本日から4月です。決算を終えて、新しい年度へ各企業は新たな目標を立てています。
企業はチャレンジなくして、戦略なくして、勝算なくしては存続なしとなります。とかく安易な道を選びがちですが、生き残りの道は険しいものです。一昨日、業績の表を例年通りじーっと見ながら、戦略を思案中・・。毎年、同じ常套文句になりがちな方針をみながら、戦略なくして戦術なしと・・
さて、本日はまた掛け軸です。
掛け軸には偽物が多いのは事実です。贋作をつかませられないためには、あまり高名な画家の作品には欲を出さずに、名もなき?いい作品と思われるものを買うのがいいと言われています。
朝のNHKのニュースで最近の若い人の間でアートを購入する人が増えているとのこと。サラリーマンが主体で2万~3万くらいの作品を購入するらしいです。作者より自分の感性で選ぶのが基本とのことです。
ただ、いい作品とは・・、というのが解るまでには本人の感性と経験が必要なので、おいそれとはとはうまくいきません。いつの時代もある程度の修学は必要なのでしょう。
収集にも常に戦略が必要です。むやみやたらに作品を購入してはいけません。飾る場所、資金、収集の方向性・・人生常に戦略がないと楽しくありません。戦略を実行することを楽しみとすることを楽しむことが大切です。
本日の画家は伊藤龍涯ですが、伊藤龍涯が無名かどうかは知りませんが、著名でないことはたしかです。「忘れ去られた画家」も十数回になりましたが、異論のある方も多いかと思います。
鐘馗之図 伊藤龍涯筆絹本水墨淡彩 軸先鹿角 合箱
全体サイズ:縦2100*横580 画サイズ:縦1310*横420
「鐘馗之図」の作品は本ブログでも幾つか投稿しています。本作品は私の郷里の画家でもある寺崎廣業の弟子ということもあり、何かの縁と思い購入しました。縁も戦略のうちです
「鐘馗之図」は厄払いの意味もあり、実に面白い作品が多いです。ついつい買ってしまいます。
現在の一番のお気に入りは倉田松涛の作品です。倉田松涛の作品は最近4作品ほど入手しましたので、整理がつき次第投稿したいと思っています。
伊藤龍涯:明治13年(1880)9月15日、東京京橋八丁堀の松平子爵(旧桑名藩主)邸内 にて、父・伊藤元延(儒学者・号・松琳)の長男として出生。
本名「繁延」。明治32年(1899)19歳で東京美術学校(現・東京芸大)に入学。明治36年(1903)「日本画科」を首席で卒業後。
日本美術院正会員、東京美術学校教授・寺崎広業先生の門に入る。そして広業塾を中心に結成された「美術研精会」の委員、橋本雅邦塾が中心の「二葉会」の会員、日本美術協会委員を務め画壇に進出する。
花鳥、人物、山水、特に歴史画を得意とした。帝展に入選を幾度となく果たす。昭和19年~22年頃までは戦争中のため長野、福島と疎開生活を送る。昭和34年(1959)死去、享年七十九歳。
企業はチャレンジなくして、戦略なくして、勝算なくしては存続なしとなります。とかく安易な道を選びがちですが、生き残りの道は険しいものです。一昨日、業績の表を例年通りじーっと見ながら、戦略を思案中・・。毎年、同じ常套文句になりがちな方針をみながら、戦略なくして戦術なしと・・
さて、本日はまた掛け軸です。
掛け軸には偽物が多いのは事実です。贋作をつかませられないためには、あまり高名な画家の作品には欲を出さずに、名もなき?いい作品と思われるものを買うのがいいと言われています。
朝のNHKのニュースで最近の若い人の間でアートを購入する人が増えているとのこと。サラリーマンが主体で2万~3万くらいの作品を購入するらしいです。作者より自分の感性で選ぶのが基本とのことです。
ただ、いい作品とは・・、というのが解るまでには本人の感性と経験が必要なので、おいそれとはとはうまくいきません。いつの時代もある程度の修学は必要なのでしょう。
収集にも常に戦略が必要です。むやみやたらに作品を購入してはいけません。飾る場所、資金、収集の方向性・・人生常に戦略がないと楽しくありません。戦略を実行することを楽しみとすることを楽しむことが大切です。
本日の画家は伊藤龍涯ですが、伊藤龍涯が無名かどうかは知りませんが、著名でないことはたしかです。「忘れ去られた画家」も十数回になりましたが、異論のある方も多いかと思います。
鐘馗之図 伊藤龍涯筆絹本水墨淡彩 軸先鹿角 合箱
全体サイズ:縦2100*横580 画サイズ:縦1310*横420
「鐘馗之図」の作品は本ブログでも幾つか投稿しています。本作品は私の郷里の画家でもある寺崎廣業の弟子ということもあり、何かの縁と思い購入しました。縁も戦略のうちです
「鐘馗之図」は厄払いの意味もあり、実に面白い作品が多いです。ついつい買ってしまいます。
現在の一番のお気に入りは倉田松涛の作品です。倉田松涛の作品は最近4作品ほど入手しましたので、整理がつき次第投稿したいと思っています。
伊藤龍涯:明治13年(1880)9月15日、東京京橋八丁堀の松平子爵(旧桑名藩主)邸内 にて、父・伊藤元延(儒学者・号・松琳)の長男として出生。
本名「繁延」。明治32年(1899)19歳で東京美術学校(現・東京芸大)に入学。明治36年(1903)「日本画科」を首席で卒業後。
日本美術院正会員、東京美術学校教授・寺崎広業先生の門に入る。そして広業塾を中心に結成された「美術研精会」の委員、橋本雅邦塾が中心の「二葉会」の会員、日本美術協会委員を務め画壇に進出する。
花鳥、人物、山水、特に歴史画を得意とした。帝展に入選を幾度となく果たす。昭和19年~22年頃までは戦争中のため長野、福島と疎開生活を送る。昭和34年(1959)死去、享年七十九歳。