夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

忘れ去られた画家 寒川魚捕水墨山水図 日根対山筆 その4

2013-12-31 08:54:26 | 掛け軸
30日まで整理、片付け・・、狭いマンションながら一人ではたいへんです。郷里のお寺の住職に頼んでいた厨子の修理が終了し、一年半ぶりに仏壇に供えることができました。



祖母の代から受け継いだご本尊です。

仏壇は長野の職人にオーダーメイドした桜の木製の仏壇です。義父の時にも郷里の仏壇を製作したのでこれで二つ目の仏壇のオーダーメイドです。義父の時は緑の漆塗・・。

既製よりもやはり毎日、拝んだり、御供えしているとオーダーメイドがいいですね。仏壇でも家でもお金はかかりますがオーダーメイドのようがいろいろと勉強になります。

片付けもあらかた目処がついたので、先日投稿しました青磁のお茶碗でお薄を一人で一服。



義母が「幸紀」の3日目のお祝いに作ってくれた餡子餅・・。さすが10個頂いても食べきれません。少し目が開くようになってきました。

郷里や海外からもお祝いの電話。また子供服やらオムツやらが年末に届いてきて、片付けているのに荷物が多くなってしまった。



青磁のお碗はすこし大きめですが、男にとってはちょうど良いサイズです。女性が多くなってこのような大振りの茶碗が使わない傾向にあるようです。





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本日の作品の作者は先日投稿しました女性初の帝室技芸員(現在で例えるなら人間国宝)の画家「野口小蘋」の師によるものです。本ブログではすでに四作品目となります。

寒川魚捕水墨山水図 日根対山筆
絹本水墨淡彩 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1890*横667 画サイズ:縦1161*横493



賛には「寒川魚捕 辛酉□□日 写於□山楼上 日少年 印」とあり、1861年(日根対山48歳)の制作された作品です。印章は「日長之印」と「少年」の白文朱方印累印が押印されています。冬の景色を描いた良い出来の作品であり、保存状態の非常に良い作品です。



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日根対山:1813年(文化10年)生まれ、1869年没(明治2年)享年57歳。幕末の南画家。大坂生。名は盛長、字は成信・小年、号に対山、茅海、錦林子、同楽園等がある。画は貫名菘翁に学び、また鉄翁祖門に私淑した。特に山水画に長じて筆墨雄大にして自ら秀爽の趣致を帯び、近世南画壇の巨擘と称される。当時中西耕石と並び称されていた。日根野対山ともいいます。




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補足:日根又衛門の3男として生まれる。幼い頃より絵を好みはじめ土佐派に学んだが、のちに南画を岡田半江、経学と書を貫名菘翁に師事。和泉佐野の豪商で文人としても知られる里井浮丘の庇護を受け中国絵画の臨模などで画業を磨いた。また浮丘と関係した文人との交遊が生まれた。29歳で京都に移り、梁川星巌・藤本鉄石・中西耕石らと親交を結ぶ。円山派の影響を強く受け、南画家鉄翁祖門に私淑した。主に山水画を得意とする。酒を好み、豪放な性格を反映してか、極めて洒脱で大らかな気分に満ちた作品が多い。門弟に野口小蘋*・猪瀬東寧・奥蘭田・跡見花蹊・中丸金峯らがいる。



*野口小蘋は女流南画家で、甲府商家野口正章の妻。野口家と親しい甲府商家の大木家は近世・明治期の当主が文人画家を招聘し作品を蒐集している(大木コレクション)。対山の門人には野口小蘋のほか三枝雲岱や中丸精十郎など山梨県出身者が多く、これらの甲州画家との縁は野口家や三枝・中丸の師である甲府の文人画家竹邨三陽を通じて生じたものであると考えられており、大木コレクションにはこれらの画家の作品群が含まれている。

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郷里では年末に雪のしんしんと降るときに、このような作品を飾るのもおつなものです。もちろん暖かいマンションの一室でですよ。

今年は年末にばたばたし、図案と歌まで決まっていたのですが、年賀状を書く時間がありませんでした。少し落ち着いたら挨拶状を書こうかと思っています。

ブログをお読みいただいている皆様には、この場をかりまして年末の挨拶をさせていただきます。

本年中はたいへんお世話になりあました。来年もよろしくお願いいたいます。
皆様が良いお年を迎えられますことを、心より祈念申し上げます。




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