
郷里から送られてきた「きりたんぽ」を家族皆でいただきました。むろん息子は野菜を含めて大好きです。

そうそう、十三湖で買ってきた蜆と子持ちの鰰も美味しそうにに平らげました。「ママも食べて!」だと。本日から「ママ」、「パパ」から「お父さん」、「お母さん」と呼ぶようになりました。

さて本日は男の隠れ家から持ち込んだ貫名海屋の二点の山水画の紹介です。
山水画 伝貫名海屋筆 その1
絹本水墨軸装 軸先塗 合箱入
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横503*縦1330

本作品は号から判断して70歳以降の作品と判断されます。

賛には「人為観烟遊牧攸帷外間 結伴砕杯觴暮天客散 諌鐘動松葉源逕多夕陽 菘翁墨戯清題」と記され、意味は「遠くの景色を見ればもやがたちこめ、とばりがおり、うれえる所自然界はすばらしい。それにひきかえ、人間のすることといえば時間を忘れ、杯をくみかわし夢中になり仲良くなる者、争う者様々。時を告げる鐘の緒とに諌められて皆帰り散る。何と他愛のないことか。夕陽は松の一本一本すみずみまでまっすぐ日を照らしているというのに」という意味かと思われます。

賛の読みは現場で働いていたバックホーのオペレータの方によるものです。

なかなか良き出来で賛も気に入っています。

山水画においてその賛で社会風刺がされています。

「うれえる所自然界はすばらしい。それにひきかえ、人間のすることといえば時間を忘れ、杯をくみかわし夢中になり仲良くなる者、争う者様々。時を告げる鐘の緒とに諌められて皆帰り散る。何と他愛のないことか。」・・。

「夕陽は松の一本一本すみずみまでまっすぐ日を照らしているというのに」・・・・。

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貫名海屋の生没年は、安永7年から文久3年(1778年~1863年)であり、享年86歳。70歳以降菘翁と号した。京都第一流の詩書画三絶の人と言われた。家は代々蜂須賀家に弓術師範として仕えたが、海屋は文筆に志して京都に出て、須静塾を開いて儒を講じた。南画の山水画とともに、書に優れ中国の古法帖を研究し、自らも壮年、中年、晩年と幾度か書風も変化している。特に晩年は、形にとらわれることなく、滋味に富んだ風韻の高い作品を遺している。
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もうひとつの作品は青緑山水画です。
菘叟遽篤新黄魚肥山水之図 貫名海屋筆 その2
絹本着色軸装 軸先 梨霞山人鑑定箱入
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横330*縦1215

箱書きの題名は「菘叟遽篤新黄魚肥山水之図」と記されており、鑑定は「大正丁巳(大正6年 1917年)小春題於品誉々拝客居 梨霞山人」とあります。残念ながら梨霞山人についての詳細は不明です。

賛は「山色空濛恵脚飛半篤新瀧黄魚肥 菘翁遽」とあり、その読みは「山色空濛飛脚に恵まれ篤く新たなる滝に黄魚は肥ゆる」であろうと思われます。

上記の作品と同じ方に解読していただきました。

意味は「山肌に小雨がしとしと雨につつまれ沢は程よい水かさに恵まれ、半ば飛び跳ねる 小さな新しい瀧も出来て稚魚もよく育つことであろう。」という大意でしょう。

これもまた出来が良く、お気に入りの一副です。

山水画の掛け軸・・、気に入ったもののひとつは欲しいものですね。

当方は直観が一番の見極めですが、真贋を気にする方はどうぞ真贋を見極めてください。

「山色空濛飛脚に恵まれ篤く新たなる滝に黄魚は肥ゆる」・・・、少子高齢化はなぜ起きたかを問うているようにも思います。

人は自然の中で育つもの・・。

「人為観烟遊牧攸帷外間 結伴砕杯觴暮天客散 諌鐘動松葉源逕多夕陽 菘翁墨戯清題」・・・・・、もはや六十歳を過ぎたなら、金銭欲、出世欲などから離れた自然を愉しむ境地にありたいものです。

