寺崎廣業の作品が「その70」となってきおり、ようやく呑み込みの悪い当方でも真贋の判断や制作時期が朧げに見えるようになってきました。贋作の多い寺崎廣業の作品もそれ相応に判断力がついてきました。年内には整理した資料もまとまりそうです。
鯉 その2 寺崎廣業筆 二本廣業時代 明治30年代(1895年)頃 その70
絹本水墨軸装 軸先加工象牙 共箱
全体サイズ:横440*縦1830 画サイズ:横320*縦950
「鯉」の作品は下記のように同図の作品も蒐集され、描き方の特徴も呑み込めてきました。
落款は二本廣業であり、印章は「宗山」の朱文白方印。落款から明治30年代の作と推定されます。
*明治25年寺崎廣業は邨田丹陵の娘「菅子」と結婚。向島三囲神社の前に住したそうです。これを機に義父の邨田直景の弟で漢学者の関口隆正より「宗山」の号を与えられます。よって「宗山」の印章、号のある作品は明治25年以降の作と推定されます。なおこの印章は大正時代を通して小点の作品にもよく押印されています。
なお箱書は三本廣業であり、明治末期から大正初期にかけてのものでしょう。「その1」に比して小振りの作品ですが、絹本に描かれており、共箱で表具もよい。箱の印はよく箱書に押印される朱文白達磨?印。
軸先もきちんとしています。多作ゆえに評価が下がるにつれて、乱雑に扱われることの多くなる寺崎廣業の作品ですが、著名になる前の「二本廣業」時代には優品が多く大切に保管されている作品もあります。
当方の所蔵作品で本ブログに紹介された作品に同図の作品があります。本作品とほぼ同時期に描かれたと思われますが。こちらは大幅となっています。
鯉 その1 寺崎廣業筆 二本廣業時代 明治25年(1892年)頃
紙本水墨軸装 軸先鹿本骨 合箱入
全体サイズ:横700*縦2140 画サイズ:横550*縦1320
「廣業席立上写」と落款に記されていることから、依頼されて即興的に描かれた作品と思われ、同図の作品が幾つか見受けられます。
表具は波紋様の布が用いられ、再表具されています。印章は「寺崎廣業」の朱方印は押印されています。落款から明治25年頃の作品であると推察されます。鯉の表現が味わい深く、かなりの技量をうかがえる作品です。
繰り返しになりますが「二本廣業」時代の寺崎廣業の作品は優品が多く、著名なった明治40年代から大正期にかけての作品は駄作が多いのも寺崎廣業の作行の特徴と言えます。
同じ構図の作品・・、大きさや制作年代が違うので比較して愉しめるものです。
鯉 その2 寺崎廣業筆 二本廣業時代 明治30年代(1895年)頃 その70
絹本水墨軸装 軸先加工象牙 共箱
全体サイズ:横440*縦1830 画サイズ:横320*縦950
「鯉」の作品は下記のように同図の作品も蒐集され、描き方の特徴も呑み込めてきました。
落款は二本廣業であり、印章は「宗山」の朱文白方印。落款から明治30年代の作と推定されます。
*明治25年寺崎廣業は邨田丹陵の娘「菅子」と結婚。向島三囲神社の前に住したそうです。これを機に義父の邨田直景の弟で漢学者の関口隆正より「宗山」の号を与えられます。よって「宗山」の印章、号のある作品は明治25年以降の作と推定されます。なおこの印章は大正時代を通して小点の作品にもよく押印されています。
なお箱書は三本廣業であり、明治末期から大正初期にかけてのものでしょう。「その1」に比して小振りの作品ですが、絹本に描かれており、共箱で表具もよい。箱の印はよく箱書に押印される朱文白達磨?印。
軸先もきちんとしています。多作ゆえに評価が下がるにつれて、乱雑に扱われることの多くなる寺崎廣業の作品ですが、著名になる前の「二本廣業」時代には優品が多く大切に保管されている作品もあります。
当方の所蔵作品で本ブログに紹介された作品に同図の作品があります。本作品とほぼ同時期に描かれたと思われますが。こちらは大幅となっています。
鯉 その1 寺崎廣業筆 二本廣業時代 明治25年(1892年)頃
紙本水墨軸装 軸先鹿本骨 合箱入
全体サイズ:横700*縦2140 画サイズ:横550*縦1320
「廣業席立上写」と落款に記されていることから、依頼されて即興的に描かれた作品と思われ、同図の作品が幾つか見受けられます。
表具は波紋様の布が用いられ、再表具されています。印章は「寺崎廣業」の朱方印は押印されています。落款から明治25年頃の作品であると推察されます。鯉の表現が味わい深く、かなりの技量をうかがえる作品です。
繰り返しになりますが「二本廣業」時代の寺崎廣業の作品は優品が多く、著名なった明治40年代から大正期にかけての作品は駄作が多いのも寺崎廣業の作行の特徴と言えます。
同じ構図の作品・・、大きさや制作年代が違うので比較して愉しめるものです。