![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/24/01409c027a1b9930fed10686c480f034.jpg)
秋日 土田麦僊筆
紙本着色絹装軸 軸先陶製 合箱
全体サイズ:縦1130*横303 画サイズ:縦240*横204
共箱ではありませんでした(共箱でないなにも書かれていない箱は合箱といいます)ので、題名の「秋日」は仮の題としています。
春にふさわしい掛け軸として、もうひとつ所蔵品である小茂田青樹の「春日」があり、こちらは共箱ですが、対として面白いち思い、「秋日」と仮題をつけました。
下の写真が「春日 小茂田青樹筆」です。
詳しい紹介はまた後日![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/baikin_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/d6/f2542bb431b0e176846f4dfa6e9a28ac.jpg)
軸先は陶器製で、表具も洒落ています。作品もしっかりしています。嬉しい作品です。
掛け軸は絵とともに表具も楽しめます。暮らしを豊かする掛け軸が今、お買い得![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/onigiri_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/e8/777f29f07de34ef74e14f807ccbbea4e.jpg)
土田麦僊:新潟県佐渡に生まれる。本名金二。
1903年(明治36)京都に出て鈴木松年の門に入り、翌年から竹内栖鳳に師事して竹内家に起居する。・・・上村松園と同じ・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
09年、その年に開設された京都市立絵画専門学校の別科に入学。同科に小野竹喬、野長瀬晩花、また本科に村上華岳、榊原紫峰らがいた。
在学中に黒猫会(シャ・ノワール)、仮面会(ル・マスク)の結成に加わり、11年に同校を卒業。18年(大正7)には華岳、竹喬、紫峰らと国画創作協会を結成して第1回展に『湯女(ゆな)』を出品。21~23年のヨーロッパ旅行を挟んで、協会の解散する28年(昭和3)まで、日本画に新生面を開いた。協会解散後は帝展に復帰し、30年に審査員、34年には帝国美術院会員。
京都で没。1923年に開いた画塾山南会(さんなんかい)からは福田豊四郎、北沢映月、小松均らが出た。哲学者土田杏村はその弟。
紙本着色絹装軸 軸先陶製 合箱
全体サイズ:縦1130*横303 画サイズ:縦240*横204
共箱ではありませんでした(共箱でないなにも書かれていない箱は合箱といいます)ので、題名の「秋日」は仮の題としています。
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春にふさわしい掛け軸として、もうひとつ所蔵品である小茂田青樹の「春日」があり、こちらは共箱ですが、対として面白いち思い、「秋日」と仮題をつけました。
下の写真が「春日 小茂田青樹筆」です。
詳しい紹介はまた後日
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軸先は陶器製で、表具も洒落ています。作品もしっかりしています。嬉しい作品です。
掛け軸は絵とともに表具も楽しめます。暮らしを豊かする掛け軸が今、お買い得
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土田麦僊:新潟県佐渡に生まれる。本名金二。
1903年(明治36)京都に出て鈴木松年の門に入り、翌年から竹内栖鳳に師事して竹内家に起居する。・・・上村松園と同じ・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_5.gif)
09年、その年に開設された京都市立絵画専門学校の別科に入学。同科に小野竹喬、野長瀬晩花、また本科に村上華岳、榊原紫峰らがいた。
在学中に黒猫会(シャ・ノワール)、仮面会(ル・マスク)の結成に加わり、11年に同校を卒業。18年(大正7)には華岳、竹喬、紫峰らと国画創作協会を結成して第1回展に『湯女(ゆな)』を出品。21~23年のヨーロッパ旅行を挟んで、協会の解散する28年(昭和3)まで、日本画に新生面を開いた。協会解散後は帝展に復帰し、30年に審査員、34年には帝国美術院会員。
京都で没。1923年に開いた画塾山南会(さんなんかい)からは福田豊四郎、北沢映月、小松均らが出た。哲学者土田杏村はその弟。
楽しみにしています
頭の中ではロマンチックなイメージが湧いてきています。
乞うご期待のほど。
デジカメ画像、了解しました。
ところで、年賀状の案は決りました
更に、掛け軸の黒墨色が、これまた良いですねえ~~!
私の大好きな繪です!是非ともデジカメ画像をいただきたく!!
米吉、感激!!!