夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

川渡布袋図 伝久隅守景筆

2013-11-01 05:09:21 | 掛け軸
組織というのは常に改革し続けなくてはならないようです。改革の失敗を恐れ、なにもし続けると大きなツケを負うこととなるようです。むやみに行ってもいけないのも事実ですが、トップ自ら失敗を恐れず、モチベーションを昂揚するように改革し続けることが組織や企業の永遠の命題のようです。

家内は小康状態で長引きそうです。病院にいるので精神的には楽ですが・・。
こちらは炊事、洗濯、掃除・・。
郷里の自宅は屋根補修。かなり痛んでいるようで、大工事となりました。隣人の方が現場監督?してくれて、非常に助かります。感謝、感謝・・。
郷里の義母や義妹、愛犬も元気そうです。

さて、本日は布袋様・・・、川を渡る布袋様を描くにはそれなりの謂れがあるようです。

「延宝5年丁巳七月十七日(1677年)寛利(詳細不詳)拝領」と箱書きにはあります。

箱書きが真実だとすると久隅守景が亡くなったのが1698年であるなどから推察すると、まだ存命中に拝領された作品です。

1672年に子息の不祥事が起きており、久隅守景は一説にこの後の延宝年間(1673~1681)加賀(金沢)に赴き,6年間滞在し、加賀藩の家老今枝、小幡の両家並びに家柄町人片岡孫兵衛の家に寄宿したと伝えられています。

この守景の加賀行きと関連して,富山県高岡市の瑞竜寺には守景の水墨襖絵8面が残されています。この寺は加賀藩主前田利常が兄利長の菩提を弔うために建立したもので、造営は正保2年から明暦2年の間(1645~56)で,襖絵の制作も同時期と思われます。

本作品もこの頃に関連し、金沢にいた頃の作と推察されます。

川を渡る布袋図は数多くの画家に描かれています。多くの功徳を積んだ布袋が川を渡ろうとし、水面を見たら自分の姿が弥勒(中国では布袋様は弥勒菩薩のこと)となり写っていることに気がつき、見送りする皆は見たのかな?と振り返ったありがたい姿を捉えている画題です。


川渡布袋図 久隅守景筆
紙本水墨軸装 軸先骨 由来箱入
全体サイズ:縦1720*横500 画サイズ:縦790*横370



箱には本作品に関する箱書があるようですが、詳細は不明です。


 


また書付もありますが、判読できていません。





久隅 守景:(くすみ もりかげ、生没年不詳)は江戸時代前期の狩野派の絵師。その画力や寛永から元禄のおよそ60年にも及ぶ活動期間、現存する作品数(約200点)に比べて、人生の足跡をたどれる資料や手がかりが少なく謎が多い画家である。通称を半兵衛といい、無下斎、無礙斎、一陳翁、棒印などと号した。





若くして狩野探幽守信の門に入り、神足常庵守周、桃田柳栄守光、尾形幽元守義と共に四天王と謳われた。「山水・人物を得意とし、その妙は雪舟と伯仲、探幽門下で右に出る者なし」と評されている。前半生は狩野派一門内の逸材として重きをなした。その現れに、探幽の妹・鍋と結婚していた神足常庵の娘で、探幽の姪にあたる国と結婚し、師の一字を拝領して「守信」と名乗っている。




守景には一男一女がおり、二人とも父を継いで絵師になったが、寛文12年前後に息子の彦十郎が、悪所通いの不行跡などが原因で狩野家から破門され、さらに罪を得て佐渡へ流される。また、娘の雪信も同じ狩野門下の塾生と駆け落ちをするといった不祥事が続く。これが切っ掛けとなって狩野派から距離を置き、後に金沢に向かい、そこで充実した制作活動を送った。





彼の代表作である『夕顔棚納涼図屏風』(東京国立博物館蔵)や『四季耕作図屏風』(石川県立美術館蔵 重要文化財)はこの時期の作品と推定され、農民の何げない日常の一コマや生業のさまなどを朴訥な作風で描き、守景独自の世界を切り開いた。晩年は京都に住み、古筆了仲の『扶桑画人伝』(明治21年(1888年)刊)では、藤村庸軒らの茶人と交わり茶三昧の生活を送ったと記されている。しかし、制作活動は最晩年に至るまで衰えず、『加茂競馬・宇治茶摘図屏風』(大倉集古館蔵 重文)など老いを感じさせない瑞々しい作品を残している。元禄11年(1698年)に庸軒の肖像画を描いたとされ、この後に亡くなったと推定される。



師・探幽とは異なり、味わいある訥々な墨線が特徴で、耕作図などの農民の生活を描いた風俗画を数多く描いた。探幽以後の狩野派がその画風を絶対視し、次第に形式化・形骸化が進むなかで、守景は彼独自の画風を確立したことは高く評価される。彼の少し後の同じ狩野派の絵師で、やはり個性的な画風を発揮した英一蝶と並び評されることが多い。


表具は製作時期からかなり痛んでから再表具しており、それからまたかなり痛んでいますがそれがまたいい味のある状態になっています。




前にブログに投稿した下記の作品とともに布袋の佳品といえます。

古画 布袋図
紙本水墨額装 画サイズ:横225*縦440


狩野探幽には多くの弟子がいましたが、子供はかなり年齢を経てからでき、結局はその長子の狩野探信に鍛冶橋狩野家を継がせました。しかし、久隅守景のような才のある画家は鍛冶橋狩野家から輩出されず廃れていきます。優秀な後継者を失って憂き目をみたのは狩野家そのものだったといえるかもしれません。


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