夜噺骨董談義

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福聚大黒天尊像 平櫛田中作 昭和27年作 その3(中)

2020-09-22 00:01:00 | 彫刻
昭和26年、27年頃に作られたと思われる(伝)平櫛田中作「福聚大黒天尊像」が本作品で当方には3体となりました。



昭和26年製作された2体はすでに本ブログにて投稿されていますので、紹介は省略します。



本日は初めて本ブログで紹介される昭和27年作とされる作品の紹介です。

*この頃の平櫛田中の作品にはまだ平野富山が彩色していない可能性があります。

福聚大黒天尊像 伝平櫛田中作 昭和27年作 その3(中)
昭和27年(1952年)80歳 共箱
作品サイズ:高さ150*幅155*奥行150



「福聚大黒天尊像」を数多く製作したのは昭和25年頃からのように思われます。これらの作品より古いものはなかなかありません。

ところで平櫛田中は、還暦を迎えたころから自ら彫り上げた彫刻に、彩色するという手法に挑みはじめています。造形で勝負する彫刻の世界ではタブーとされていた手法でした。



叔父旧蔵の作品が思文閣に手放された時が平櫛田中の作品(昭和40年作)と関わった最初ですが、その時の売却価格の高さにびっくりしたことを覚えています。



今思えばもったいないことをしたものと思いますが、当方ではそれがトラウマとなり、いい作品を探し求めてるいるように気がします。



この作品の箱には記されていませんが「このつちは たからうちだすつちならで のらくらもののあたまうつつち」と記されている作品があります。



「願うこと、望む者はばんやり生きていてはなにひとつ手に入らない。いつだって自分の手で掴み取るもの」という教えが込めれているようです。



「幾つになってもそれをあきらめてはいけない。それが真に生きるということなのだ。」ということを語りかけている作品であるという説明文がありました。チコちゃんの「ぼ~っと生きているじゃないよ!」ということらしい。



「六十、七十は洟垂れ小僧、男盛りは百から百から」というのは平櫛田中の座右の銘 



本作品のように彩色が極彩色ではなく、下地の木目がそのままの作品も多くあります。思文閣の入札カタログに掲載されていた昭和34年作の下記の作品もその例ですね。

福寿大黒天尊像 平櫛田中作 昭和34年作
昭和34年(1959年) 88歳作 共箱(平櫛弘子鑑定)
作品サイズ:高さ158*幅175*奥行170



全体に質素に仕上げられています。



同型の作品の金色やブロンズの作品は入手を避けた方がいいでしょう。ほとんど無価値です。



また出来の悪い贋作が多くありますので箱書のある作品のほうがいいです。



「福寿大黒天尊像」については下記の説明が的を得ていますね。



同時期の作品を三体並べて比較するのは大いに参考になります。



いい作品に辿り着くまで当方のこの手の作品の蒐集はまだまだ続く




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