peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

一関市東山町のコスギゴケ(小杉苔)/ポゴナトウム・インフレクスム  2015年2月24日(火)

2015年02月28日 | 植物図鑑

 2015年2月24日(火)、一関市東山町長坂字北山谷に居住する妻の友人を訪ねました。妻が友人と話をしている間に、私は付近を散策してみました。ネコヤナギとかフキノトウが見つかるかもしれないと思っていたのですが、見つけることができませんでした。昔、金を採掘したという岩場があり、古道が残っていました。そこにはコタニワタリ(小谷渡)と思われるシダ植物やコスギゴケ(小杉苔)と思われるスギゴケ科の植物がありました。群生する様子は杉の木立を思わせます。

(上と下)良く見ると花茎と思われるものが沢山林立しています。

 コスギゴケ(小杉苔)/ポゴナトウム・インフレクスム スギゴケ科  ニワスギゴケ属 Pogonatum inflexum

スギゴケ科 POLYTRICHACEAE(ポリトゥリカセー):日本庭園にはつきものの、おそらく最も有名なコケ(苔)。比較的大型で、群生する様子は杉の木立を思わせます。多くの種は葉に厚みがあり、硬く細長く、ピンと勢いがあります。 

コスギゴケ(小杉苔):葉は線状披針形で青みがかった白緑色~青緑色~緑色。高さは1~5㎝ほど。葉は乾くとくるくると強く巻縮し、まるで違う姿になります。ルーペで覗くと葉には厚みがあり、不透明。縁にギザギザの歯があります。平地で見られるのはほとんどこのコスギゴケで、割合日当たりのよい土手や半日蔭の土の上などを好みます。にはには毛の生えた帽があり、白っぽい円筒形(歯は32本)でよく目立ちます。[山と渓谷社発行「ときめくコケ図鑑」(田中美穂・文、伊沢正名・写真)より]

 http://mossplan.co.jp/zukan/kosugi.htm [園芸図鑑 コスギゴケ(小杉苔)]

 http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/bryophyta/polytrichaceae/kosugigoke/kosugigoke.htm[コスギゴケ(スギゴケ科 ニワスギゴケ属)]

http://mikawanoyasou.org/koke/kosugigoke.htm [コスギゴケ:三河の野草]

 http://blog.goo.ne.jp/bird0707/e/b4e42ae2eef94c6c4feadecf451d33fd [コスギゴケの白い帽子の秘密:かわいいコケ ブログ]

 


岩手県立花きセンターの ウンシュウミカン(温州蜜柑)  2015年2月4日(水)

2015年02月28日 | 植物図鑑

 2015年2月4日(水)、岩手県立花きセンター(岩手県胆沢郡金ケ崎町六原頭無1-1)に行ってきました。野山や街で花を見ることができないこの時期、温室内で咲いている花卉は貴重な存在です。この日、朝から天気が良くて行楽日和でした。2月1日に降った大雪が未だ沢山残っていましたが、道路は乾いていました。

この日は、「花の館温室」のトイレの近くの駐車場に車を駐めて、本館(管理棟)1階の「展示室」「研修温室」→「花の館温室」の順に写真を撮りながらじっくり見学してきました。

「展示室」の中には、花を沢山つけたレプトスペルムム(御柳梅)やカランコエ・ブロッスフェルディアナ、カランコエ・エンゼルランプジャノメエリカ、スズランエリカ、シクラメン、ノボタン・バレンシア、コドナンテ・グラキリス、ウツボカズラ(靭葛)/ネペンテス、洋ラン・パフィオペディラム、クフェア・ヒソッピフォリア/クサミソハギ(草禊萩)、グズマニア(アナナス類)、洋ラン・カトレア、洋ラン・デンドロビウム ’ウコン’、「宿根イベリス」という名札をつけたトキワナズナ、ハナキリン(花麒麟)、アンスリウム・アンドレアヌム’エリザベス’などが展示されていました。

その後、すぐ近くにある「研修温室」を見学しました。「中温区」の出入口の近くに植栽されているミカンの木[ウンシュウミカン(温州蜜柑)だと思います。]が、黄橙色に熟した果実を沢山つけ、白い花も咲かせていました。

http://www2.pref.iwate.jp/~hp3005/file/migoro.html [岩手県立花きセンター:花みごろ・2015年2月24日更新]

