洗濯物を干すのを手伝い始めた息子。今までは片付けは手伝っていましたが、椅子の上に乗って手伝いを始めたようです。
本日はまだ仙台に赴任していた頃に入手した作品の紹介で、写真を取り直したのでリメイクした原稿での投稿です。
琵琶に菊 鈴木其一筆
絹本着色絹装軸箱入
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横305*縦905
鈴木其一の画風をよく表している作品。琳派の影響とともに其一の独自の装飾性が現れている。「青々其一」の落款と「祝琳」の白方印が押印されていています。
仙台の骨董店「吸古堂」からの購入作品ですが、琵琶の蒔絵の表現、菊の描写が見事であり、大切にしていきたい作品。
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鈴木其一:寛政8年生まれ、安政5年没(1796年~1858年)、享年63歳。名は元長、字は子淵。酒井抱一の弟子となったが、同門の鈴木蠣潭が文化14年(1817年)に26歳で早世したので、その姉と結婚させて鈴木家を継がせ、酒井家の家臣に列して抱一の付け人とした。
その画は抱一の画風の影響をよく受け、抱一以上に装飾的で象徴的な画体に達し、俳諧や諸芸にも通じた。あまりにも抱一の影響を受け、画体が良く似ていたので、其一が絵を描き、抱一が落款を書いたと言う諸説がある。
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1844年頃からは、「菁々其一」と号を改めた菁々落款に変わります。「菁々」も『詩経』小雅にあり、「盛んなさま」「茂盛なさま」を指し、転じて人材を育成することを意味しています。明らかに光琳の号「青々」も踏まえており、この改号には、師抱一を飛び越えて光琳を射程としつつ、次なる段階に進み、自ら後進を育てようと目論む其一の意欲が窺えるものです。
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その作風は再び琳派の伝統に回帰する一方で、其一の個性的造形性が更に純化する傾向が混在したまま完成度を高め、ある種の幻想的な画趣を帯びるようになっていきます。ただし、晩年には工房作とおぼしき其一らしからぬ凡庸な作品が少なからず残り、師・抱一と同様、其一も弟子に代作させたと見られています。
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高い描写力に裏打ちされた明快な色彩と構図、驚きや面白みを潜ませる機知的な趣向は、敢えて余情を配するかのような理知的な画風を特徴付けています。
琳派の掉尾を飾るとも評されますが、美人画や風俗画などの単に琳派や抱一様式に収まらない、個性的な要素を多く含んでいると言えましょう。
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描き方も、本来は仏画に用いる技法である表具にも絵を施す「絵描装(描表装)」をしばしば用い、本紙の絵に多様なデザインを取り合わせ、時に本紙の中に侵入するだまし絵のような効果を与えている作品もあります。
こうした肉筆画の一方、其一は狂歌本挿絵や狂歌摺物、団扇絵版錦絵や千代紙といった版下絵の仕事も積極的にこなしています。
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雅趣豊かな抱一の作風とは対照的に、硬質で野卑とも言うべき感覚を盛り込んだ其一の作品は、長く国内の評価が低迷し、作品の流失と研究の立ち遅れを余儀なくされていました。
しかし、近年の所謂「奇想の絵師」達の評価見直しが進むに連れて、琳派史上に異彩を放つ絵師として注目を集めつつあります。
平成20年(2008年)東京国立博物館で開かれた『大琳派展』では、宗達・光琳・抱一に並んで其一も大きく取り上げられ、琳派第4の大家として認知されつつあります。
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付き人から後世に琳派の代表的な画家に昇華した人物ですね。
細かいところも良く描けています。
ちょっと洒落た風鎮を付けてみました。
男の隠れ家に状況する以前に蒐集した作品がありますが、そちらの整理にかかりだしました。早くから蒐集した作品の整理は、着ているものを洗濯をして干しているような感覚です。「解るかな~?、この感覚」。お気に入りの服はながく~着る、気に入らなくなったものは捨てて新たな服が欲しくなる・・・・
