
正月は恒例の家族で書初め・・。

今年はどうも「鬼滅の刃」に関する書が多くなりました。

さて本日は当方のお気に入りの画家のひとりである望月玉渓の作品の紹介です。本ブログでも何点かすでに紹介されています。
澤畔聴雨図 望月玉渓筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先樹脂 子息望月玉成鑑定箱
全体サイズ:縦1870*横525 画サイズ:縦890*横385

望月玉渓は玉仙、玉川、玉泉、玉渓と続く望月派の五代目で、子息には玉成がいます。望月派は代々御所に出入を許された家系で、御用絵を描いていました。
望月玉渓は花鳥画を得意とし、四条派を折衷したやわらかな自然描写に定評があります。帝室技芸員の父・玉泉に学び、品格のある作品を多く世に出し、伝統的な大和絵の最後の人と言われています。驕らず謙虚で奥ゆかしく、高雅なる品位を保つその崇高な人柄の玉渓を作品とともに敬愛する人は多かったと伝えられています。

箱書きには「昭和巳卯(1939年 昭和14年)残月吉辰 玉渓翁真蹟 望月玉成題鑑定」と記され、望月玉渓が亡くなった翌年、子息の望月玉成が40歳の頃の箱書きと推察されます。

望月玉渓の画歴は簡略に記述すると下記のとおりです。
望月玉渓:日本画家。京都生。父は日本画家望月玉泉。名は重信・重蔵、別号に玉禅。父玉泉に絵を学ぶ。絵画共進会二等褒状受賞。日本美術協会会員・日本画会会員・京都美術協会終身会員。昭和13年(1938)歿、64才。

また子息の望月玉成の画歴は簡略に記述すると下記のとおりです。
望月玉成:日本画家 望月玉渓(望月派の五代)の子として明治33年京都に生まれる。祖父は明治画壇を代表する画家 帝室技芸員を務めた望月玉泉。父に画法を学び、また京都市立美術工芸学校 京都市立絵画専門学校を卒業。その後は西山翠嶂に師事し、後に母校の教授を務めた。また帝展 日本美術協会等など諸展に入選し、京都画壇で活躍した。昭和26年没。享年 52才。

画歴をさらに改めて詳細に調べると下記の記述のようになります。
望月玉渓は前述のように玉仙に玉泉、玉川に玉渓と続いた望月派の画家で御用絵を中心に描いていたことでも有名です。そのため、幼少の頃から様々な絵画に触れる生活をしており、そのセンスや深い知識は自然に身に付いて行ったのだと考えられます。
絵画はまず、父に学び研磨を重ねます。そして1896年にはその努力が身を結び、第一回絵画共進会展にて2等褒賞を獲得するにいたります。そんな望月玉渓の作風は望月派と呼ばれる派閥の伝統的で綿密な作風で知られています。そして、花鳥図が特に多く四条派をそこまで強く意識した作品ではなく、敢えて優しくわかりやすく崩すことで独特な雰囲気の作品を多く描いています。
また、風景画などとはまた別で、人物画においては非常に上品で高貴な品格のある作品を多く世に生み出しています。その奥ゆかしく高雅な作風で、日本最後の大和絵の名手と言われ、多くの美術関係者から高い評価を獲得しています。驕らず謙虚で奥ゆかしく、雅やかな品格を保つその高貴な人柄の玉渓は、作品だけでなく、その人物像も合わせて敬愛する人は多かったと伝えられています。

玉渓の作品には贋作がほとんど存在しません。これは、逆に捉えると、玉渓の作品は誰にも真似することのできないもののようです。崇高で高貴な彼のオリジナリティと言えるのではないでしょうか。普通、人気作家となると贋作が多くなってしまいがちですが、この点も彼の作品が唯一無二な存在だと言えるエピソードなのでしょう。

当方で本ブログに紹介した「富岳遠望図」は、日本の美しさを奥ゆかしく誉れ高く描いた作品のひとつと言えるでしょう。富士山を描いた作品「富獄望遠図」ですが、美しい濃淡で彩られた富士の姿と、麓の林や田園風景のバランスが絶妙です。繊細かつ綿密な筆遣いで描かれてはいるのですが、どこか郷愁をさそう懐かしさも含んでおり、普遍的な日本の美を感じます。
当然、望月玉渓独特の高貴で上品なタッチも感じる取ることができ、崩しながらもしっかりと芯を捉えた美しい作品として評価しています。日本画としてもっと評価されるべき作品ではないでしょうか。その淡く繊細な色使いに大胆な構図には望月玉渓という人間の底知れぬ才能を伺えます。

望月玉渓は自らの作品を描くことは勿論、京都美術協会会員、日本美術協会の会員など裏方としても日本の美術を支えてきました。伝統を守りながらも自らの芸術を貫いた望月玉渓、彼の功績を再評価してもいのでしょう。
玉渓は望月派五代目として数々の作品(「春郊雲雀図」「雪尭黄鳥図」「芦に鴛鴦図」など)を出品していますが、どれも崇高で高貴な作品であり、代々受け継がれてきた御用絵の高貴で気品のある作風は玉渓の子.玉成にも引き継がれていますが、残念なことに玉渓は、父・玉泉が80歳まで生きたのに対し、若くして亡くなっています。残念ながら望月玉成にて望月派は途絶えることになったようです。