そうそう、十三湖で買ってきた蜆と子持ちの鰰も美味しそうにに平らげました。「ママも食べて!」だと。本日から「ママ」、「パパ」から「お父さん」、「お母さん」と呼ぶようになりました。

さて本日は男の隠れ家から持ち込んだ貫名海屋の二点の山水画の紹介です。
山水画 伝貫名海屋筆 その1
絹本水墨軸装 軸先塗 合箱入
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横503*縦1330

本作品は号から判断して70歳以降の作品と判断されます。


賛には「人為観烟遊牧攸帷外間 結伴砕杯觴暮天客散 諌鐘動松葉源逕多夕陽 菘翁墨戯清題」と記され、意味は「遠くの景色を見ればもやがたちこめ、とばりがおり、うれえる所自然界はすばらしい。それにひきかえ、人間のすることといえば時間を忘れ、杯をくみかわし夢中になり仲良くなる者、争う者様々。時を告げる鐘の緒とに諌められて皆帰り散る。何と他愛のないことか。夕陽は松の一本一本すみずみまでまっすぐ日を照らしているというのに」という意味かと思われます。

賛の読みは現場で働いていたバックホーのオペレータの方によるものです。

なかなか良き出来で賛も気に入っています。

山水画においてその賛で社会風刺がされています。

「うれえる所自然界はすばらしい。それにひきかえ、人間のすることといえば時間を忘れ、杯をくみかわし夢中になり仲良くなる者、争う者様々。時を告げる鐘の緒とに諌められて皆帰り散る。何と他愛のないことか。」・・。

「夕陽は松の一本一本すみずみまでまっすぐ日を照らしているというのに」・・・・。

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貫名海屋の生没年は、安永7年から文久3年(1778年~1863年)であり、享年86歳。70歳以降菘翁と号した。京都第一流の詩書画三絶の人と言われた。家は代々蜂須賀家に弓術師範として仕えたが、海屋は文筆に志して京都に出て、須静塾を開いて儒を講じた。南画の山水画とともに、書に優れ中国の古法帖を研究し、自らも壮年、中年、晩年と幾度か書風も変化している。特に晩年は、形にとらわれることなく、滋味に富んだ風韻の高い作品を遺している。
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もうひとつの作品は青緑山水画です。
菘叟遽篤新黄魚肥山水之図 貫名海屋筆 その2
絹本着色軸装 軸先 梨霞山人鑑定箱入
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横330*縦1215


箱書きの題名は「菘叟遽篤新黄魚肥山水之図」と記されており、鑑定は「大正丁巳(大正6年 1917年)小春題於品誉々拝客居 梨霞山人」とあります。残念ながら梨霞山人についての詳細は不明です。


賛は「山色空濛恵脚飛半篤新瀧黄魚肥 菘翁遽」とあり、その読みは「山色空濛飛脚に恵まれ篤く新たなる滝に黄魚は肥ゆる」であろうと思われます。

上記の作品と同じ方に解読していただきました。

意味は「山肌に小雨がしとしと雨につつまれ沢は程よい水かさに恵まれ、半ば飛び跳ねる 小さな新しい瀧も出来て稚魚もよく育つことであろう。」という大意でしょう。

これもまた出来が良く、お気に入りの一副です。

山水画の掛け軸・・、気に入ったもののひとつは欲しいものですね。

当方は直観が一番の見極めですが、真贋を気にする方はどうぞ真贋を見極めてください。

「山色空濛飛脚に恵まれ篤く新たなる滝に黄魚は肥ゆる」・・・、少子高齢化はなぜ起きたかを問うているようにも思います。

人は自然の中で育つもの・・。

「人為観烟遊牧攸帷外間 結伴砕杯觴暮天客散 諌鐘動松葉源逕多夕陽 菘翁墨戯清題」・・・・・、もはや六十歳を過ぎたなら、金銭欲、出世欲などから離れた自然を愉しむ境地にありたいものです。