本日はまだ仙台に赴任していた頃に入手した作品の紹介で、写真を取り直したのでリメイクした原稿での投稿です。
琵琶に菊 鈴木其一筆
絹本着色絹装軸箱入
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横305*縦905
鈴木其一の画風をよく表している作品。琳派の影響とともに其一の独自の装飾性が現れている。「青々其一」の落款と「祝琳」の白方印が押印されていています。
仙台の骨董店「吸古堂」からの購入作品ですが、琵琶の蒔絵の表現、菊の描写が見事であり、大切にしていきたい作品。
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鈴木其一:寛政8年生まれ、安政5年没(1796年~1858年)、享年63歳。名は元長、字は子淵。酒井抱一の弟子となったが、同門の鈴木蠣潭が文化14年(1817年)に26歳で早世したので、その姉と結婚させて鈴木家を継がせ、酒井家の家臣に列して抱一の付け人とした。
その画は抱一の画風の影響をよく受け、抱一以上に装飾的で象徴的な画体に達し、俳諧や諸芸にも通じた。あまりにも抱一の影響を受け、画体が良く似ていたので、其一が絵を描き、抱一が落款を書いたと言う諸説がある。
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1844年頃からは、「菁々其一」と号を改めた菁々落款に変わります。「菁々」も『詩経』小雅にあり、「盛んなさま」「茂盛なさま」を指し、転じて人材を育成することを意味しています。明らかに光琳の号「青々」も踏まえており、この改号には、師抱一を飛び越えて光琳を射程としつつ、次なる段階に進み、自ら後進を育てようと目論む其一の意欲が窺えるものです。
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その作風は再び琳派の伝統に回帰する一方で、其一の個性的造形性が更に純化する傾向が混在したまま完成度を高め、ある種の幻想的な画趣を帯びるようになっていきます。ただし、晩年には工房作とおぼしき其一らしからぬ凡庸な作品が少なからず残り、師・抱一と同様、其一も弟子に代作させたと見られています。
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高い描写力に裏打ちされた明快な色彩と構図、驚きや面白みを潜ませる機知的な趣向は、敢えて余情を配するかのような理知的な画風を特徴付けています。
琳派の掉尾を飾るとも評されますが、美人画や風俗画などの単に琳派や抱一様式に収まらない、個性的な要素を多く含んでいると言えましょう。
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描き方も、本来は仏画に用いる技法である表具にも絵を施す「絵描装(描表装)」をしばしば用い、本紙の絵に多様なデザインを取り合わせ、時に本紙の中に侵入するだまし絵のような効果を与えている作品もあります。
こうした肉筆画の一方、其一は狂歌本挿絵や狂歌摺物、団扇絵版錦絵や千代紙といった版下絵の仕事も積極的にこなしています。
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雅趣豊かな抱一の作風とは対照的に、硬質で野卑とも言うべき感覚を盛り込んだ其一の作品は、長く国内の評価が低迷し、作品の流失と研究の立ち遅れを余儀なくされていました。
しかし、近年の所謂「奇想の絵師」達の評価見直しが進むに連れて、琳派史上に異彩を放つ絵師として注目を集めつつあります。
平成20年(2008年)東京国立博物館で開かれた『大琳派展』では、宗達・光琳・抱一に並んで其一も大きく取り上げられ、琳派第4の大家として認知されつつあります。
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付き人から後世に琳派の代表的な画家に昇華した人物ですね。
細かいところも良く描けています。
ちょっと洒落た風鎮を付けてみました。
男の隠れ家に状況する以前に蒐集した作品がありますが、そちらの整理にかかりだしました。早くから蒐集した作品の整理は、着ているものを洗濯をして干しているような感覚です。「解るかな~?、この感覚」。お気に入りの服はながく~着る、気に入らなくなったものは捨てて新たな服が欲しくなる・・・・