ワイシャツのボタンがとれたので家内にボタン付けを頼んでおいたら、裁縫に興味にある5歳の息子がボタン付けをやりだしたようです。クマさんの人形にボタンを付けたり、ネクタイを作ったりする延長上のようですが、最近とみにモノづくりが盛んなようです。チョコレートを作ったり、セロテープをふんだんに使って色紙でおもちゃを作ったり・・・。
さて本日紹介する作品は海外で人気の福田古道人の作品です。以前に書の作品を本ブログで紹介した福田古道人の作品ですが、今回は山水画の紹介です。
戊寅山水図 福田古道人筆 その2
紙本水墨軸装 軸先木製塗 合箱
全体サイズ:縦2030*横400 画サイズ:縦1350*横250
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福田古道人:漢詩人・俳人・南画家。慶応元年(1865)、新宮藩与力、中村家の次男に生まれ、同藩士の福田家を継ぐ。和歌山県生。名は世耕、漢詩に静処、南画及び和歌に古道人と号した。福田古道人は和歌山県の熊野古道にちなんでつけた名前。俳号は把栗。
少年の頃、京都に上り、鈴木百年について絵を学ぶ。まもなく東京に出て、漢詩の塾を開いた。漢詩人として早くから名を成すが、正岡子規との交遊がはじまり、終生の知己とした。のち子規門に入って俳句をはじめ、特異な風格を示した。京都に住んだ。
*山形県寒河江市の古澤酒造株式会社での福田古道人の展覧会から
昭和10年5月頃、山形県に長く逗留して多くの絵や書を書き残している。山形県寒河江市近隣には、たくさん絵や書を残されているらしい。静処は、漢詩を最も得意とし、書・画・俳句・和歌の、いずれにも優れていた。渡瀬凌雲も漢詩を学んだ一人である。紀州のみならず、全国的に高く評価されている文人である。近代南画家の大家と言える。
*萬葉庵 コレクションより
アメリカで人気が高い。独特の色使いで、常識とは少し異なるが、それが非常に人気がある。昭和19年(1944)歿、80才。
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賛には「戊寅」とあり、昭和13年(1935年)、70歳の作と推定されます。昭和10年5月頃から山形県に長く逗留して多くの絵や書を書き残しており、山形県寒河江市近隣にはたくさん絵や書を残されているらしいのですが、その当時の作品かもしれませんね。
賛の漢詩部分は現時点で全く解読できいません
「遊印 雲中□□□ 道上□□前 □□□人□ □中□太□ 氏□耕□□ □臥子□非
雲□□□是 □□垸□□ □□□□□ □□□□□ □□□□□ 作□泰人
戊寅□□月□古道人 押印」
最近まで忘れ去られていて近年日本画で人気のある画家には楠瓊州、福田古道人らがいます。ともに近代における南画画家ですが、南画の人気の衰退と共に評価が低かった時代を過ごした不遇の画家といえるのでしょう。
「楠瓊州」の作品については本ブログでも下記の作品を紹介しています。
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楠瓊州:日本画家。広島県生。名は善二郎。田中柏陰の門下。京都に出て、服部五老・江上瓊山に師事し南画を学ぶ。富岡鉄斎・浦上玉堂を研鑽し、晩年梅原龍三郎や中川一政らの影響も受け、油彩や水彩、南画の融合を試みた。また詩書・篆刻・和歌も能くした。昭和31年(1956)歿、64才。
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とくに福田古道人はアメリカで人気が高く、本作品では見られませんが常識とは少し異なる独特の色使いが評価されているようです。
本作品は色遣いは通常ですが、それでもデフォルメされて描かた山水には独特の雰囲気があります。
本作品に押印されている印章や落款は下記のとおりです。
非常に愉しい作品です。海外で人気があるそうですが、日本で再評価されてよい画家ですね。
独創性のある作品が海外では評価されますが、息子にはその可能性があるや否や? 親ばかですが将来が楽しみです。
さて本日紹介する作品は海外で人気の福田古道人の作品です。以前に書の作品を本ブログで紹介した福田古道人の作品ですが、今回は山水画の紹介です。
戊寅山水図 福田古道人筆 その2
紙本水墨軸装 軸先木製塗 合箱
全体サイズ:縦2030*横400 画サイズ:縦1350*横250
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福田古道人:漢詩人・俳人・南画家。慶応元年(1865)、新宮藩与力、中村家の次男に生まれ、同藩士の福田家を継ぐ。和歌山県生。名は世耕、漢詩に静処、南画及び和歌に古道人と号した。福田古道人は和歌山県の熊野古道にちなんでつけた名前。俳号は把栗。
少年の頃、京都に上り、鈴木百年について絵を学ぶ。まもなく東京に出て、漢詩の塾を開いた。漢詩人として早くから名を成すが、正岡子規との交遊がはじまり、終生の知己とした。のち子規門に入って俳句をはじめ、特異な風格を示した。京都に住んだ。
*山形県寒河江市の古澤酒造株式会社での福田古道人の展覧会から
昭和10年5月頃、山形県に長く逗留して多くの絵や書を書き残している。山形県寒河江市近隣には、たくさん絵や書を残されているらしい。静処は、漢詩を最も得意とし、書・画・俳句・和歌の、いずれにも優れていた。渡瀬凌雲も漢詩を学んだ一人である。紀州のみならず、全国的に高く評価されている文人である。近代南画家の大家と言える。
*萬葉庵 コレクションより
アメリカで人気が高い。独特の色使いで、常識とは少し異なるが、それが非常に人気がある。昭和19年(1944)歿、80才。
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賛には「戊寅」とあり、昭和13年(1935年)、70歳の作と推定されます。昭和10年5月頃から山形県に長く逗留して多くの絵や書を書き残しており、山形県寒河江市近隣にはたくさん絵や書を残されているらしいのですが、その当時の作品かもしれませんね。
賛の漢詩部分は現時点で全く解読できいません
「遊印 雲中□□□ 道上□□前 □□□人□ □中□太□ 氏□耕□□ □臥子□非
雲□□□是 □□垸□□ □□□□□ □□□□□ □□□□□ 作□泰人
戊寅□□月□古道人 押印」
最近まで忘れ去られていて近年日本画で人気のある画家には楠瓊州、福田古道人らがいます。ともに近代における南画画家ですが、南画の人気の衰退と共に評価が低かった時代を過ごした不遇の画家といえるのでしょう。
「楠瓊州」の作品については本ブログでも下記の作品を紹介しています。
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楠瓊州:日本画家。広島県生。名は善二郎。田中柏陰の門下。京都に出て、服部五老・江上瓊山に師事し南画を学ぶ。富岡鉄斎・浦上玉堂を研鑽し、晩年梅原龍三郎や中川一政らの影響も受け、油彩や水彩、南画の融合を試みた。また詩書・篆刻・和歌も能くした。昭和31年(1956)歿、64才。
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とくに福田古道人はアメリカで人気が高く、本作品では見られませんが常識とは少し異なる独特の色使いが評価されているようです。
本作品は色遣いは通常ですが、それでもデフォルメされて描かた山水には独特の雰囲気があります。
本作品に押印されている印章や落款は下記のとおりです。
非常に愉しい作品です。海外で人気があるそうですが、日本で再評価されてよい画家ですね。
独創性のある作品が海外では評価されますが、息子にはその可能性があるや否や? 親ばかですが将来が楽しみです。