先日畑から採ってきたプラムの花・・。展示室に飾った愉しんでいます。
用いた花生けは本日紹介する作品です。
飾っている額装の作品は福田豊四郎の作品です。
昭和31年にアジア連帯使節団の一員としてインドを訪れた際に描いたスケッチをもとにした作品でしょう。
もともとは掛け軸であったのでしょう。額に共板が組み込まれています。私のお気に入りの作品です。
さて時として、もとい度々(たびたび)・・・ 小生は衝動買いをする性癖があるようです。骨董品でいうと紛い物と知りながらついつい買ってしまう。家内から失笑されてしまうのですが、これはなかなか治らない性癖のようです。よって小生の周りの蒐集品はガラクタが多くなる。今回も恥ずかしながらそのような作品の紹介です。
青磁氷裂文下蕪瓶 倣南宋官窯
誂箱
最大胴径120*高さ221
日本にしろ、中国にしろ過去の名品をコピーする模倣作品は多いものです。知識が浅いと購入してからそのような作品の存在を知ることになったりします。小生も幾度かそのような経験があります。
宋時代の青磁の名品は数多くあり、多くの茶人や陶工がその模倣に打ち込んだようです。本作品はへたに古色を付けたり、保管箱を細工したりという点はなく、やましい心に侵されていないうぶな状態かと思います。
いつの時代の産物かという推察になりますが、欲を言えば清朝期の作品ではないかという推定もできます。清朝の官窯は、前代の明王朝の制度を継続しており、陶磁器生産の中心は明王朝と同じく江西省の景徳鎮に置かれ、そこで宮廷向けの陶磁器がつくられています。そこでは、高度な技巧を凝らした磁器が生み出される一方で、名声高い陶磁器の模倣も行われています。青磁をはじめとして、黒色、褐色、藍色、黄色など、一つの色調の釉薬を掛けて作るものは単色釉磁とも呼び、清朝陶磁を代表する作品となっています。清朝の単色釉の作品はフォルムには歪みなど一切なく、官窯の完成度の高さを示すものです。本作品もこのような時期に作られた可能性があるのかもしれません。
*高台の畳付に見える胎土が黒色である点、そして貫入も違和感がありません。
本作品は中国で作られたもの、もしくは日本で作られた南宋官窯の模倣作とも推定されます。模作した対象はおそらく下記の作品でしょう。この作品は重要美術品です・・・。
*ちなみに下蕪(しもかぶら)は、青磁花入の一種で、腰から底にかけ蕪の形に丸く大きく張った胴に、太く長い筒形の頸の付いた形のものをいいます。 下蕪は、「逆蕪」(さかかぶら)ともいいます。 「蕪(かぶら)」はとうぜん野菜の蕪のこと。
参考作品
青磁下蕪瓶 南宋官窯
中国 南宋時代 12〜13世紀 高 23.1cm
重要文化財 出光美術館蔵
本作品は、蕪状の胴部に竹節状の頸部がつき、高台の畳付に見える胎土は黒色で、厚く施された粉青色の青磁釉は、表面には全体に貫入(ひび割れ)が走っており、官窯独特の雰囲気を放っています。類似する陶片が修内司窯から出土しています。
**なお本作品は加島屋(広岡)家伝来で、近世以前から日本に将来された官窯器としても貴重な作品として位置づけられます。
***下蕪の作品は、ここで取りあげた「国宝青磁下蕪花生(アルカンシエール美術財団蔵)」、「重文青磁下蕪花生(出光美術館蔵)」が代表格で、上記の出光美術館蔵のものは頸と胴に節のような条帯があり、いわゆる筍形をしており、内箱蓋表書に「碪筍子花生」、側面貼札「青磁徳利 きぬた花入」とあります。
さらには下記の同型の作品があります。これは前述のように国宝です。
参考作品
国宝 青磁下蕪花生 南宋時代
公益財団法人アルカンシエール美術財団
東京・原美術館、群馬・ハラ ミュージアム アーク所蔵(明治の実業家 原六郎旧蔵)
国宝に指定されている3点の青磁花入のひとつです。群馬に建てられたハラ ミュージアム は当方で建設当時から工事に携わり、この作品を観させていただいたことがあります。
宋時代の官窯は、まず北宋の都汴京開封府(べんきょうかいほうふ)に置かれました。その後、宋の南遷にともない、杭州臨安府(こうしゅうりんあんふ)の皇城内の修内司(しゅうないじ)、次いで新窯が郊壇(こうだん)下に置かれました。
上記のような国宝や重要文化財のような素晴らしい作品はとても入手できるものではないので、少しでもそれに近い模倣品を手元に置くことはなんらやましいことではありません。
このような優れた模倣作品の中にも当然出来の良いもの、悪いものが存在します。
本作品はその中でも傑出してよいものと当方では判断しています。模倣作品の出来の良いものを鑑賞することはいいことだと思っています。それをその時代の作と偽ったり、信じたりすると誤解や障害が生まれるでしょう。
ま~、物は愉しんだ方が勝ち! 花生けは真贋云々もさることながら使わないとただの物。さて一級品とどこが違う 贋作と笑わば笑え、当方は一歩一歩向上するのみという不動心のみ。笑う者こそ変わらぬガラクタのレベルから向上しない者。
