定鑑定人は長男の平福一郎、その後に孫の中田百合となります。門下の舟山三郎、島田柏樹、鳥谷幡山らの鑑定もありますが、とくに舟山三郎の鑑定は真贋の程度に怪しさがあるとされています。鑑定書も鵜吞みにしてはいけないとされます。
ところで本作品には元の所有者や表具されたお店が解りそうな書付があります。これが問題であり、とくに「岫雲楼」という名前です。「岫雲楼 ▢野家蔵」・・・。
紙タトウには「岫雲楼 ▢野家蔵」とあり、この名前として今は廃業してしまい、建物も壊されている名旅館として国の登録有形文化財であった「神奈川県 湯河原温泉 岫雲楼 天野屋旅館」があります。
明治10年に創業し、伊藤博文などの著名人の定宿であったり、大正5年に夏目漱石の最後の作品『明暗』の一節に客室から見た景色が語られ、その夏目漱石がこの『明暗』を執筆していて亡くなり、未完に終わったことでも有名な旅館です。湯河原を代表する老舗旅館でしたが、2005年4月に閉館したあと、2012年にリゾートトラストが解体工事に着手したようです。
作風から平福百穂の昭和期になってからの晩年の作と推定されますが、平福百穂が昭和2年の8月23日~9月20日まで熱海の久邇宮別邸に滞在して襖絵を描いていた時期、昭和6年9月に御殿場から籠坂峠を越えて山中湖に遊んだ時期のいずれかの際に描いたかもしれません。
天野旅館が所蔵していた作品の可能性があります・・・・ 表具にある「大河原春風堂」については不明です。
骨董蒐集にはいろんな知見が必要、もしくは情報蒐集が伴うようですが、それがまた骨董蒐集の醍醐味なのでしょう。