2018年7月19日(木)、一関市大東町大原市民センター(所長・佐藤義信)主催の歴史専門講座「平成30年度第3回歴史専門講座」が、大原市民センター2階会議室で開催されました。(13:30~15:30時)。
学習テーマは、菅江真澄と芳賀慶明(1回目)。講師は千厩町在住の村上徳一氏。
菅江真澄の生涯と旅:天明3年(1783)30歳頃、三河(上の関係地図の①)から信濃(関係地図の②)・陸奥(関係地図③④⑤⑦⑧⑨・蝦夷地(関係地図⑥)の旅をして享和元年(1801)48歳頃、秋田領に入り、文政12年(1829)7月19日没(76歳か77歳=墓碑)としかわかっていないそうです。
出生地(豊橋、岡崎?)と年齢・死没地(梅沢、角館?)、旅の動機(継母との不仲・業病・学界追放・情報収集・失恋説など)もはっきりしていないそうです。
名前は、白井英二、白井秀雄から文化12年(1810)頃から菅江真澄を名乗っているようです。
本草学・医学・和歌・国学・神道などの知識があり、それらを駆使しながら各地を旅して、日記・地誌・随筆・絵図など130種・240冊もの著作を残しています。(これらは『菅江真澄全集』全12巻・未来社に収録されています。)
旅の費用は、本洗馬・長興寺の洞月禅師から授けられた『和歌秘伝書』を所持しており、さらに豊富な知識を用いて各地の支援者から得たようです。岩手県南地方の支援者:村上良知(胆沢区徳岡)、鈴木常雄(前沢区白山)、大槻清雄(一関市山目)、芳賀慶明(大東町大原)。
菅江真澄の肖像:(和歌の解釈 春雨の、古い枝の梅の下雫の/香をかぐわしいと草は芽を出すのだろう)
肖像画:文政11年(1828)8月、秋田県仙北村の出原家で描かれたもの[『伊豆園茶話』(石井忠行著)明治10年頃の記録(晩年の菅江真澄)。
評価:柳田国男は「民俗学の祖(おや)」と述べ、業績を高く評価している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/菅江真澄 [菅江真澄:Wukipedia]
www.st.rim.or.jp/~success/hasiwa_1-1.htm [はしわのわかば]
https://sugae-masumi.jimdo.com/菅江真澄の道/はしわの若葉%EF%BC%91/