 ウンシュウミカン(温州蜜柑) ミカン科 ミカン属  Citrus unshiu 

柑橘類:柑橘類の原産地はインドのアッサム地方を中心とするアジア南東部と考えられている。こらが東南アジアや中国に広がり、中国では多様な品種が生まれた。日本にも中国から伝わった記録が古事記に見られ、それは今のダイダイに近いものではないかと考えられている。

日本の柑橘類を代表するウンシュウミカン(温州蜜柑)は、400~500年前に鹿児島県で生まれたもので、中国のミカン類の種子から発生したと考えられている。九州から各地に広まったのは明治になってからで、江戸時代は果実がウンシュウミカンよりキシュウミカン(紀州蜜柑)が日本の代表的なミカンだった。ウンシュウミカンの果実は直径5~8㎝で、皮は薄くてむきやすく、果肉は甘い。種子はふつうできない。(以下省略)[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑1・秋の花」より]

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%83%9F%E3%82%AB%E3%83%B3 [ウンシュウミカン:Wikipedia]

 http://minhana.net/wiki/%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%83%9F%E3%82%AB%E3%83%B3 [ウンシュウミカン:みんなの花図鑑]

 


岩手県立花きセンターのシンビジウム・グレートキャディ ’メリーゴーランド’  2015年2月4日(水)

2015年02月27日 | 洋ラン

 2015年2月4日(水)、岩手県立花きセンター(岩手県胆沢郡金ケ崎町六原頭無1-1)に行ってきました。野山や街で花を見ることができないこの時期、温室内で咲いている花卉は貴重な存在です。この日、朝から天気が良くて行楽日和でした。2月1日に降った大雪が未だ沢山残っていましたが、道路は乾いていました。

 

この日は、「花の館温室」のトイレの近くの駐車場に車を駐めて、本館(管理棟)1階の「展示室」「研修温室」→「花の館温室」の順に写真を撮りながらじっくり見学してきました。

「展示室」の中には、花を沢山つけたレプトスペルムム(御柳梅)やカランコエ・ブロッスフェルディアナ、カランコエ・エンゼルランプジャノメエリカ、スズランエリカ、シクラメン、ノボタン・バレンシア、コドナンテ・グラキリス、ウツボカズラ(靭葛)/ネペンテス、洋ラン・パフィオペディラム、クフェア・ヒソッピフォリア/クサミソハギ(草禊萩)、グズマニア(アナナス類)、洋ラン・カトレア、洋ラン・デンドロビウム ’ウコン’、「宿根イベリス」という名札をつけたトキワナズナ、ハナキリン(花麒麟)、アンスリウム・アンドレアヌム’エリザベス’などが展示されていました。

その後、すぐ近くにある「研修温室」を見学しました。「中温区」の出入口を入り、ラン(蘭)などが植栽展示されている「高温区」に入ると’グレート・カティ’メリーゴーランド’ や ’シンデレラ小町 ’という名のシンビジウム(洋ラン)が花を沢山咲かせていました。

洋ラン シンビジウム・グレートキャティ ’メリーゴーランド’ ラン科 シンビジウム属 Cymbidium(Cym.)Great Katy'Merry-go-round'

Lucky Rainbow×Great Flower、1990年登録。萼片と花弁は幅広く、含咲きで淡桃色~白色、唇弁中裂片は白地に黄色を帯び、縁には濃紫紅色の細点が広く入る。[個体]’メリーゴーランド’'Merry-go-round'[山と渓谷社発行「山渓カラー名鑑・蘭ラン」より]

 http://blog.goo.ne.jp/pea2005/e/4b607389cde2d4618d7662dfaaaaba20 [peaの植物図鑑:岩手県立花きセンターのシンビジウム グレート・カティ’メリーゴーランド’ 2013年1月21日(月)]

 


鹽竈神社の境外末社・御釜神社(おかまじんじゃ) 2015年2月21日(土)

2015年02月27日 | 史跡、名所、

(上)鹽竈神社側から稲井石で舗装された東参道(裏坂・女坂)を下ってきて、塩竃海道に着きました。(下)鹽竈神社500m、鹽竈神社博物館350m、御釜神社100mと表示されていました。

