渡川馬上人物図 狩野尚信筆
紙本水墨淡彩屏風外し額装
画サイズ:横380*縦520
本作品は屏風はずしの作品ということで「まくり」の状態で、ネットオークションにて京都在住の出品者から購入したものです。
額装にしてみました。真贋は解りませんし、解る必要もないでしょう
大和絵の白描技法を水墨画の人物描写に応用し、漢画の和様化に寄与し、近衛家熙は『槐記』のなかで、古今に超絶したものだと高く評価しています・・・とのこと、大和絵の白描画については、後日に紹介することとして、本作品にもその技法は窺えます。
本作品の落款と印章は左の写真のとおりです。右は文献によるものです。「藤原」という印章は3種類ほど存在しています。真贋は議論しなくても、この程度は調べなくてはなりません
狩野尚信:慶長12年生まれ、慶安3年没(1607年~1650年)、享年44歳。
狩野孝信の長男で、生存年数が短く遺作の数も少ない。
狩野探幽の弟であり、狩野安信のあにである。画力は父や兄を凌ぎ、品格の高い作品を描く。通称を主馬(しゅめ)といい、探幽が江戸に移ったので狩野宗家の跡を継いだが、画力によるところも大であった。
自らも寛永7年(1630年)に江戸に出て竹川町に屋敷を得て、幕府の奥絵師となり、出家して自適齋と号した。
探幽と供に京都の間を往復し、その間に多くの障壁画を描いたが、その確かな作品は少ない。山水水墨画に優れ、規模は大きくないが、情緒高い画格である。木挽町狩野派の祖であり、狩野常信はその子である。
1642年の「今枝民部留帖」には狩野探幽、俵屋宗達、狩野尚信の3名の絵の値段が高値と記されている。早世で作品の数が少ない。
紙本水墨淡彩屏風外し額装
画サイズ:横380*縦520
本作品は屏風はずしの作品ということで「まくり」の状態で、ネットオークションにて京都在住の出品者から購入したものです。
額装にしてみました。真贋は解りませんし、解る必要もないでしょう
大和絵の白描技法を水墨画の人物描写に応用し、漢画の和様化に寄与し、近衛家熙は『槐記』のなかで、古今に超絶したものだと高く評価しています・・・とのこと、大和絵の白描画については、後日に紹介することとして、本作品にもその技法は窺えます。
本作品の落款と印章は左の写真のとおりです。右は文献によるものです。「藤原」という印章は3種類ほど存在しています。真贋は議論しなくても、この程度は調べなくてはなりません
狩野尚信:慶長12年生まれ、慶安3年没(1607年~1650年)、享年44歳。
狩野孝信の長男で、生存年数が短く遺作の数も少ない。
狩野探幽の弟であり、狩野安信のあにである。画力は父や兄を凌ぎ、品格の高い作品を描く。通称を主馬(しゅめ)といい、探幽が江戸に移ったので狩野宗家の跡を継いだが、画力によるところも大であった。
自らも寛永7年(1630年)に江戸に出て竹川町に屋敷を得て、幕府の奥絵師となり、出家して自適齋と号した。
探幽と供に京都の間を往復し、その間に多くの障壁画を描いたが、その確かな作品は少ない。山水水墨画に優れ、規模は大きくないが、情緒高い画格である。木挽町狩野派の祖であり、狩野常信はその子である。
1642年の「今枝民部留帖」には狩野探幽、俵屋宗達、狩野尚信の3名の絵の値段が高値と記されている。早世で作品の数が少ない。