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一昨日から仕事で羽田→函館→青森→むつ→大間→東通→六ヶ所→八戸→大宮と二日で行って来ました。
さて、本日は本ブログでお馴染みのわが郷里、秋田県出身の画家「寺崎廣業」の作品です。
寺崎廣業の作品は私の実家にひとつもありませんでした。亡くなった家内の実家には贋作と判断される大きな屏風があり、その作品を契機としていろいろ調べるようになりました。もしかしたらたいへん高価なものではないかと懸命に調べました。人間の欲とは計り知れないエネルギーを出させるようです。
富嶽図 寺崎廣業筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙
全体サイズ:縦1150*横352 画サイズ:縦275*横235
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知り合いのコレクターが秀作を何点か所蔵しており、見せていただいたことが大きな収穫でした。やはり本物は違いますというメッセージを受けました。
下記の作品はそのひとつです。
参考作品
寿老 寺崎廣業筆
水墨着色絹本共箱
画サイズ:横416*縦1146
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のちにコレクターが事業に資金が必要となり、思文閣へ10万で売却したそうです。なんと安い値でしか引き取らないものでしょうかと悔しい思いをしました。いつかは手元に所蔵したい作品のひとつです。
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現在はそれほど高い評価を受けている画家ではないので、我々の小遣い程度で購入できるのも事実です。ただ、何度も記述するように贋作が多い画家なので、気をつける必要があります。贋作については印章と落款の資料を突き合わせるとほとんどの判別ができるようです。
富士を題材とした作品は他に真贋がはっきりしているもので「富士図」、「不二図」があります。本作品は色サイズの大きさであり、色紙の描かれた作品を軸装したものと思われます。
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非常の評価が高いのは美人画のですが、美人画は寺崎廣業に関わらず人気があるのでこちらはちょっと手が出ませんね。
秋田県出身の画家は非常に多く、他に平福百穂、穂庵父子、小田野直武・佐竹曙山・佐竹義躬などの秋田蘭画の一派などが著名です。
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秋田には藤田嗣治などの作品も残されており、疎開してきた画家や旅行で滞在していた画家も多数おられます。調べてみると地元としては非常に興味深いものがあります。
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わりと小さな作品ですが、表具もそれなりにこだわった表具がされています。
富嶽と雲・・。家老の家に生まれながら明治維新のよって、武士とは別の道で生計をたてなくてはならなかった寺崎廣業は、絵の道を精進によって結実させた努力の人です。武士の心を忘れぬようにか富士の絵をたくさん描いています。
ところで寺崎廣業のお墓は母が入院しいてる病院の近くにあることを家内が発見しました。早速母の見舞いがてらにお墓参りしてきました。
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隣はなんと佐竹家のお墓です。
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お寺は総泉寺・・、やたらと亀の像が多い。亀の甲羅の上には七福神がのり、それが地球儀のように回転するのにはちょっと驚きました。股の間が噛まれそうなので腰がひけてます。
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寺崎廣業:慶応2年生まれ、大正8年没、享年54歳。秋田藩の家老の家に生まれる。幼名は忠太郎、字は徳郷。初め秀齋、後に宗山、騰竜軒・天籟散人等と号した。初め郷土の小室秀俊に狩野派を学び、のちに上京して刻苦精励、諸派を摂取して晩年には、倪雲林、王蒙に私淑し、新南画の開拓に努めた。東京美術学校教授、文展開設以来審査員、帝室技芸員に任ぜられ東都画壇の重鎮となり、交友広くその生活は頗る華やかであった。
さて、本日は本ブログでお馴染みのわが郷里、秋田県出身の画家「寺崎廣業」の作品です。
寺崎廣業の作品は私の実家にひとつもありませんでした。亡くなった家内の実家には贋作と判断される大きな屏風があり、その作品を契機としていろいろ調べるようになりました。もしかしたらたいへん高価なものではないかと懸命に調べました。人間の欲とは計り知れないエネルギーを出させるようです。
富嶽図 寺崎廣業筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先象牙
全体サイズ:縦1150*横352 画サイズ:縦275*横235
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知り合いのコレクターが秀作を何点か所蔵しており、見せていただいたことが大きな収穫でした。やはり本物は違いますというメッセージを受けました。
下記の作品はそのひとつです。
参考作品
寿老 寺崎廣業筆
水墨着色絹本共箱
画サイズ:横416*縦1146
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のちにコレクターが事業に資金が必要となり、思文閣へ10万で売却したそうです。なんと安い値でしか引き取らないものでしょうかと悔しい思いをしました。いつかは手元に所蔵したい作品のひとつです。
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現在はそれほど高い評価を受けている画家ではないので、我々の小遣い程度で購入できるのも事実です。ただ、何度も記述するように贋作が多い画家なので、気をつける必要があります。贋作については印章と落款の資料を突き合わせるとほとんどの判別ができるようです。
富士を題材とした作品は他に真贋がはっきりしているもので「富士図」、「不二図」があります。本作品は色サイズの大きさであり、色紙の描かれた作品を軸装したものと思われます。
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非常の評価が高いのは美人画のですが、美人画は寺崎廣業に関わらず人気があるのでこちらはちょっと手が出ませんね。
秋田県出身の画家は非常に多く、他に平福百穂、穂庵父子、小田野直武・佐竹曙山・佐竹義躬などの秋田蘭画の一派などが著名です。
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秋田には藤田嗣治などの作品も残されており、疎開してきた画家や旅行で滞在していた画家も多数おられます。調べてみると地元としては非常に興味深いものがあります。
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わりと小さな作品ですが、表具もそれなりにこだわった表具がされています。
富嶽と雲・・。家老の家に生まれながら明治維新のよって、武士とは別の道で生計をたてなくてはならなかった寺崎廣業は、絵の道を精進によって結実させた努力の人です。武士の心を忘れぬようにか富士の絵をたくさん描いています。
ところで寺崎廣業のお墓は母が入院しいてる病院の近くにあることを家内が発見しました。早速母の見舞いがてらにお墓参りしてきました。
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隣はなんと佐竹家のお墓です。
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お寺は総泉寺・・、やたらと亀の像が多い。亀の甲羅の上には七福神がのり、それが地球儀のように回転するのにはちょっと驚きました。股の間が噛まれそうなので腰がひけてます。
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寺崎廣業:慶応2年生まれ、大正8年没、享年54歳。秋田藩の家老の家に生まれる。幼名は忠太郎、字は徳郷。初め秀齋、後に宗山、騰竜軒・天籟散人等と号した。初め郷土の小室秀俊に狩野派を学び、のちに上京して刻苦精励、諸派を摂取して晩年には、倪雲林、王蒙に私淑し、新南画の開拓に努めた。東京美術学校教授、文展開設以来審査員、帝室技芸員に任ぜられ東都画壇の重鎮となり、交友広くその生活は頗る華やかであった。