![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/d3/948f8c68694b44536fc7ccaebbc7172b.jpg)
仙台、四国~広島の二日続けての日帰り出張完了・・。各々懇親会・・、最初からカラオケ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/panda_2.gif)
懐かしい面々もおりました・・でもさすがにくたびれた![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_7.gif)
この前は田舎から義母が送ってくれたきりたんぽ・・、今回は東京にいる母と姉が秋田から送ってくれたきりたんぽ・・。ところで何故「きりたんぽ」というかは本ブログの愛読者はすでにご存知ですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/82/4d3067f65d8f78cb0da2fe1a81e9723a.jpg)
今住んでいるマンションで元同僚と囲んだ年末のきりたんぽ・・、今は元同僚とは縁が薄くなった感のあり寂しい感じです。
年末といえば米吉さんの名作「干支作品」の季節ともまりました。米吉さんの名作「干支作品」を知りたい方は末尾のリンク先にてどうぞ・・。
本日は「虎之図」の作品です。本ブログでも数多くの虎の絵を投稿したような気がします。
日本画に多いのは「虎之図」、「鷹之図」、「龍之図」ですが、いずれも魔除け、そして武士としての威厳ももつ画題です。
竹下岩上猛虎図 佐伯岸駒筆
絹本水墨淡彩 軸先骨 合箱
全体サイズ:縦1850*横500 画サイズ:縦1008*横372
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/e1/041b1b0dbef2fda6fa3f36d8b992cdde.jpg)
まるでイグアナのように身構えた虎の図は岸派後継の佐伯岸岱も描いているので得意とした構図のようである。墨一色の虎図より念入りに描かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/a3/a2dd7bf43a9805a11da94f74c8cecb14.jpg)
岸駒:宝暦6.3.15 (1756.4.14)~没年: 天保9.12.5 (1839.1.19)。江戸中・後期の画家。岸は姓,駒は名であるが,通常「がんく」と音読みにする。字は賁然,号は華陽,同功館。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/b5/b35831cae203315b0233b810eb569533.jpg)
加賀国(石川県)金沢に生まれる。紺屋に奉公し,加賀染の仕事に従事,貧しかったため商家の看板をみて字を覚え,絵も独習したという。安永9(1780)年京都へ上り,本格的な絵画活動を始め,明清画,南蘋派,円山派などの画風を手当たりしだいに独学で学び,自己の画風を築いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/f7/1d66184ecc2e98319ebad23b19eafcef.jpg)
岸派を形成して多数の門人を教育した。子の岸岱,河村文鳳,『画乗要略』を著した白井華陽,明治になって活躍した岸竹堂などが知られている。円山応挙亡きあとは呉春と人気を二分したが,自己顕示欲の強さは人々の顰蹙を買ったといわれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/93/b7adc68faa82308bba6f1247af44ccbf.jpg)
特に画料の高いことは有名で,寺院の天井画を描いた折,「竜の画は岸か寄進かしらねども二百両とは高い天井」と狂歌ではやされた。
また巧みに自分を売り込む術にたけ,初めて京に上ったとき,蘭斎と号したが,当時大坂では森蘭斎が活躍しており,岸駒はデビューするための方便として同じ号を名乗ったとする説もある。
天保7(1836)年には従五位越前守にまで上った。虎を得意とした。83歳で没したが,晩年みずから7歳を加算したため90歳説もある。京都寺町今出川の本願寺に葬られた。
参考作品
猛虎図
思文閣墨蹟資料目録 「和の美」 第451号 作品NO62
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/77/59dd2aa277f335359bb300d8b52441bd.jpg)
本作品と同時期の作品と思われますが、本作品の落款が「越前守岸駒」ですが、参考作品は「天開翁岸駒」です。本作品の落款が「越前守岸駒」であることから1836年以降の作品であり、1839年に亡くなっていることから80歳以降の最晩年の作品である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/cd/dbe23e4df996f6b5ba9399433ee2007e.jpg)
印章は両作品共に「岸駒」の白文朱印、「賁然」の朱文方印の累印が押印されている。
本作品印章↓ 参考作品「猛虎図」印章↓
「震えるような肥痩のある戦筆、細かい毛描き、毛並みの豊かの質感が見事に表現されている。」と参考作品に評されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/99/dfa8fe0086053e491b9b4884a92124bc.jpg)
評価金額は思文閣の墨蹟資料目録「和の美」としては最低の25万です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/75/68e6d5280ddfb76cb7b75be63f9952e2.jpg)
当ブログのもっとも評価している虎の作品は下記の作品です。
正面之虎 大橋翠石筆絹本着色軸装収納箱二重箱 所蔵箱書 軸先本象牙
全体サイズ:横552*縦2070 画サイズ:横410*縦1205
ここで予告した作品とは・・、去年は龍の作品。
私が出張の間に家内はさいたまアリーナの骨董市と銀座の老舗の展示会に行ってきたらしい