(下)赤い信号が見える所の直ぐ傍に御釜神社がありました。(以下、妻のブログから転載

話 すこし 戻って 御釜神社へ 行く 手前でのはなし。ゾウさん 前を歩いている。 今の 困った、は ゾウさんの 大好物 「白松がモナカ」の 看板が上の方にあること。 どうか、 気が 付きませんように。 

神社を 拝んだあとに、あそこで、白松の どらやきを 買って行こう、と 言う。店先の 旗を みたのだそうな。上の 青い看板の 「モナカ」は 目に入らなかった、らしい。モナカ あったよ、と言ったら モナカを箱で買うことに。そして、どら焼きも 2個だけ 求めた。 ( これは 列車のなかで 食べた) 

御釜神社(おかまじんじゃ)は、鹽竈神社の境外末社であるが、「塩竃」(塩釜)という地名の由来となった神竈(かみがわ)が安置され、毎年7月には鹽竈神社例祭の神餞を調進する特殊神事「藻塩焼神事」が行われるなど、14ある鹽竈神社の境外末社の中でも特別な位置にある神社だそうです。祭神は鹽竈神社・別宮と同じ祭神である「塩土老翁神(しおつちおじのかみ)を祀っています。神話の「海幸彦&山幸彦」に出てくる人物で、兄・海幸彦の釣り針をなくした弟・山幸彦を、海の底の宮殿に案内した神様です。海の神様だから、漁業や製塩に関係しているのですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%87%9C%E7%A5%9E%E7%A4%BE [御釜神社:Wikipedia] 

毎年7月10日に鹽竈神社例祭が執り行われますが、その際、3座の神前に御供えする神せんを調進するため、7月4日から6日の3日間渡って「藻塩焼神事(もしおやきしんじ)」が当社で行われます。いつの頃から始まった神事か不明だそうですが、その起源は古代まで遡るものと考えられており、古代の一連の製塩に関する行事を現代に伝えるものになっています。神事藻刈、御水替、藻塩焼の3つの部分から成っており、宮城県の無形民俗文化財に指定されています。

http://kankoubussan.shiogama.miyagi.jp/modules/tinyd0/?id=2 [7月6日:藻塩焼神事・御釜神社例祭]

http://www.shiogamajinja.jp/topics/16.shtml [志波彦神社・塩釜神社:トピックス]

(上)御釜神社には鹽竈神社の神器とされる4口の竈(「神釜」)が安置されています。製塩に使われた釜で、これらは鉄でできており、いつ頃のものかは不明だそうですが、一説には塩土老翁神が人々に製塩の技術を教えた時に使われたとも言われているそうです。

神釜は普段お社の中に鍵をかけて安置していますので、勝手に見ることはできませんが、社務所の神社の方に声をかけて拝観料100円を支払えば誰でも見ることができるそうです。

(上と下)「神竈」の奉拝を希望することを、妻たちが社務所に申し出ました。(初穂料100円也)

妻のブログから転載)先ほどの「塩釜神社」の長い階段を下ったときに おしゃべりした 同年代の 男女に また であった。女性の方に 奥の細道を 書いた 芭蕉さんが 立ち寄ったところ、だとか 塩釜の名のおこりの地だとか、 話したら 「ぜひ 見たい」と いう。

右手の 神社を 守っているという方に ひとり 100円 お渡しすれば よいと 書かれてあった。お賽銭分も 含めて 多めに お渡しした。

御釜のまえで 守り人を 習って 拝んだ。見学者は 1組増えて 6人に なっていた。

塩竈では 古くから製塩が行われていた。御釜の 一番古いのは 南北朝時代のものだそうな。

塩釜の由来となる 鉄製の御釜 四体が 祭られている。この 御釜 が 御神体 だ という。(撮影禁止)四体とも 直径 1メートル以上は ある。塩釜 の 水底は 茶色を していた。変事があると その前触れとして お釜の水の色が 変わると いう。

先の 3:11のとき は 水の色が 白く澄んだ という。日照りでも お釜の水は 枯れない、と。  見せてください、と 言うのを ためらっていたのだったが、その女性のお「力」を いただいて 閂を 開けてもらえたのだ。お互いに ありがとう、を 言って わかれた。 

