夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

贋作考 鐘馗図 伝橋本雅邦筆 *本投稿作品は工芸品の可能性大 2016年7月2日

2016-04-22 05:08:41 | 掛け軸
*本投稿作品は工芸品の可能性大 2016年7月2日

二階の展示は端午の節句の作品関連で郷里に由来の作品を展示してみました。



蓑虫山人の「鯉」や平福穂庵、倉田松濤の「鐘馗図」・・・、源内焼を数点。



福田豊四郎の「富士」・・。



蒐集していた幾つかの「鐘馗図」を引っ張り出してはどれを飾ろうかと見比べてたところ・・・。



休日には息子が小生の脇から離れませんので、作品整理がなかなかはかどりません。作品の写真撮影をも息子が自分がやるといってだたをこね、記念撮影をすると言ってごまかしながらの写真撮影をしながらの作品整理です。

家内達が子供の相手をしてくれるようにするのですが、小生の姿が見えなくなるとすぐに小生を探し始める始末・・。このようなはかどらないことを愉しむ心の余裕が必要です。

本日は「鐘馗図」の作品の中から伝橋本雅邦の作品への考察です。ところで小生のブログを難解と嘆く御仁がおられるようですが、同じ趣味をもたれている方には実に基本的な事項ですので、趣味の異なる方には悪しからず・・・。 

鐘馗図 伝橋本雅邦筆
絹本水墨軸装 軸先象牙 合箱 
全体サイズ:横445*縦1710 画サイズ:横330*縦835



落款には「押印:(「克己」の主文長方印) 行年六十五歳雅邦圖之 押印:(「橋本雅邦」の白文朱方印と「勝園」の朱文白方印)」とあり、1900年(明治33年)の作と推察されます。

明治31年(1898年)には岡倉天心が罷免され(美術学校騒動)、雅邦も職を辞し日本美術院の創立に参加していた直後となります。

 

これらの印章からだけでは真贋は難しい判断となります。画家として高名であり、印章や落款を模倣するくらいは贋作作りには常套手段であろうと推察されるからです。

印章に用いられている「勝園」は橋本雅邦が狩野勝川院雅信に師事していた頃の号で、同じ門下の狩野芳崖は「勝海」と号していました。

下記の思文閣墨蹟資料目録「和の美」(第  号 作品NO52 「蓬莱朝陽図」)の記事を参照にして下さい。



大きさの違う写真での比較で解りにくいですが、ここでは比較しませんが、他の贋作作品に押印されている「勝園」の印章よりは似ているようです。「勝園」の偽印章が存在するということです。

徐々に手元に資料が揃うことでいろんなことが解るのが趣味の醍醐味です。骨董を生業とする方のように手元に資料があって、すぐに解るというのは、骨董蒐集する者にとっては実に味気の無いことなのです。

資料と比較して、「これは贋作だよ。」という御仁には骨董蒐集の素人の愉しみ方はわからないものです。本当の楽しみを理解している御仁は「結構な作品ですね。」と笑って答えるらしい・・、ただし本物ですねとは答えないらしい

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雅邦の父の橋本養邦(はしもとおさくに)は武蔵国(埼玉県)川越藩の御用絵師であり、木挽町狩野家当主晴川院養信(せいせんいん おさのぶ)の高弟として同家の邸内に一家を構えていた。このため雅邦は天保6年にこの木挽町狩野家の邸内に生まれている。

慣習に従い5歳の頃から実父より狩野派のてほどきを受け、12歳の時正式に父と同じく養信に入門する。ただし養信はこの一月後に没したため、実際にはその後継者である勝川院雅信(しょうせんいん ただのぶ)を師としたと見てよい。

この時同日に狩野芳崖も入門しており、7歳年上で穏和な人柄の雅邦と激情家の芳崖と性格は正反対であったが、共に現状の狩野派への不満と独創的表現への意欲を共有し、生涯の親友となる。両者は早くも頭角をあらわし、安政4年(1857年)23歳で塾頭となる。芳崖、狩野勝玉、木村立嶽と共に勝川院門下の四天王と称され、特に芳崖とは「勝川院の二神足」と呼ばれ、塾内の絵合わせでは共に源平の組頭を務めた。

安政7年(1860年)雅邦の号をもらって絵師として独立を許され、池田播磨守の家臣高田藤左衛門の娘・とめ子と結婚する。しかし当時既に絵画の需要は少なく、また明治維新の動乱に際しては一時藩主のいる川越に避難することになる。更に明治3年(1870年)に木挽町狩野家は火災で焼失、雅邦も財産のほとんどを焼失してしまう。翌年には出仕していた川越藩も廃止され、兵部省の海軍兵学校において図係学係として製図を行うようになった。この後狩野派の絵師としての活動はほとんど出来なくなり、一時は油絵を描くことさえ余儀なくされた。

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なお「雅邦」の号になって以降も「勝園」の印章・落款は使われてるようです。



橋本雅邦の作品の真贋判定には信頼の置ける画集掲載などが必要だと聞いたこともあります。ときには川合玉堂の信頼性の高い鑑定書(下記のような書付)や子息の橋本秀邦の鑑定書が必要です。ただこの二人の鑑定にも贋作が多いのでよくよく注意が必要のようです。



当方は端午の節句の縁起物として鐘馗図を蒐集しているのですが、素人にとっては面白い作品だと思います。



ともかく橋本雅邦は著名な画家ゆえに贋作が多いのですが、現在は本物でも作品のお値段はかなり安くなっています。贋作をどうのこうのいうほど高い売買はされなくなりました。



まともな値段になってきたということでしょう。



われわれ庶民も席画程度なら入手して愉しめるようになってきました。



ある一定のレベルになると掛け軸において出来のよいものをほんものか、にせものかと騒ぎ立てるのは大人気ないことになりつつあります。



いつものように結論は同じこと・・・、要は「いいものはいい、悪いものは悪い」、その点においては本日の作品はいいもの・・

*本投稿作品は工芸品の可能性大 2016年7月2日

贋作とは言えないが、肉筆で売買すると贋作となる。残念ながら「ものは良いが価値はない」という作品となります。






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