peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

「盛岡の歴史を語る会」”家からみる江戸大名 南部家ー盛岡藩" 2023年8月18日(金)

2023年08月24日 | 歴史講座

2023年8月18日(金)盛岡の歴史を語る会8月例会盛岡市総合福祉センター(盛岡市花園町)で開催されたので、妻と参加しました。この日は、東海大学文学部・准教授 兼平賢治さんの「家からみる江戸大名 南部家ー盛岡藩」と題する講演です。話の内容は、2023(令和5)年5月1日第1刷発行の『家からみる江戸大名 南部家 盛岡藩』(兼平賢治著、吉川弘文館発行)に掲載されていることと同じでしたので、予め読んでいたこともあり、良く理解できました。また、難聴で補聴器を付けている私でも良く聞き取れる話し方で良かったです。

 


なぜイースター島の先住民はモアイ像を残して絶滅したのか...島に見た衝撃の光景 2023年8月 日( )

2023年08月11日 | 歴史講座

なぜイースター島の先住民はモアイ像を残して絶滅したのか…島に上陸したヨーロッパ人が見た衝撃の光景

トム・フィリップス の意見1 日
 
南太平洋のイースター島には高さ21メートル以上、重さ約90トンというモアイが立ち並んでいる。いったい誰が巨大な石像を作ったのか。そして石像を作った人たちはどこへ消えたのか。イギリス人ジャーナリストのトム・フィリップスさんの著書『メガトン級「大失敗」の世界史』(訳:禰冝田亜希、河出文庫)より紹介する――。

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E5%B3%B6%E3%81%AE%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91%E3%81%AF%E3%83%A2%E3%82%A2%E3%82%A4%E5%83%8F%E3%82%92%E6%AE%8B%E3%81%97%E3%81%A6%E7%B5%B6%E6%BB%85%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E5%B3%B6%E3%81%AB%E4%B8%8A%E9%99%B8%E3%81%97%E3%81%9F%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E4%BA%BA%E3%81%8C%E8%A6%8B%E3%81%9F%E8%A1%9D%E6%92%83%E3%81%AE%E5%85%89%E6%99%AF/ar-AA1f4vUK?ocid=msedgdhp&pc=U531&cvid=e280a8cf2c1c4e24818466d0a141f74e&ei=24

イースター島のモアイ像。

イースター島のモアイ像。

イースター島のモアイ像。

Getty Images

 
 

モアイ像が物語るイースター島の知られざる歴史、新説発表

巨大石像「モアイ像」で知られる最果ての島、イースター島。かつてこの島に住んでいた先住民は、内部の抗争や天然資源の枯渇によって自らの社会を自滅させたというのが長年...

CNN.co.jp

 

 

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「北上川・陸と海を結ぶ道」を観る!2018年9月30日(日)

2018年10月01日 | 歴史講座

2018年(平成30年)9月15日(土)~11月25日(日)の日程で開催中の一関市博物館(館長・入間田亘夫)の平成30年度企画展「北上川・陸と海を結ぶ道~江戸時代の舟運(しゅううん)の関連行事として開催された館長講座を聞いてきました。

 この企画展の展示解説書(1,800円)が発行されていましたので、購入して事前にあらかじめ目を通していたので、良く理解することができました。講座終了後に企画展の方も観てきました。

館長講座は、企画展解説書にも記載されている『平泉特別都市圏・大名葛西領国を支えた北上川の舟運』(入間田亘夫)の内容と大体同じものでした。

 

館長講座『平泉特別都市圏・大名葛西領国を支えた北上川の舟運』(入間田亘夫)

 古文書などを駆使した考察は、文治5年(1189)、都市平泉が陥落した後、鎌倉殿頼朝の代官として、占領地行政の取り仕切りを担うことになった葛西清重が拝領したという「伊沢・磐井・牡鹿等已下(いか)、数か所」(『吾妻鏡』文治5年9月22・4条)からでした。

上の「五郡・二保」の内容をあらわした地図は、都市平泉を取り囲むかのようにして、それらの所領群が設定されています。けれども、ただ一つ、北上川の河口部に位置する牡鹿郡だけは離れて、飛地のようなかたちになっています。これらについても論考しています。(省略)

上の「葛西・大崎船止日記」は、大名葛西氏の滅亡によって、伊達政宗の掌中に収められることになった、その直後における舟運のありさまが、生々しく記録されていた古文書の内容を(北上川に関わる部分のみ、記載された河岸舟数)を図示したものです。

 岩手県岩手町の「弓弭(ゆはず)の泉」を源として南流し、宮城県石巻市に注ぐ一級河川「北上川」は、全国第四位の面積を誇る広大な流域を潤しています。

人々は東と西に分断され、時に洪水などの水害に悩まされましたが、豊かな水から多くの恵みを得ており、沿川各地には政治文化の拠点が築かれました。奥州藤原氏が居を構えた平泉はその最たるもので、藤原氏のもとには北上川の舟運によって各地の文物がもたらされています。

江戸時代には、江戸と往来する廻船が発着する石巻で北上川の舟運が結ばれ、八戸藩、盛岡藩、仙台藩、一関藩の米をはじめとする品々が行き交いました。鉄道が開通する以前は、北上川は、流通の大動脈ともいえる役割を果たしていたのです。また、所々に設けられた川の湊・河岸(かし)は、陸の道と川の道が交差する物資の集積地としてにぎわい、今日につながる姿が形づくられました。

(下)北上川舟道図(きたかみがわしゅうどうず)天保元~3年(1830~1832、一関博物館蔵):この時代、北上川の舟の航路を描いた絵図が作られています。黒沢尻河岸(北上市)から石巻までの北上川を描いた長さ20m以上もある絵図です。この区間は、艜舟(ひらたぶね)という舟が米をはじめとする荷物を積んで運行しました。絵図には、その舟の通る道が赤い線で引かれ、川の湊や番所、中洲や渦、岩などの難所や、支流などが描かれています。それらは舟運の時代の川の捉え方を今に伝えてくれます。

(下)展勝地(北上市)の上流黒沢尻。盛岡藩最大の川の湊があってにぎわっていたという。

 

(下)現在の一関市舞川付近。「小禅寺村」の名があります。

(下)現在の一関市川崎町付近。支流の松川(砂鉄川)や千厩川が描かれています。赤色の建物は現在の波分神社のようです。

 

(上)石巻の河口(現在の石巻市・北上川河口部中瀬、いま石ノ森萬画館のある所、今は「旧北上川」というけど、江戸時代は、こちらが北上川だった。)

 https://blog.goo.ne.jp/pea2005/s/日和山公園 


NHK-BSプレミアム「英雄たちの選択~探検家・笹森儀助」を観る! 2018年7月26日(木)

2018年09月04日 | 歴史講座

2018年7月26日(木)、NHK-BSプレミアムで放送(20:00~21:00時)された下記の番組を観ました。東北に住んでいるにも関わらず、こんな立派な人が居たことを知りませんでした。

 

 

https://www4.nhk.or.jp/heroes/x/2018-07-26/10/22971/2473144/ [英雄たちの選択 琉球スペシャル第2弾 辺境の声を聞け!探検家・笹森儀助の挑戦]

https://ja.wikipedia.org/wiki/笹森儀助 

https://www.nankainn.com/local/笹森儀助の顕彰碑除幕%E3%80%80-龍郷町龍郷