(上)鹽竈神社側から稲井石で舗装された東参道(裏坂・女坂)を下ってきて、塩竃海道に着きました。(下)鹽竈神社500m、鹽竈神社博物館350m、御釜神社100mと表示されていました。
(下)赤い信号が見える所の直ぐ傍に御釜神社がありました。(以下、妻のブログから転載)
話 すこし 戻って 御釜神社へ 行く 手前でのはなし。ゾウさん 前を歩いている。 今の 困った、は ゾウさんの 大好物 「白松がモナカ」の 看板が上の方にあること。 どうか、 気が 付きませんように。
神社を 拝んだあとに、あそこで、白松の どらやきを 買って行こう、と 言う。店先の 旗を みたのだそうな。上の 青い看板の 「モナカ」は 目に入らなかった、らしい。モナカ あったよ、と言ったら モナカを箱で買うことに。そして、どら焼きも 2個だけ 求めた。 ( これは 列車のなかで 食べた)
御釜神社(おかまじんじゃ)は、鹽竈神社の境外末社であるが、「塩竃」(塩釜)という地名の由来となった神竈(かみがわ)が安置され、毎年7月には鹽竈神社例祭の神餞を調進する特殊神事「藻塩焼神事」が行われるなど、14ある鹽竈神社の境外末社の中でも特別な位置にある神社だそうです。祭神は鹽竈神社・別宮と同じ祭神である「塩土老翁神(しおつちおじのかみ)を祀っています。神話の「海幸彦&山幸彦」に出てくる人物で、兄・海幸彦の釣り針をなくした弟・山幸彦を、海の底の宮殿に案内した神様です。海の神様だから、漁業や製塩に関係しているのですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%87%9C%E7%A5%9E%E7%A4%BE [御釜神社:Wikipedia]
毎年7月10日に鹽竈神社例祭が執り行われますが、その際、3座の神前に御供えする神せんを調進するため、7月4日から6日の3日間渡って「藻塩焼神事(もしおやきしんじ)」が当社で行われます。いつの頃から始まった神事か不明だそうですが、その起源は古代まで遡るものと考えられており、古代の一連の製塩に関する行事を現代に伝えるものになっています。神事は藻刈、御水替、藻塩焼の3つの部分から成っており、宮城県の無形民俗文化財に指定されています。
http://kankoubussan.shiogama.miyagi.jp/modules/tinyd0/?id=2 [7月6日:藻塩焼神事・御釜神社例祭]
http://www.shiogamajinja.jp/topics/16.shtml [志波彦神社・塩釜神社:トピックス]
(上)御釜神社には鹽竈神社の神器とされる4口の竈(「神釜」)が安置されています。製塩に使われた釜で、これらは鉄でできており、いつ頃のものかは不明だそうですが、一説には塩土老翁神が人々に製塩の技術を教えた時に使われたとも言われているそうです。
神釜は普段お社の中に鍵をかけて安置していますので、勝手に見ることはできませんが、社務所の神社の方に声をかけて拝観料100円を支払えば誰でも見ることができるそうです。
(上と下)「神竈」の奉拝を希望することを、妻たちが社務所に申し出ました。(初穂料100円也)
(妻のブログから転載)先ほどの「塩釜神社」の長い階段を下ったときに おしゃべりした 同年代の 男女に また であった。女性の方に 奥の細道を 書いた 芭蕉さんが 立ち寄ったところ、だとか 塩釜の名のおこりの地だとか、 話したら 「ぜひ 見たい」と いう。
右手の 神社を 守っているという方に ひとり 100円 お渡しすれば よいと 書かれてあった。お賽銭分も 含めて 多めに お渡しした。
御釜のまえで 守り人を 習って 拝んだ。見学者は 1組増えて 6人に なっていた。
塩竈では 古くから製塩が行われていた。御釜の 一番古いのは 南北朝時代のものだそうな。
塩釜の由来となる 鉄製の御釜 四体が 祭られている。この 御釜 が 御神体 だ という。(撮影禁止)四体とも 直径 1メートル以上は ある。塩釜 の 水底は 茶色を していた。変事があると その前触れとして お釜の水の色が 変わると いう。
先の 3:11のとき は 水の色が 白く澄んだ という。日照りでも お釜の水は 枯れない、と。 見せてください、と 言うのを ためらっていたのだったが、その女性のお「力」を いただいて 閂を 開けてもらえたのだ。お互いに ありがとう、を 言って わかれた。
(上と下2つ)「神竈」は、直径1mほどの鉄製の竈で、4基安置されていました。竈の中には海水が湛えられているのですが、不思議なことに、どんな日照りの時でも枯れることがなく、また大雨や台風でも水が溢れることが無いのだそうです。しかもこの海水は日本に大異変があるときは前触れとして必ず色が変わると伝えられていて、江戸時代には変わったら必ず藩に報告することになっていたそうです。
写真撮影は禁止なので、「神竈」の写真は撮れませんでしたが、社務所の外壁に貼ってあった「日本三奇」のポスターに写真が掲載されていました。(下)
(上と下)牛石藤鞭社(うしいしふじむちしゃ):境内外社。