(上と下2つ)「神竈」は、直径1mほどの鉄製の竈で、4基安置されていました。竈の中には海水が湛えられているのですが、不思議なことに、どんな日照りの時でも枯れることがなく、また大雨や台風でも水が溢れることが無いのだそうです。しかもこの海水は日本に大異変があるときは前触れとして必ず色が変わると伝えられていて、江戸時代には変わったら必ず藩に報告することになっていたそうです。

写真撮影は禁止なので、「神竈」の写真は撮れませんでしたが、社務所の外壁に貼ってあった「日本三奇」のポスターに写真が掲載されていました。(下)

(上と下)牛石藤鞭社(うしいしふじむちしゃ):境内外社。

 

 


鹽竈神社東参道の隈笹&芭蕉止宿の地碑  2015年2月21日(土)

2015年02月27日 | 植物図鑑

2015年2月21日(土)、志波彦神社、鹽竈神社、鹽竈神社博物館(宮城県塩竃市一森山1-1)の参拝・見学を終えて500mほど離れた塩竃市街地にあるという御釜神社(おかまじんじゃ)に向かう。第1駐車場にあるトイレから「裏坂・女坂」とも呼ばれる東参道を下る。足が少し悪い妻は、自分のブログに次のように書いているが、国道から東神門まで続いている稲井石で舗装された東参道の3分の1ほどを歩いただけなのである。(下)「境内案内図」にはバス駐車場とあり、売店がありました。そこから直ぐ東参道でした。

 (妻のブログより転載)御釜神社へ 向かう。 

「甘酒」の 看板をみつけて ゾウさんを 誘う。それから すこし 楽なほうの 石段を 降りる。こっちも 結構 きつい。長い長い 坂を おりたところで、 芭蕉の 「宿泊地」に であった。 

今はないが この地にあった 法蓮寺に 泊めてもらったのだ、と わかった。良かった。芭蕉が 寄った という 塩釜の名前の 出どこ  「御釜神社」へ 行く  途中の きつい坂を 降りた ご褒美 かな。芭蕉一行は ここから 海の方向に 向かい、松島へ いくのだが その前に 御釜神社に 寄った、とある。私たちも そこへ 歩く。では  

(上と下)芭蕉止宿の地碑五重石灯籠がありました。稲井石の石畳が続いていました。

 

(下)裏坂・女坂とも呼ばれる東参道(202段の急な階段が続く表参道・表坂・男坂よりは、かなり緩やかです。)

(上)「芭蕉止宿の地」解説版があるこの辺りに芭蕉と曽良が泊まった宿「治兵(じへい)」があったそうです。

( 上と下)法蓮寺:この一帯には鹽竈神社別当寺「法蓮寺」があったそうですが、明治維新の時に廃寺となり、書院であった「勝画楼」以外は取り壊されたそうです。「勝画楼」は藩主参拝時の御休み所で、明治天皇の行幸の際にも使われたそうです。 

(上)法蓮寺跡「勝画楼」入口:この表示板の右手の道を登って行くと勝画楼があるそうです。一時は料亭などとして利用されたそうですが、今は何にも利用されていないようです。(上左)古い句碑がありました。

妙なるや浪の華見る法蓮寺 東都 瓢菴 午長 と刻されていました。嘉永6年(1853)4月 建立。松島の瑞巌寺にも午長の句碑があるそうです。

http://members.jcom.home.ne.jp/michiko328/urazaka.html [『奥の細道』~「芭蕉止宿の地」~

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 クマザサ(隈笹) イネ科 ササ属 Sasa veitchii var.veitchii

「熊笹」と思っている人が多いが、正しくは隈笹。冬になると葉の縁が枯れ、白く隈どったようになるのでこの名がある。観賞用に広く植えられているが、京都の鞍馬山や大原などには自生している。根もとでまばらに枝分かれして、高さ1~1.5mになる。茎(稈)は節と節の間より長い竹の皮に包まれ、竹の皮には長い毛がある。枝は節から1個ずつ出る。葉は枝先に4~7個ずつつき、長さ10~25㎝の長楕円形で、先は急に尖り、基部は丸い。分布:本州(京都府)[山と渓谷社発行「山渓ポケット図鑑・秋の花」より]