peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

一関市地主町・芭蕉二夜庵跡&ナツメ(棗)の実 2015年1月14日(水)

2015年01月15日 | 芭蕉の「奥の細道」を歩く

2015年1月14日(水)、一関市地主町(じしゅまち)の磐井川に架かる磐井橋の近くに「松尾芭蕉二夜庵跡」があります。その近くにある民家の前に植栽されているナツメ(棗)の木が、実を沢山つけていました。この時期、大抵の木の実は落ちてしまうか、鳥などに食われて無くなっているのに未だ沢山付いていたので印象に残りました。

(上)奥の方に見える小高い山は釣山公園。

(上)この道路が「地主町(じしゅまち)通り」でこの両側が地主町

(上)奥の方に見えるアンテナが4基建っている山が蘭梅山(らんばいさん)で、今は公園になっている。

ナツメ(棗) クロウメモドキ科 ナツメ属 Zizyphus jujuba var.inermis

中国北部原産の落葉小高木。高さ5~10mになる。葉は互生し、長さ2~4㎝の卵形または長卵形で光沢があり、3脈が目立つ。縁には浅い鈍鋸歯がある。6月頃、葉腋に黄色の小さな花を数個開く。花弁、雄しべ、萼片はともに5個。雌しべは1個。果実は長さ2~3㎝の楕円形で黄褐色に熟し、食用や薬用にする。母種のサネブトナツメには托葉の変化した刺が多い。和名は’夏芽’のことで、初夏になって芽を出すことによる。用途:庭木。

                                            [山と渓谷社発行「山渓カラー名鑑・日本の樹木」より]

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%84%E3%83%A1 [ナツメ:Wikipedia]

 http://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/natume.htm [ナツメ(棗/なつめ):旬の果物百科]

 


「奥の細道を訪ねて・第14回~加賀百万石の城下町金沢より福井まで」第1日(その9)2014年11月5日(水)

2014年12月04日 | 芭蕉の「奥の細道」を歩く

 「兼六園案内図」にある霞ケ池の岸辺にある雪吊りされた唐崎松(からさきのまつ)を見ながら徽軫灯籠(ことじとうろう)の所に着きました。すぐそばにある虹橋を渡って栄螺山(さざえやま)に至る道に入ります。 

(上3つと下6つ)徽軫灯籠(ことじとうろう):徽軫灯籠 は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱に似ているのでのの名がついたといわれています。この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したもので、高さは2.67m。かたわらのモミジの古木、曲水に架かる虹橋と一体となって優れた風景を醸し出しています。

(下3つ)霞ケ池の上に建つ内橋亭:栄螺山(さざえやま)の方から行かれるようです。

 

(上と下)霞ケ池の中にある蓬莱島:

 


「奥の細道を訪ねて・第14回~加賀百万石の城下町金沢より福井まで」第1日(その8)2014年11月5日(水)

2014年12月03日 | 芭蕉の「奥の細道」を歩く

「兼六園案内図」にある雁行橋(がんこうばし)から雪見橋を渡って霞ケ池の方に向かいます。季節の風物詩になっている唐崎松(からさきのまつ)の雪吊りがはじまっていました。11/21(金)からは金沢城・兼六園ライトアップも始まるようです。

雁行橋(がんこうばし):11枚の赤戸室石を使用し、雁が夕空に列をなして飛んで行く様をかたどった「雁行橋」。石の1枚1枚が亀の甲の形をしていることから「亀甲橋」ともいわれ、この橋を渡ると長生きするとされてきましたが、現在は石の摩耗が著しいため、通行できなくなっています。 

唐崎松(からさきのまつ):兼六園の中で最も枝ぶりが見事な松である。13代藩主・斉泰(なりやす)公が琵琶湖畔の唐崎から種子を取り寄せて実生から育てた黒松である。11月1日から雪吊り作業を始める。北陸に冬の訪れを告げる風物詩となっている。

 


「奥の細道を訪ねて・第14回~加賀百万石の城下町金沢より福井まで」第1日(その5)2014年11月5日(水)

2014年11月25日 | 芭蕉の「奥の細道」を歩く

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クラブツーリズム主催「奥の細道を訪ねて・第14回~加賀百万石の城下町 金沢より福井まで」のバスツアーに妻と一緒に参加しました。第1日目 東京羽田空港・第1ターミナルから小松空港に向かって飛行機で出発です。

小松空港には予定通り8:55時に到着。地元・小松市の「京福バス」で最初の目的地である「妙立寺(みょうりゅうじ)」(金沢市野町1-2-12)に向かいます。バスの中で、講師の大橋洋子先生から、これから見学する妙立寺などについて詳しい説明を聞きました。

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バスは金沢西ICから北陸自動車道に入り、一路「妙立寺」を目指して走ります。いつの間にか高速道路を出て、極楽寺の有料駐車場には9:40時頃到着しました。ここから最初の見学地の妙立寺(金沢市野町1-2-12)に徒歩で移動です(9:45時頃到着)。

 この寺は、金沢城の出城の役割があった加賀藩ゆかりの寺で、芭蕉や「奥の細道」とは関係が無いようでした。攻め入れられた時を想定した仕掛けがなど沢山あって、「忍者寺」とも呼ばれて人気を集めているので特に組み込まれたようです。

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(上)妙立寺(みょうりゅうじ)の裏門を出て、すぐ隣にある願念寺(がんねんじ:金沢市野町一丁目)を見学した後、妙立寺の表門の方に回って、さらに徒歩で移動です。願念寺の表門から約300mほどでしょうか、長遠山・本長寺(金沢市野町一丁目2-8)に着きました。

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本長寺の次は、成学寺(じょうがくじ・金沢市野町一丁目1-18)です。

(下)この日、4番目に訪れたのは、「あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風」という芭蕉の句碑があるという成学寺(じょうがくじ)。

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成学寺(じょうがくじ):加賀藩三代藩主前田利常に小将番頭として仕えた人物を弔)うため、未亡人が正保四年(1647)に建立した。本堂は創建した江戸初期の建築様式が見られるという。

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(上と下2つ)成学寺の表門の両侍の「雷神」像と「風神」像。鎌倉時代の作風を色濃く残しているという。

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(上と下)成学寺の境内にある、堀麦水(ほり・ばくすい)が建立した秋日塚。金沢で最も古い芭蕉の句碑とされる。

秋日塚(あきひづか):「おくのほそ道」は、金沢から小松へ向かう途中吟として、「あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風」の句を載せる。よく知られているように、この句は実際は金沢に入る直前か直後に詠まれたのだが、一笑の追善句「塚も動け我が泣く声は秋の風」、斎藤一泉の松幻庵で詠んだ「秋涼し手毎(てごと)にむけや瓜茄子(うりなすび)」に続く秋の句とし、金沢への別れの句に用いた。「あかあかと」の芭蕉自画賛が、天理図書館に蔵されている。現在この句碑は秋日塚(あきひづか)と呼ばれ、野町一丁目の成学寺(じょうがくじ)、片町の方から犀川大橋を渡った左川沿い、兼六園の山崎山麓の3か所にある。[以上は、下記の北國新聞社発行、金沢学院大学文学部日本文学科編著「おくのほそ道~芭蕉が歩いた北陸」より]

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http://kimassi.net/teramatijiin/seigakuji.html [成学寺(金沢の寺町寺院群):金沢観光情報<きまっし金沢>]

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