夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

秋海棠 清水比庵・三渓画賛

2016-09-17 00:01:00 | 掛け軸
休日には家族でお茶道具屋さんへ、抹茶とお菓子の振る舞い・・・。



息子が抹茶を飲む。「おいおい、小指を立てるなよ!」



「美味しいね~」だと・・、「おいおい、緑色のヒゲ!」



さて、秋の気配になってまいりました。秋風を浴びながら家内と高取焼の花生に「花はなにを生けようか?」、「秋海棠なんかがいいんじゃない?」、「どこに咲いているかな?」と会話。

ということで本日は「秋海棠」を描いた作品の紹介です。

秋海棠 清水比庵・三渓画賛
紙本水墨淡彩扇面軸装 軸先象牙 共箱タトウ 
全体サイズ:縦1150*横444 画サイズ:縦290*横424



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秋海棠:夏から初秋にかけて草丈 70cm 前後に生長し、扁心形で左右非対称の葉を互生させる。この葉は長さが 20cm 程度と大きい。葉にはシュウ酸が含まれる。花期は 8〜10月。

花期になると茎の頂点から花序を伸ばし、2〜3cm 程度の淡紅色の花を咲かせる。雌雄異花同株で、雄花は上方に正面に向いて開き、中央に黄色く球状に集まった雄蘂が目立ち、4枚の花弁のうち実は左右の小さな2枚が花弁で、上下の大きな花弁のように見える2枚は萼。雌花には下方に垂れ下がった状態で下方に向いて開き、中央の黄色い雌蕊は3つに分かれ先はらせん状になっている。雌花も雄花と同様の花を咲かせるが、三角錐状の子房を持ち小さな花弁が1枚だけのことが多い。花が終わると、こげ茶色がかり羽が 3枚ある楕円形の実を付ける。この種子のほか、開花後には葉腋に珠芽を付け、それでも殖える。実を付ける頃には地上部は枯れ、球根で越冬する。

花言葉は、自然を愛す、恋の悩み、片思い、未熟。「片思い」はハート形の葉の片方が大きくなるところからといわれる

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「片思い」はハート形の葉の片方が大きくなるところからといわれるか・・・、なるほど。



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清水比庵:(しみず ひあん)1883年(明治16年)2月8日 ~1975年(昭和50年)10月24日)は、日本の歌人、書家、画家、政治家。本名は清水秀(しみず ひで)。号は他に匕舟、比舟、比安。晩年は「今良寛」と呼ばれた。岡山県上房郡高梁町(現・高梁市弓之町)に生まれる。

高梁中学校(現・岡山県立高梁高等学校)、第六高等学校(現・岡山大学)を経て、1908年(明治41年)京都帝国大学(現・京都大学)法学部を卒業。司法官として神戸地方裁判所へ勤務。翌1909年に退官し、安田銀行に入行。1927年(昭和2年)に古河電気工業会社に勤務。翌1928年に日光精錬所に勤める。



処女歌集『夕暮』を「清水匕舟」の名で刊行する。1929年に歌誌『二荒』を創刊、主宰となる。1930年要請を受け栃木県上都賀郡日光町(現・日光市)の町長となり、日光の観光行政の基礎を作り上げた。1935年に、萩原朔太郎、岡本かの子、中河与一等を中禅寺湖畔に招き「慈悲心鳥を聴く会」を主催し、「歌人町長」と呼ばれた。この年、号を「比庵」に改める。

1939年に部下の不祥事により町長を引責辞任し千葉県市川市に移る。歌誌『二荒』が友誌の『下野短歌』に合併、その主宰となる。町長辞職後は和歌、書などの創作活動に専念する。戦後になると、1958年に日光市名誉市民となる。1966年宮中歌会始の召人となる。この時の御題は「声」であった。1968年に地方の歌誌であった『下野短歌』が全国的規模に発展し『窓日』と改称、その主宰となる。1971年に高梁市名誉市民となる。1975年に東京にて逝去。享年92。墓所は岡山県笠岡市の威徳寺。

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さて、清水比庵のこの賛、いまだに読めません。

「秋きぬて 涼をくれて ???」



清水比庵は4人兄弟の長兄。弟の郁は弁護士、浩は実業家、妹の章子は呉服屋に嫁いだが、浩は三渓の号で画を描きました。



比庵と三渓は川合玉堂の賛助を得た「野水会」で兄弟展を行い、のちに妹の章子も参加したそうです。

玉堂の死去により、「野水会」は終結しますが、比庵と三渓は、のちに奥村土牛、小倉遊亀、酒井三良の賛助を得て、「有山会」を創立し、兄弟展が復活しています。



その後も比庵と三渓の兄弟展は度々開催され、比庵が歿する昭和50年まで続き、比庵のライフワークと言える活動となります。

友人が下記の作品を所蔵しています。川合玉堂の鑑定登録番号もあるしっかりした作品です。

参考作品

秋の□ 川合玉堂画 清水比庵賛
和紙水墨賛画軸装 折補修有 川合修二鑑題箱 
画サイズ:縦318*横428



これもなんと読むやら・・・*

*追記
賛は「ねながらに 月はみえね(禰奈可良爾 月者三衣禰) ど つきのまへに 鳴聲(登 つ支の末へ爾 鳴聲) みちたる 虫のきこゆる(みち多留 虫のきこ遊類)」である。「月」を繰り返すということは、そうとう強調したいという意思があると受け取るべきです。秋の夜の風物といえば月と虫の声。それを画には描かないで、田舎屋に月がかかって虫の声がしているという画と字の連携で秋色濃厚な1枚だ、ということでしょう。

一昨日の夕刻から息子が高熱・・・、会食を中座し、その夜は添寝。朝には少し熱は下がったようだが、ちと心配。今までほとんど熱を出すことなどなかったので右往左往・・・。



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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (minchou)
2016-09-17 10:37:00
「秋来ぬと涼しくなりてふる雨は庭にたまりてにごることなし」で大体はOKだと思うのですが。

書画共々なかなか良いものですな。

お久しぶりです、今日は。
相変わらず楽しませていただいてます。
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ご指導に感謝 (夜噺骨董談義)
2016-09-17 14:19:08
ご無沙汰しておりました。
相変わらずに適切なるご指導に感謝いたします。

拙文ではありますが、本ブログをご愛読いただきありがとうございます。
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Unknown (minchou)
2016-09-18 08:16:14
ついでですが、2枚目の画讃は「鳴聲みちたる」 というよりも「鳴く気もみちたる」のように読めるのですが。

歌としてもこのように解釈した方が面白いですし、どうでしょうか。
間違いかもしれませんが一応御参考までに。
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Unknown (minchou)
2016-09-18 08:30:44
すみません。ちょっと言葉が足りませんでしたので訂正です。

正確な表記は「鳴起毛みち多留」で、解釈としての読みが「鳴く気もみちたる」なのではないかな、ということです。
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追記の参考 (夜噺骨董檀美)
2016-09-19 12:54:19
コメントをありがとうございます。

参考にさせていただきます。
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