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懐かしい面々もおりました・・でもさすがにくたびれた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_7.gif)
この前は田舎から義母が送ってくれたきりたんぽ・・、今回は東京にいる母と姉が秋田から送ってくれたきりたんぽ・・。ところで何故「きりたんぽ」というかは本ブログの愛読者はすでにご存知ですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/82/4d3067f65d8f78cb0da2fe1a81e9723a.jpg)
今住んでいるマンションで元同僚と囲んだ年末のきりたんぽ・・、今は元同僚とは縁が薄くなった感のあり寂しい感じです。
年末といえば米吉さんの名作「干支作品」の季節ともまりました。米吉さんの名作「干支作品」を知りたい方は末尾のリンク先にてどうぞ・・。
本日は「虎之図」の作品です。本ブログでも数多くの虎の絵を投稿したような気がします。
日本画に多いのは「虎之図」、「鷹之図」、「龍之図」ですが、いずれも魔除け、そして武士としての威厳ももつ画題です。
竹下岩上猛虎図 佐伯岸駒筆
絹本水墨淡彩 軸先骨 合箱
全体サイズ:縦1850*横500 画サイズ:縦1008*横372
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/e1/041b1b0dbef2fda6fa3f36d8b992cdde.jpg)
まるでイグアナのように身構えた虎の図は岸派後継の佐伯岸岱も描いているので得意とした構図のようである。墨一色の虎図より念入りに描かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/a3/a2dd7bf43a9805a11da94f74c8cecb14.jpg)
岸駒:宝暦6.3.15 (1756.4.14)~没年: 天保9.12.5 (1839.1.19)。江戸中・後期の画家。岸は姓,駒は名であるが,通常「がんく」と音読みにする。字は賁然,号は華陽,同功館。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/b5/b35831cae203315b0233b810eb569533.jpg)
加賀国(石川県)金沢に生まれる。紺屋に奉公し,加賀染の仕事に従事,貧しかったため商家の看板をみて字を覚え,絵も独習したという。安永9(1780)年京都へ上り,本格的な絵画活動を始め,明清画,南蘋派,円山派などの画風を手当たりしだいに独学で学び,自己の画風を築いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/f7/1d66184ecc2e98319ebad23b19eafcef.jpg)
岸派を形成して多数の門人を教育した。子の岸岱,河村文鳳,『画乗要略』を著した白井華陽,明治になって活躍した岸竹堂などが知られている。円山応挙亡きあとは呉春と人気を二分したが,自己顕示欲の強さは人々の顰蹙を買ったといわれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/93/b7adc68faa82308bba6f1247af44ccbf.jpg)
特に画料の高いことは有名で,寺院の天井画を描いた折,「竜の画は岸か寄進かしらねども二百両とは高い天井」と狂歌ではやされた。
また巧みに自分を売り込む術にたけ,初めて京に上ったとき,蘭斎と号したが,当時大坂では森蘭斎が活躍しており,岸駒はデビューするための方便として同じ号を名乗ったとする説もある。
天保7(1836)年には従五位越前守にまで上った。虎を得意とした。83歳で没したが,晩年みずから7歳を加算したため90歳説もある。京都寺町今出川の本願寺に葬られた。
参考作品
猛虎図
思文閣墨蹟資料目録 「和の美」 第451号 作品NO62
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/77/59dd2aa277f335359bb300d8b52441bd.jpg)
本作品と同時期の作品と思われますが、本作品の落款が「越前守岸駒」ですが、参考作品は「天開翁岸駒」です。本作品の落款が「越前守岸駒」であることから1836年以降の作品であり、1839年に亡くなっていることから80歳以降の最晩年の作品である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/30/8acaceab000feeedd3b74237553bca42.jpg)
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印章は両作品共に「岸駒」の白文朱印、「賁然」の朱文方印の累印が押印されている。
本作品印章↓ 参考作品「猛虎図」印章↓
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/99/dfa8fe0086053e491b9b4884a92124bc.jpg)
評価金額は思文閣の墨蹟資料目録「和の美」としては最低の25万です。
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当ブログのもっとも評価している虎の作品は下記の作品です。
正面之虎 大橋翠石筆絹本着色軸装収納箱二重箱 所蔵箱書 軸先本象牙
全体サイズ:横552*縦2070 画サイズ:横410*縦1205
ここで予告した作品とは・・、去年は龍の作品。
私が出張の間に家内はさいたまアリーナの骨董市と銀座の老舗の展示会に行ってきたらしい
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_7.gif)
自分だけのコレクションでは気がつかなかったこと、調べていなかったことなどがよくあります。
今後ともよろしく御願いします。
島田雪谷・・、調べてみます。
マニアックな趣味は健全であればいいことだと思っています。ゴルフなど誰でもやる趣味よりはよっぽどいいと思っています。がんばりましょう
あと「青崖問題」もこういう謎解きは好きなほうですがサッパリです。島田雪谷も絵によっては青涯と落款を入れたようですし、謎は深まるばかりですね。