2016年2月28日(日)、一関市&一関市川崎町自治会連絡協議会主催の「平成27年度一関市川崎町社会教育各種講座学級生大会・社会教育各種学級合同閉講式」に付属して開かれた講演会(14:20~15:30時予定)を聞かせていただきました。この講演会は一般の市民も聴講可能と聞いたので妻と共に行ったのでした。大東町渋民市民センターでご一緒した文学講座の仲間が沢山来ていました。
合同閉講式のあいさつ(一関市川崎市民センター所長・菅原庸夫さん)が行われている間にぞろぞろ入場して失礼してしまいましたが、講演会はすぐに始まりました。
講師:作家 山川修平 氏。演題:「故郷と作家への道」
山川修平さんは、1936(昭和11)年岩手県東磐井郡川崎村(現在の一関市川崎町)生まれで、現在は東京都在住。本名は千葉勝也。現在79歳で、10月の誕生日が来ると80歳になるとのことでした。10代後半、肺結核のため長期療養生活を送らざるを得なかったそうです。その時に一関市山目にある結核療養所で一緒だったのが、井上ひさしさんの実兄・井上滋さんで、その頃の様子を面白おかしく語ってくださいました。これは、「井上ひさし略年譜」によると1949(昭和24)年9月頃のことのようです。
あるとき、有名な作家・火野葦平氏[『糞尿譚』で第6回芥川賞受賞、1937(昭和12年下半期)]が一関に講演に来ると知って井上さんたち文学仲間と共に療養所を黙って抜け出して聞きに行ったことがあるそうです(当時、結核療養所は隔離病舎で、外出には院長の許可が必要だったそうです)。井上ひさしさんの実兄・滋さんは現在も釜石市で元気にしているそうです。
話の中で、「同世代の井上ひさしも、中津文彦も、三好京三も、内海隆一郎も死んでしまったのに自分のような肺病たかりが長生きしている。」と笑わせていましたが、人は必ず死ぬものなので、明日も必ず生きているという保証は誰もないのです。
21歳で岩手県立一関一高に入学、6歳下の同級生と共に学んだそうです。この高校時代より同人誌を発刊したとのこと。その後、早稲田大学に入学(心理学科)卒業。出版社勤務を経て独立、専門誌『著者と編集者』を発刊。出版業挫折後、住宅産業界に転身。住宅(ハウス)メーカーに勤務する傍ら創作活動を続け、『早稲田文学』『北の文学』等に小説を発表。定年退職後は住宅産業ジャーナリストとして執筆活動に当たってきたとのこと。著作に『人間の砦』『白磁の画家』『小説北上川』(以上、三一書房刊)などがある。
話の中で、岩手県からは直木賞の受賞者が何人もいるが、芥川賞の受賞者は未だ一人も出ていない。この先若い人たちの中からきっと出てくると思っていると述べられたが、調べてみたら直木賞の受賞者は、第49回[1963(昭和38年上半期)]の佐藤徳二(さとう・とくじ)『女のいくさ』(二見書房)、第76回[1976(昭和51年下半期)]三好京三『子育てごっこ』(文藝春秋)、第96回[1986(昭和61年下半期)]の常盤新平(ときわ・しんぺい)『遠いアメリカ』(講談社)、第106回[1991(平成3年下半期]高橋克彦『緋い記憶』(文藝春秋)などがいました。
http://www.iwanichi.co.jp/ichinoseki/8546.html [流域の戦中・戦後 克明に 川崎出身作家:Iwanichi Online 岩手日日新聞社]