2018年8月30日(木)、一関市大原市民センター(所長・佐藤義信)主催のバスツアーが実施されました。これは、平成30年度「室蓬カレッジ・歴史専門講座2018」の第5回として行われたもので、講座参加者27名と主催者側3名の合わせて30名の参加でした。案内人は第1回の講師を務めた畠山篤雄(文化財調査研究員)氏で、大原の製鉄の歴史などについて講義をされた方です。
「大原市民センター(集合 7:50時、8:00時出発)」の予定通り進行し、最初の見学地「大籠キリシタン資料館」には、8:48時に到着しました。
(上と下)大籠キリシタン資料館前の母子像 土屋端穂氏作
(上と下2つ)大籠殉教記念クルス館にあるという岩手県出身の彫刻家・舟越保武(ふなこしやすたけ)氏が設計・監修を行い、同氏の作品「十字架のイエス・キリスト」、「聖クララ」、「聖マリア・マグダレナ」のブロンズ像3体(レプリカと思われるもの)が展示されていました。
大籠キリシタン資料館の視聴覚室でVTRを見せていただいてから、管内の展示を見せて頂きましたが、「撮影禁止」でしたので、入場の際いただいたパンフの内容を紹介します。
VTRで見せて頂いた内容は、織田信長政権時代頃からの製鉄の歴史などについて、宣教師のかかわりや豊臣秀吉政権によるキリスト教弾圧などについて触れ、伊達政宗政権時代の仙台藩によるキリスト教徒の処刑などについてでした。映像の大部分は、今に残されている石碑や処刑場跡でした。
(上)元禄の碑(げんろくのひ):殉教した信徒の遺体の埋葬は、約60年間禁止され、元禄16年(1703)遺骨を集め埋葬し、供養碑が建てられたそうです。
(上)祭畑刑場(まつりばけいじょう):刑の執行中、逃げた信徒を捕らえ、川向こうの約40m離れた草地の松の枝に鉄砲を乗せ狙い打ったという。
(上)上野刑場(うえのけいじょう):通称「オシャナギ様」という所で、寛永17年(1640)に信徒94人が処刑された場所だそうです。
(上)首実検石(くびじっけんいし):信徒を打ち首にする時、伊達藩の検視(けんし)役人が、この石に腰かけて地蔵の辻の処刑の有様を見届けたというので、この名があるそうです。
(上)地蔵の辻(じぞうのつじ):無情の辻(むじょうのつじ)ともいう。寛永16年(1639)、寛永17年(1640)に打ち首、十字架(ハリツケ)等により、178名が殉教したそうです。
(上)大柄沢洞窟(おおがらさわどうくつ):キリシタン信者の隠れ礼拝所(れいはいじょ)。昭和48年に発見されたそうです。(宮城県東和町、個人所有地のため、見学は大籠キリシタン資料館へ。)
(上)保登子首塚(ほどこくびづか):殉教者の首を埋めたとされている。荒屋敷(あらやしき)の先祖には3名の殉教者がいて、供養碑が北向きに3基建っている。
(上)ハシバ首塚(はしばくびづか):トキソー沢刑場の近くにあり、処刑場の首を架掛(はせが)けにして曝(さら)首にした場所だという。ハシバは架場(はせば)の意かと思われる。その傍らに穴を掘り、斬首(ざんしゅ)の理由書とともに埋めたそうです。
(上)トキゾー沢刑場(ときぞーさわけいじょう):トは「徒」、キは「刑」、ゾーは「場」の意で徒刑場のこと。寛永17年に、10数名が殉教したそうです。:
(上)(上)千松大八郎の墓標:昭和3年7月、故東北大学村岡典嗣教授の調査により、大八郎の墓と認められ、昭和4年9月に碑文が傍らに建立された。
(上)二代目千葉土佐の墓:千葉土佐は千松兄弟を招いてたたら製鉄を始めた。二代目土佐は初代土佐の後を受け、たたら製鉄に専念したそうです。その二代目土佐の墓。
(上)台転場(だいてんば):柵を巡らし、木戸を作り、通行人をキリシタンであるかどうか「踏み絵」によって検問した所だという。踏まない者が地蔵の辻で処刑されたそうです。
(上)最初の見学地・大籠キリシタン資料館の見学を終え、研修バスに戻り、次の目的地「石井閘門」に向かって出発です(9:24時)。
(上と下)道路沿いは見渡す限りの稲田です。稲は頭を垂れていました。宮城県のようです。
(上)一般道路から高速道路へ入ります。(東日本大震災以来「復興道路」として無料開放中のようです。)(下)「桃生津山(ものうつやま)」IC.まで8㎞の地点。