先週末は図書館、近所の眼鏡店、そして着物屋さんに着物の品物を揃えにお買いもの。定年近くになったので、なかなか背広を新調するのは控えていますが、大島紬を頂いたおかげで着物に興味をほんの少し覚えました。襦袢、帯、羽織の結び、足袋、草履・・、昔父が着ていたのを思い出しました。説明付きな御店主さんの説明を聞きながら、それほどの出費なく一揃え買うことができました。着物に関する用語さえ知らないので、家内だけが頼りです。
1.家内と骨董市にて「いい姿の花入だね。」と言いながら、迷いながらも3万5千円で購入したもの。姿はいいはず・・、大名物花入れの写し・・。また一つ勉強になりました。
倣唐銅花入 鶴一声
胴径*底径*高さ
「大名物花入 唐銅花入 鶴一声」のコピーはは市販品で1万~3万くらいで量産品が売られています。この手の作品は黒等の単色系が多く、本体の生地に深みがない。本作品はコピーでありながら、生地に深みが点で味わいがある。
鶴一声(つるのひとこえ):利休所持の名物花入である、と山上宗二が語った品である。下の写真が本歌です。
大名物、形は柑子口の大曽呂利、桃底に高い高台が付く。すらりとした気品の高い姿で、高台の波文も趣があり、金色がかった鋼色の味わいがすこぶるよい。柑子ロを鶴の嘴(くちばし)、また全体の姿を鶴に見立ててその銘がある。
松平甲斐守の添状によれば、はじめ「鶴のハシ」と呼ばれ、やがて「鶴の一声」となって一層有名になり、天下無双と称されるに至ったことがわかる。唐物とはいえ日本人好みのする花入である。
柑子口で、口が曾呂利より細く、耳がなく、首が細長い、いわゆる鶴首形で、撫肩で、下部が膨らみ、底に高い高台が付き、高台には波涛文が鋳出された古銅花入です。
本物を写した作品・・、まずは一番誤解されやすい作品たちです。
2.下記の作品は面白いと思い購入した作品ですが、著名な「宋胡録」を模倣した作品です。宋胡録には呉須という材料を用いた青い発色の染付は存在しません。どうも製作当時は材料がなく、鉄分の多い顔料で絵付けしており、後世になって模倣品?作りに呉須を用いて製作したようです。
倣宋胡録足付柿蔕盒子(見立香合)
胴径93*底径68*高さ90
宋胡録の説明は下記の通りです。
「宋胡録:昔から美術愛好家や茶人たちの垂涎の的となっていた宋胡録(スンコロク)は、秀吉以前より南蛮貿易によって日本にも輸入されていました。その名はスコータイに隣接する古都スワンカロークを語源としており、タイの国ではこの種の自然釉を使った陶器を総称してサンカローク(SUNKALOK)と呼んでいます。
1855年(安政2年)に日本で作られた「形物香合番付」には、208点の名品があげられていますが、その中に西の最上段前頭6枚目に「宋胡録・柿」が、同じく2段の16枚目に「大中小・宋胡録・食篭」の名があります。
宋胡録の魅力は何といってもその鉄絵(鉄分を多く含んだ顔料で下絵をかき、その上に釉をかけて焼きます)の面白さにあるといっていいでしょう。極く微妙な条件の違いによっても多様に変化するこの炎の芸術は、まさに宋胡録ならではのものです。
しかし、13世紀から16世紀にかけて繁栄した宋胡録の産業はその後衰亡の道をたどり、タイ国の北部の農村地帯などに分散して僅かに残りましたが、なぜかそこには宋胡録の命ともいわれた鉄絵が消滅していました。理由は解りませんが恐らくはこの鉄絵の難しさにあったのではないかと思います。
中国やベトナムの陶器の影響を少なからず受けたと思われる宋胡録がなぜ、呉須(青色顔料)を使わずに鉄絵になったのかといえば、それはタイ国に呉須が産出しなかったというだけのことのようです。これがかえって宋胡録を世界的に有名にする原因になったのでしょう。
宋胡録の釉は2種類の樹木の灰にディンナアナーと呼ばれる田んぼ上積み泥土を調合して作りますが、何しろ全くの自然物ですからその時、その場所によっていろいろと成分の違いが出てくるし、灰にする木の樹皮に附着した土などの異物によっても釉の成分は違ってくるのです。ですから宋胡録の鉄絵というものは呉須絵のように安定せず、ほんの少しの成分の違いや温度あるいはその炎の状態によって色調が変わり、時には絵を崩したり流したりしてしまいます。恐らく昔の陶工たちは、新しく釉を調合した時試験焼きをして、絵がきれいに出ない場合はその陶器を失敗品として捨てたのでしょう。
古美術商などの店頭で見かける絵の流れた物や、ナマ焼けのように白っぽくなっているものはこれらの失敗品の出土品です。絵を定着させない釉や、ナマ焼けで白濁したようの釉も見方によっては趣のある面白い陶芸品を作りますし、茶人の「侘び寂び」を求める心にフィットするかも知れません。事実、今、白濁した釉の陶器などを「これこそ本当の宋胡録だ」と思っている人は意外と多いようです。