今年はどうも「鬼滅の刃」に関する書が多くなりました。

さて本日は当方のお気に入りの画家のひとりである望月玉渓の作品の紹介です。本ブログでも何点かすでに紹介されています。
澤畔聴雨図 望月玉渓筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先樹脂 子息望月玉成鑑定箱
全体サイズ:縦1870*横525 画サイズ:縦890*横385


望月玉渓は玉仙、玉川、玉泉、玉渓と続く望月派の五代目で、子息には玉成がいます。望月派は代々御所に出入を許された家系で、御用絵を描いていました。
望月玉渓は花鳥画を得意とし、四条派を折衷したやわらかな自然描写に定評があります。帝室技芸員の父・玉泉に学び、品格のある作品を多く世に出し、伝統的な大和絵の最後の人と言われています。驕らず謙虚で奥ゆかしく、高雅なる品位を保つその崇高な人柄の玉渓を作品とともに敬愛する人は多かったと伝えられています。


箱書きには「昭和巳卯(1939年 昭和14年)残月吉辰 玉渓翁真蹟 望月玉成題鑑定」と記され、望月玉渓が亡くなった翌年、子息の望月玉成が40歳の頃の箱書きと推察されます。


望月玉渓の画歴は簡略に記述すると下記のとおりです。
望月玉渓:日本画家。京都生。父は日本画家望月玉泉。名は重信・重蔵、別号に玉禅。父玉泉に絵を学ぶ。絵画共進会二等褒状受賞。日本美術協会会員・日本画会会員・京都美術協会終身会員。昭和13年(1938)歿、64才。

また子息の望月玉成の画歴は簡略に記述すると下記のとおりです。
望月玉成:日本画家 望月玉渓(望月派の五代)の子として明治33年京都に生まれる。祖父は明治画壇を代表する画家 帝室技芸員を務めた望月玉泉。父に画法を学び、また京都市立美術工芸学校 京都市立絵画専門学校を卒業。その後は西山翠嶂に師事し、後に母校の教授を務めた。また帝展 日本美術協会等など諸展に入選し、京都画壇で活躍した。昭和26年没。享年 52才。

画歴をさらに改めて詳細に調べると下記の記述のようになります。
望月玉渓は前述のように玉仙に玉泉、玉川に玉渓と続いた望月派の画家で御用絵を中心に描いていたことでも有名です。そのため、幼少の頃から様々な絵画に触れる生活をしており、そのセンスや深い知識は自然に身に付いて行ったのだと考えられます。
絵画はまず、父に学び研磨を重ねます。そして1896年にはその努力が身を結び、第一回絵画共進会展にて2等褒賞を獲得するにいたります。そんな望月玉渓の作風は望月派と呼ばれる派閥の伝統的で綿密な作風で知られています。そして、花鳥図が特に多く四条派をそこまで強く意識した作品ではなく、敢えて優しくわかりやすく崩すことで独特な雰囲気の作品を多く描いています。
また、風景画などとはまた別で、人物画においては非常に上品で高貴な品格のある作品を多く世に生み出しています。その奥ゆかしく高雅な作風で、日本最後の大和絵の名手と言われ、多くの美術関係者から高い評価を獲得しています。驕らず謙虚で奥ゆかしく、雅やかな品格を保つその高貴な人柄の玉渓は、作品だけでなく、その人物像も合わせて敬愛する人は多かったと伝えられています。

玉渓の作品には贋作がほとんど存在しません。これは、逆に捉えると、玉渓の作品は誰にも真似することのできないもののようです。崇高で高貴な彼のオリジナリティと言えるのではないでしょうか。普通、人気作家となると贋作が多くなってしまいがちですが、この点も彼の作品が唯一無二な存在だと言えるエピソードなのでしょう。

当方で本ブログに紹介した「富岳遠望図」は、日本の美しさを奥ゆかしく誉れ高く描いた作品のひとつと言えるでしょう。富士山を描いた作品「富獄望遠図」ですが、美しい濃淡で彩られた富士の姿と、麓の林や田園風景のバランスが絶妙です。繊細かつ綿密な筆遣いで描かれてはいるのですが、どこか郷愁をさそう懐かしさも含んでおり、普遍的な日本の美を感じます。
当然、望月玉渓独特の高貴で上品なタッチも感じる取ることができ、崩しながらもしっかりと芯を捉えた美しい作品として評価しています。日本画としてもっと評価されるべき作品ではないでしょうか。その淡く繊細な色使いに大胆な構図には望月玉渓という人間の底知れぬ才能を伺えます。

望月玉渓は自らの作品を描くことは勿論、京都美術協会会員、日本美術協会の会員など裏方としても日本の美術を支えてきました。伝統を守りながらも自らの芸術を貫いた望月玉渓、彼の功績を再評価してもいのでしょう。
玉渓は望月派五代目として数々の作品(「春郊雲雀図」「雪尭黄鳥図」「芦に鴛鴦図」など)を出品していますが、どれも崇高で高貴な作品であり、代々受け継がれてきた御用絵の高貴で気品のある作風は玉渓の子.玉成にも引き継がれていますが、残念なことに玉渓は、父・玉泉が80歳まで生きたのに対し、若くして亡くなっています。残念ながら望月玉成にて望月派は途絶えることになったようです。