夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

渡る雁 小早川清筆

2012-03-28 06:11:20 | 掛け軸
以前に投稿した時にも記載したように、小児麻痺による後遺症のため、左手一本で絵を描いた画家です。

小早川清の美人画の作品は祖父の代に集めた収集品の作品にひとつありました。

叔父の家には襖に浦島太郎の絵などが描かれていましたので、身近な画家の一人です。



渡る雁 小早川清筆
紙本水墨淡彩 軸先文様入樹脂 共箱
全体サイズ:縦2180*横450 画サイズ:縦1340*横320



中央に大きな折れがあるのが欠点ですが、それ以外は出来の良い佳作です。



着物の滲みの技法、帯の波に千鳥。



着物の裾模様は桔梗・・。



指や足の描写など実に洒脱です。



美人画はこういうところが大切です。粋な「御姉さん」といったところですね。



作品の落款は「清」、印章は「小早川」で、箱の印章は「清」です。
共箱で入手できたことは貴重です。


  

鏑木清方、上村松園など美人画家に共通しているのは品格です。志村立石、横尾芳月などの作品は品格という点では違いがあります。

小早川 清:明治30年(1897年)~ 昭和23年(1948年)4月4日)は、大正時代から昭和時代にかけての浮世絵師、日本画家。鏑木清方の門人。福岡県福岡市博多に生まれる。

初めは南画家の上田鉄耕に師事し、1915年(大正4年)に上京して、清方に美人画を学んだ。小児麻痺による後遺症のため、左手一本で絵を描いた。

「長崎のお菊さん」が、1924年(大正13年)の第5回帝展に初入選し、その後、長崎を題材にした美人画を描いて、続けて帝展において入選を重ねた。1933年(昭和8年)には、歌手の市丸を描いた「旗亭涼宵」が特選となっている。1936年(昭和11年)以降は、文展無鑑査となり、同年、文展招待展に「宵」を出品してからは、文展及び新文展に作品を出品した。そして版画は、1930年(昭和5年)から1931年(昭和6年)に発表した「近代時世粧」シリーズが知られている。その中でも、ほろ酔・爪・化粧・黒髪・口紅・瞳などは著名で、また、艶姿・湯上がり・舞踊なども佳作とされている。清は、戦後にも数点、作品を発表しているが、やはり昭和初期の頃の作品に人気が集まる。。1948年(昭和23年)、東京都大田区の自宅で脳溢血により死去。享年52。


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2 コメント

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清潔感って (のぼう)
2012-04-02 21:36:15
手首、足首、首筋に表れると思います。
ある意味そこが色気かな?
爽やかな色気でしょうか!

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色気 (夜噺骨董談義)
2012-04-02 23:26:34
良く観ると着物の描き方の滲ませの技法もなかなかのものがあります。水墨画の持つ独特の表現で観るものを清々しくさせてくる作品です。
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