しかし、タイの有名な宋胡録蒐集家のコレクションにはこのような作品は無く、殆どが鉄絵の見事な芸術品で、これが宋胡録の本流です。宋胡録の鉄絵はようやく1965年頃から復活し、現在に至っています。1997年にバンコクで開かれた宋胡録陶芸展では鉄絵の見事な作品が数多く紹介され、内外の陶芸品愛好者の目を見張らせるに至りました。タイ人の誇りとするタイの伝統芸術「宋胡録」が南牧村で再び世界の目を集めようとしています。
柿の蔕香合:タイのマンゴスチンを日本では柿に見立てて宋胡録(すんころく)柿香合ともいっています柿の蔕(かきのへた)香合とも言います」
以上は購入してから調べたもの・・。知っていれば買わなかった?・・、身銭で買って学ぶのが常、高い代償かもしれません。
本作品は贋作を作ろうと思って制作してはいますが、なぜか無欲な感じを受けます。使ってやろうか?という気にさせるもの・・、そんな作品も時としてあるものです。そこが骨董の寛容の深さかと思います。
知ったかぶりで「宋胡録には呉須の染付けはないよ。」というのも大人気ないものです。
ちなみにインターネットには下記のような作品が掲載されていました。
宋胡録柿蔕盒子(見立香合)
直径約12.5cm 高さ約12cm
現在のタイ王国、スコータイ王朝時代にスワンカローク窯にて中国陶磁の影響を受けて焼かれた鉄絵の盒子、いわゆる蓋物です。器形はオーソドックスなタイプで大きさはちょっとした小物入れぐらいはあります。 無論掘りの手(発掘品)ではありますが蓋も身もトロリとした光沢があり上品です。蓋が被さる部分に小チップ数箇所を認めますが使用上・鑑賞上の支障はありません。 15世紀頃
このような逸品はざらにはあるものではありません。この作品とて真贋は不明です。
ともかく唐銅にしろスンコロクにしろ、未勉強の分野には失敗が付き物のようです。
着物も骨董も、未知の分野は失敗が付き物です。骨董の教訓「自ら買うべし、売るべし、休むべし(勉強すべし)」をまたまた肝に銘じるこの頃です。
ただ楽しむという境地?に近づくためのステップアップしたように思います。人生も骨董も楽しむと言う境地が達人なのでしょう。
1.家内と骨董市にて「いい姿の花入だね。」と言いながら、迷いながらも3万5千円で購入したもの。姿はいいはず・・、大名物花入れの写し・・。また一つ勉強になりました。
倣唐銅花入 鶴一声
胴径*底径*高さ
「大名物花入 唐銅花入 鶴一声」のコピーはは市販品で1万~3万くらいで量産品が売られています。この手の作品は黒等の単色系が多く、本体の生地に深みがない。本作品はコピーでありながら、生地に深みが点で味わいがある。
鶴一声(つるのひとこえ):利休所持の名物花入である、と山上宗二が語った品である。下の写真が本歌です。
大名物、形は柑子口の大曽呂利、桃底に高い高台が付く。すらりとした気品の高い姿で、高台の波文も趣があり、金色がかった鋼色の味わいがすこぶるよい。柑子ロを鶴の嘴(くちばし)、また全体の姿を鶴に見立ててその銘がある。
松平甲斐守の添状によれば、はじめ「鶴のハシ」と呼ばれ、やがて「鶴の一声」となって一層有名になり、天下無双と称されるに至ったことがわかる。唐物とはいえ日本人好みのする花入である。
柑子口で、口が曾呂利より細く、耳がなく、首が細長い、いわゆる鶴首形で、撫肩で、下部が膨らみ、底に高い高台が付き、高台には波涛文が鋳出された古銅花入です。
本物を写した作品・・、まずは一番誤解されやすい作品たちです。
2.下記の作品は面白いと思い購入した作品ですが、著名な「宋胡録」を模倣した作品です。宋胡録には呉須という材料を用いた青い発色の染付は存在しません。どうも製作当時は材料がなく、鉄分の多い顔料で絵付けしており、後世になって模倣品?作りに呉須を用いて製作したようです。
倣宋胡録足付柿蔕盒子(見立香合)
胴径93*底径68*高さ90
宋胡録の説明は下記の通りです。
「宋胡録:昔から美術愛好家や茶人たちの垂涎の的となっていた宋胡録(スンコロク)は、秀吉以前より南蛮貿易によって日本にも輸入されていました。その名はスコータイに隣接する古都スワンカロークを語源としており、タイの国ではこの種の自然釉を使った陶器を総称してサンカローク(SUNKALOK)と呼んでいます。
1855年(安政2年)に日本で作られた「形物香合番付」には、208点の名品があげられていますが、その中に西の最上段前頭6枚目に「宋胡録・柿」が、同じく2段の16枚目に「大中小・宋胡録・食篭」の名があります。
