夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

雪景山水図 伝中林竹洞筆

2019-09-26 00:01:00 | 掛け軸
息子はもうすぐ小学生。そろそろ子供部屋を考えなくてはいけなくなってきました。そこで家内はスペースを作るために自分の本の整理を始めたようですが、一向に整理が進まないように感じていました。見ているとなにやら書棚に張り紙が・・・。細かく分ける一冊ずつまた本を吟味することになりそう・・・・これや整理が進まないわけだわさ



ま~、小生の骨董品のスペースのほうが格段に広いので、文句は言えませんが・・。

さてちょっと見で「贋作かな?」と感じた本日の作品ですが、よく見て真作と判断しました。その根拠はいつものように経験からくる「感」ですね。

雪景山水図 伝中林竹洞筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱 
全体サイズ:縦1790*横450 画サイズ:縦980*横370

 

本作品を真作と判断しましたが、その根拠は使われている絹本の生地です。



竹洞は晩年には、京都西陣の織工に命じて自ら好む絵絹を織らせ、これを「竹洞裂(きれ)」と呼んでいます。



この絵絹は独自のもので、目が粗く、光沢があり、竹洞はその絵絹に上品に色彩画を描きました。この絵絹が真贋の大きなポイントとなりますが、本作品はその竹洞裂に描かれた作品に相違ありません。



*「竹洞裂(きれ)」については当方での紹介作品「秋草」(中林竹洞筆)を参照してください。



印章の「伯」部分に若干の違いあるように思えますが、誤差の範囲内ととらえるのが妥当と思われます。印章をあまり神経質に考える必要は小生はないと思います。画家は朱肉がつまるとよく直して使用していたようです。



10年近く前に赤坂の料亭の玄関に中林竹洞の掛け軸が飾っていました。いい作品でしたが、ほとんどの人が中林竹洞の作品だと気がつくまいと思いました。ま~中林竹洞を知っている御仁すら少ないでしょうから・・。

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中林竹洞:(なかばやし ちくとう)安永5年(1776年)~嘉永6年3月20日(1853年4月27日)。江戸時代後期の文人画家。

幕末における文人画の理論的指導者、尊王家として知られる。尾張国の生まれ。名は成昌、字を伯明、通称大助。竹洞は画号。別号に融斎・冲澹・大原庵・東山隠士、痴翁などがある。

竹洞は、名古屋の産科医・中林玄棟の子として生まれた。幼い時から画を好み、14歳で沈南蘋風の花鳥画を得意とする絵師・山田宮常に学ぶ。翌年、尾張画壇のパトロンとして知られた豪商・神谷天遊に才覚を見込まれると同家に引き取られ、ひたすら古画の臨模を行って画法を会得した。

天遊に連れられ万松寺に出向いたとき李衎(リカン・元代)の「竹石図」を見て深く感銘したことから竹洞の号を授けられたといわれる。このとき弟弟子の山本梅逸は王冕の「墨梅図」に感銘したことからその号を与えられた。19歳の時には絵画をもって生計を立てるにいたった。

享和2年(1802年)、恩人の天遊が病没すると梅逸と共に上洛。寺院などに伝わる古書画の臨模を行い、京都の文人墨客と交流した。天遊の友人・内田蘭著に仕事の依頼を受けて生計を立てた。30代後半には画家として認められ、以後40年にわたり文人画家の重鎮として知られた。墓所は京都府の黒谷の真如堂。墓碑に「竹洞隠士」とある。

竹洞は『画道金剛杵』などの画論書を著し、著作は30種類を超える。中国南宗画の臨模を勧め、清逸深遠の趣きを表すべきであると文人としての精神性の重要さを強調している。また室町時代からの画人47人を品等付けし、その上で池大雅を最高位に置いている。

その画風は清代文人画正統派の繊細な表現スタイルを踏し、幕末日本文人画の定型といえる。中国絵画を規範に自らの型を作って作画するため構図や趣向がパターン化し、多作なことも手伝い、変化に乏しくどの作品も似たような印象を受けると評されています。

ただし、70歳前後から亡くなるまでの最晩年は、筆数が少なくなり、素直に自身の心情を吐露した作品へ変化するのが認められる。

長男・中林竹渓、三女・中林清淑も南画家。門人に大倉笠山、今大路悠山、勾田台嶺、斎藤畸庵、高橋李村、玉井鵞溪、梁川紅蘭がいる。

*なお斎藤畸庵は本ブログでも取り上げている画家です。

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一般的に禄をはむ武士であったため、放浪を基本とする南画家としての趣には限界があったと評されています。ただその悪品は年々評価が上がり、弟弟子の山本梅逸、子息の中林竹渓らと共に、この名古屋に居した三人を外して日本の文人画を語ることはできないでしょう。



展示室の廊下に飾りました。蒐集していくと「竹洞裂(きれ)」などの生地の知識も蓄えられていきます。

ま~、もともと掛け軸の真贋など価値の下がった現代にはそれほど重要ではない、例えるなら骨董品は一品は一冊の本のようなもの。どれだけの血となり肉となる知識が得られるか、どれだけ愉しめるか肝要。ともかく家内の整理している本棚を連想させる作品です


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