用いた花生けは本日紹介する作品です。
飾っている額装の作品は福田豊四郎の作品です。
昭和31年にアジア連帯使節団の一員としてインドを訪れた際に描いたスケッチをもとにした作品でしょう。
もともとは掛け軸であったのでしょう。額に共板が組み込まれています。私のお気に入りの作品です。
さて時として、もとい度々(たびたび)・・・ 小生は衝動買いをする性癖があるようです。骨董品でいうと紛い物と知りながらついつい買ってしまう。家内から失笑されてしまうのですが、これはなかなか治らない性癖のようです。よって小生の周りの蒐集品はガラクタが多くなる。今回も恥ずかしながらそのような作品の紹介です。
青磁氷裂文下蕪瓶 倣南宋官窯
誂箱
最大胴径120*高さ221
日本にしろ、中国にしろ過去の名品をコピーする模倣作品は多いものです。知識が浅いと購入してからそのような作品の存在を知ることになったりします。小生も幾度かそのような経験があります。
宋時代の青磁の名品は数多くあり、多くの茶人や陶工がその模倣に打ち込んだようです。本作品はへたに古色を付けたり、保管箱を細工したりという点はなく、やましい心に侵されていないうぶな状態かと思います。
いつの時代の産物かという推察になりますが、欲を言えば清朝期の作品ではないかという推定もできます。清朝の官窯は、前代の明王朝の制度を継続しており、陶磁器生産の中心は明王朝と同じく江西省の景徳鎮に置かれ、そこで宮廷向けの陶磁器がつくられています。そこでは、高度な技巧を凝らした磁器が生み出される一方で、名声高い陶磁器の模倣も行われています。青磁をはじめとして、黒色、褐色、藍色、黄色など、一つの色調の釉薬を掛けて作るものは単色釉磁とも呼び、清朝陶磁を代表する作品となっています。清朝の単色釉の作品はフォルムには歪みなど一切なく、官窯の完成度の高さを示すものです。本作品もこのような時期に作られた可能性があるのかもしれません。
*高台の畳付に見える胎土が黒色である点、そして貫入も違和感がありません。
本作品は中国で作られたもの、もしくは日本で作られた南宋官窯の模倣作とも推定されます。模作した対象はおそらく下記の作品でしょう。この作品は重要美術品です・・・。
*ちなみに下蕪(しもかぶら)は、青磁花入の一種で、腰から底にかけ蕪の形に丸く大きく張った胴に、太く長い筒形の頸の付いた形のものをいいます。 下蕪は、「逆蕪」(さかかぶら)ともいいます。 「蕪(かぶら)」はとうぜん野菜の蕪のこと。
参考作品
青磁下蕪瓶 南宋官窯
中国 南宋時代 12〜13世紀 高 23.1cm
重要文化財 出光美術館蔵
本作品は、蕪状の胴部に竹節状の頸部がつき、高台の畳付に見える胎土は黒色で、厚く施された粉青色の青磁釉は、表面には全体に貫入(ひび割れ)が走っており、官窯独特の雰囲気を放っています。類似する陶片が修内司窯から出土しています。
**なお本作品は加島屋(広岡)家伝来で、近世以前から日本に将来された官窯器としても貴重な作品として位置づけられます。
***下蕪の作品は、ここで取りあげた「国宝青磁下蕪花生(アルカンシエール美術財団蔵)」、「重文青磁下蕪花生(出光美術館蔵)」が代表格で、上記の出光美術館蔵のものは頸と胴に節のような条帯があり、いわゆる筍形をしており、内箱蓋表書に「碪筍子花生」、側面貼札「青磁徳利 きぬた花入」とあります。
さらには下記の同型の作品があります。これは前述のように国宝です。
参考作品
国宝 青磁下蕪花生 南宋時代
公益財団法人アルカンシエール美術財団
東京・原美術館、群馬・ハラ ミュージアム アーク所蔵(明治の実業家 原六郎旧蔵)
国宝に指定されている3点の青磁花入のひとつです。群馬に建てられたハラ ミュージアム は当方で建設当時から工事に携わり、この作品を観させていただいたことがあります。
宋時代の官窯は、まず北宋の都汴京開封府(べんきょうかいほうふ)に置かれました。その後、宋の南遷にともない、杭州臨安府(こうしゅうりんあんふ)の皇城内の修内司(しゅうないじ)、次いで新窯が郊壇(こうだん)下に置かれました。
上記のような国宝や重要文化財のような素晴らしい作品はとても入手できるものではないので、少しでもそれに近い模倣品を手元に置くことはなんらやましいことではありません。
このような優れた模倣作品の中にも当然出来の良いもの、悪いものが存在します。
本作品はその中でも傑出してよいものと当方では判断しています。模倣作品の出来の良いものを鑑賞することはいいことだと思っています。それをその時代の作と偽ったり、信じたりすると誤解や障害が生まれるでしょう。
ま~、物は愉しんだ方が勝ち! 花生けは真贋云々もさることながら使わないとただの物。さて一級品とどこが違う 贋作と笑わば笑え、当方は一歩一歩向上するのみという不動心のみ。笑う者こそ変わらぬガラクタのレベルから向上しない者。