宋胡録の魅力は何といってもその鉄絵(鉄分を多く含んだ顔料で下絵をかき、その上に釉をかけて焼きます)の面白さにあるといっていいでしょう。極く微妙な条件の違いによっても多様に変化するこの炎の芸術は、まさに宋胡録ならではのものです。
しかし、13世紀から16世紀にかけて繁栄した宋胡録の産業はその後衰亡の道をたどり、タイ国の北部の農村地帯などに分散して僅かに残りましたが、なぜかそこには宋胡録の命ともいわれた鉄絵が消滅していました。理由は解りませんが恐らくはこの鉄絵の難しさにあったのではないかと思います。
中国やベトナムの陶器の影響を少なからず受けたと思われる宋胡録がなぜ、呉須(青色顔料)を使わずに鉄絵になったのかといえば、それはタイ国に呉須が産出しなかったというだけのことのようです。これがかえって宋胡録を世界的に有名にする原因になったのでしょう。
宋胡録の釉は2種類の樹木の灰にディンナアナーと呼ばれる田んぼ上積み泥土を調合して作りますが、何しろ全くの自然物ですからその時、その場所によっていろいろと成分の違いが出てくるし、灰にする木の樹皮に附着した土などの異物によっても釉の成分は違ってくるのです。ですから宋胡録の鉄絵というものは呉須絵のように安定せず、ほんの少しの成分の違いや温度あるいはその炎の状態によって色調が変わり、時には絵を崩したり流したりしてしまいます。恐らく昔の陶工たちは、新しく釉を調合した時試験焼きをして、絵がきれいに出ない場合はその陶器を失敗品として捨てたのでしょう。
古美術商などの店頭で見かける絵の流れた物や、ナマ焼けのように白っぽくなっているものはこれらの失敗品の出土品です。絵を定着させない釉や、ナマ焼けで白濁したようの釉も見方によっては趣のある面白い陶芸品を作りますし、茶人の「侘び寂び」を求める心にフィットするかも知れません。事実、今、白濁した釉の陶器などを「これこそ本当の宋胡録だ」と思っている人は意外と多いようです。
しかし、タイの有名な宋胡録蒐集家のコレクションにはこのような作品は無く、殆どが鉄絵の見事な芸術品で、これが宋胡録の本流です。宋胡録の鉄絵はようやく1965年頃から復活し、現在に至っています。1997年にバンコクで開かれた宋胡録陶芸展では鉄絵の見事な作品が数多く紹介され、内外の陶芸品愛好者の目を見張らせるに至りました。タイ人の誇りとするタイの伝統芸術「宋胡録」が南牧村で再び世界の目を集めようとしています。
柿の蔕香合:タイのマンゴスチンを日本では柿に見立てて宋胡録(すんころく)柿香合ともいっています柿の蔕(かきのへた)香合とも言います」
以上は購入してから調べたもの・・。知っていれば買わなかった?・・、身銭で買って学ぶのが常、高い代償かもしれません。
本作品は贋作を作ろうと思って制作してはいますが、なぜか無欲な感じを受けます。使ってやろうか?という気にさせるもの・・、そんな作品も時としてあるものです。そこが骨董の寛容の深さかと思います。
知ったかぶりで「宋胡録には呉須の染付けはないよ。」というのも大人気ないものです。
ちなみにインターネットには下記のような作品が掲載されていました。
宋胡録柿蔕盒子(見立香合)
直径約12.5cm 高さ約12cm
現在のタイ王国、スコータイ王朝時代にスワンカローク窯にて中国陶磁の影響を受けて焼かれた鉄絵の盒子、いわゆる蓋物です。器形はオーソドックスなタイプで大きさはちょっとした小物入れぐらいはあります。 無論掘りの手(発掘品)ではありますが蓋も身もトロリとした光沢があり上品です。蓋が被さる部分に小チップ数箇所を認めますが使用上・鑑賞上の支障はありません。 15世紀頃
このような逸品はざらにはあるものではありません。この作品とて真贋は不明です。
ともかく唐銅にしろスンコロクにしろ、未勉強の分野には失敗が付き物のようです。
着物も骨董も、未知の分野は失敗が付き物です。骨董の教訓「自ら買うべし、売るべし、休むべし(勉強すべし)」をまたまた肝に銘じるこの頃です。
ただ楽しむという境地?に近づくためのステップアップしたように思います。人生も骨董も楽しむと言う境地が達人なのでしょう。
春の雪解け水が、今まさに一滴垂れ落ちんとする瞬間のようでもあり・・・。
ブログの背景も和服姿も春らしくなって「ウキウキ、ワクワク」してきます。
ところで、先のブログに記してらした「ツナグ」を読みました。
面白い内容ですが、想いを次の世代にツナイデいくことが重要ですね。
コメントをありがとうございます。
利休はこの花入の美しさゆえ、口いっぱいまでの水のみで花を生けずに飾ったそうですが、その表現がまさしく米吉さんのコメントの表現になるのでしょうね。
なるほど「ツナグ」は死者とつなぐ以外に次の世代にツナグですか。我々の残された課題でもありますね。