夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

贋作考 伝初期伊万里 吹墨兎文七寸皿

2023-05-12 00:01:00 | 陶磁器
本日紹介する作品は吹墨による初期伊万里として売られていた作品の紹介ですが、真贋はまず別として兎文についての考察をメインとしての投稿です。



贋作考 伝初期伊万里 吹墨兎文七寸皿
合箱
口径約220*高さ38*高台内径55~外径65



この手の作品で以前より有名な作品のひとつは下記の作品(NO1)です。この作品があまりに有名なためにこの作品を模した作品が星の数ほど世に出回っています。

NO1.染付吹墨白兎文皿 
伊万里 江戸時代(17世紀前期)戸栗美術館蔵 )
作品サイズ:高3.6cm 口径21.0cm 



古伊万里焼の装飾には中国陶磁を手本としているものが多く、その中でも初期伊万里には古染付からの影響が強く見られます。本作のような吹墨技法による兎文の皿についても、古染付の中に近似した画題(NO2)、装飾技法の作品が知られています。その明の作品の代表格は下記の作品でしょう。

NO2.花吹墨玉兎文皿 景徳鎮窯         
明代17世紀 作品サイズ:高2.8cm 口径21.3cm    
山口県立萩美術館・浦上記念館所蔵 



この種の作品は、初期伊万里、古染付ともに類品が多く、初期伊万里では雲の替わりに月があらわされているものや(NO3)、四阿(あずまや)があらわされているもの(本作品)などがあり、古染付では縁文様にいくつかのバリエーションが知られています。

NO3.染付 吹墨月兎文 皿  
伊万里 江戸時代(17世紀前半)
作品サイズ:高2.7cm 口径19.5cm



これらの古染付と初期伊万里を比較してみたとき、
古染付では兎はうずくまっているのに対し、初期伊万里では飛び跳ねている点
短冊の中の文字が古染付は「玉兎」と記されているのに対し、初期伊万里は「春白兎」と書かれている点
古染付では兎と短冊のみのモチーフであるのに対し、初期伊万里では雲などのモチーフが加えられている点
などに違いを見つけることができ、初期伊万里は古染付を完全模倣しているわけではないことが分かります。



古染付の短冊に記された「玉兎(ぎょくと)」とは、古来中国で月には兎がいるものと考えられていることに由来することからの月の別称です。したがって、この古染付の作品では、短冊は月を意味し、兎は月を仰ぎ見ている図像であることが理解されます。日本においても兎は月で餅をついているものとしてよく知られているところです。



今橋理子氏によると、日本の絵画の中ではこの月から満月、そして秋を連想し、〈秋草に兎〉が一つの画題として江戸時代までに成立しているといいます。そしてこの画題では、基本的に兎はうずくまって上方を仰ぐ姿であらわされており、直接月が描きこまれていない場合であっても月の存在が暗示されているとのこと。

古染付でもそうであったように、「うずくまって(月を)仰ぎ見る」、これが〈月に兎〉の基本姿勢ということが分かります。では、なぜ初期伊万里の兎は飛び跳ねているのでしょうか。



日本において〈月の兎〉の図像はさらに、謡曲『竹生島』の中の「月影が湖面で白く光る様子が、月の兎が波の上を走っているようだ」という一節をもとに、白兎が波の上を飛び跳ねる〈波に兎〉の図像へと展開しています。

〈波に兎〉のモチーフは絵画よりもむしろ染織や工芸品の中で多く用いられ、伊万里焼にも取り入れられています。初期伊万里における「染付 吹墨白兎文 皿」(NO1)は古染付(NO2)のみならず、〈波に兎〉の意匠からも影響を受け、飛び跳ねる姿であらわされることになったのでしょう。



また、短冊の文字が「玉兎」から「春白兎」に変更されている理由については、日本人が「玉兎」の文字に対して持つイメージがヒントになりそうです。

今橋氏の論考によると「玉兎」は日本では「たまうさぎ」と読ませ、丸くうずくまる姿の兎形の和菓子や張子などの伝統的な玩具に名づけられる例があるとのこと。そしてその伏せて丸くなった姿の「玉兎(たまうさぎ)」から「玉兎(ぎょくと)」=月→満月への連想にもつながるといいます。このように、「玉兎」の文字から日本人が想起するイメージと飛び跳ねる姿の兎が合致しなかったため、短冊の文字が変更されたのかもしれません。また月も描き加えられている作品もあり、もし短冊に「玉兎(ぎょくと)」と記すと1つの画面に月が2つも登場することになることから文字を変更した可能性もあります。



江戸時代の百科事典『和漢三彩図会』(寺島良安編纂、正徳3/1713年)には、月の項の最初に別称として「玉兎」が挙げられていますので、江戸時代の知識階級の人々は「玉兎」が「月」をあらわすことは当然知っていたでしょう。しかし、伊万里焼を生産していた有田の職人は果たしてどこまで理解していたのでしょうか・・・。なお、月との関係から兎は秋と結び付けられることが多く、残念ながら現在のところ「春白兎」の典拠は明らかではありません。

ともあれ、中国的意匠の多い伊万里焼ですが、その中には日本の独自の解釈やアレンジが含まれており、文様が形作られていることが分かります。



初期伊万里とは、その名前の通り伊万里焼の最初の焼き物であり、現在有田で焼かれている物とは、趣が全然違います。その品物のほとんどが染付であり、極稀に、一部、鉄砂などを使っている珍品もあります。技術的に言えば、初期の作品だけに、素焼きの技術はなく、生がけになっています。その為に品物を焼く時点で貫入が入ったり,途中で割れてしまう事がよくあったようです。もちろん、無傷の物もありますが、最近は特に少なくなりました。



寸法は、小皿、中皿類が多く、大皿(尺~尺五)の品物の割合は中皿に比べて、特に少ないです。そして、傷の方も無傷と言うのは、大皿に限って言えば、まず無いと考えて頂いて結構です。品物の特徴は、高台が小さく(直径の1/3位)、大半の器には、釉薬を塗るときについた指跡が残っています。「初期伊万里は指跡の温もり」と称しています。



生がけなので、生地は、割合分厚い生地です。初期の染付は釉薬がたっぷりとのせられ厚ぼったくなっています。伊万里焼の初期の作品と言う事で、昔から評価は高く、日本の鑑賞陶器としては、随一でしょう。伊万里焼が生まれて間もない頃の染付は、数が少ないため愛好家の間で特に珍重されています。



 評価が高くなったことで初期伊万里の贋作が数多くあ離ますね。古伊万里の贋作は近年問題になっているようですが、例にもれず評価の高い初期伊万里にも贋作が横行しています。

高台の1/3、指跡などの原則に適っている贋作もある嘉あ余計に面倒。さらに本物は高台が1/3ではなかったり、指跡のないものも多くあるので話はますます面倒くさくなる。



本作品のように釉薬に縮みのあるものなど見分けの簡単な贋作もありますが、最終的には胎土と釉薬で見極まめるのがいいのでしょうが、さすがにこれ以上の精巧な贋作が多くなるとこればかりは信頼のおける骨董商から入手巣するのが無難であろうと思います。



ただ真贋にこだわるだけでなく、本作例のように図についての考察など色々と調べて知見を得ることが骨董蒐集の本来の楽しみであるように思います。あまりにも世間は真贋のみにこだわりすぎて、本来の知識の習得をなおざりにしているようい思えます。



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