2013(平成25)年11月30日(土)、13:00~14:00時、平泉町教育委員会主催の「無量光院跡第28次現地説明会」が平泉町平泉字花立地内「特別史跡無量光院跡」で開催されました。
無量光院跡は、昭和27年に文化財保護委員会(現在の文化庁)によって調査が行われました(1次調査)。この調査によって、鎌倉幕府が編纂した歴史書『吾妻鏡』に「宇治平等院を模す」と記された、無量光院後の本堂跡が平等院鳳凰堂に似ている事が確認されました。
第28次調査は、復元整備に伴う内容確認調査で、平成25年6月17日~12月の予定で実施されているもので、①池北側の岸及び池底確認、②東島の構造把握、③1次調査で確認された東島の3棟の礎石建物の再調査を目的にしています。面積:約490㎡、調査主体:平泉町教育委員会(担当者:島原弘征、鈴木江利子)。赤い線で囲まれた範囲が調査範囲。
調査の成果:礎石建物(礎石及び根石の広がり)、池北側の岸及び池底(岬と入江含)、護岸石等が見つかりました。
(上)現地説明会の開始に当って挨拶する平泉教育委員会の関係者。(下)池北側の調査範囲(岬と入江平面図)
(下)北の県道側から見た岬と入江
(下)東側から見た岬と入江
池北側の調査:昨年度、中島から見て北側の県道に面した部分から、南東側に延びる岬状の張り出しと、北西側に広がる入江が見つかりました。この岬及び入江の規模・形状を確認するため、昨年度の調査区を拡大したところ、岬の大きさは長さ28m、幅10m、入江は幅11m、奥行29mあることがわかりました。
入江奥の岸の残りは非常に良く、当時の洲浜の様子を知る上で貴重です。また、水が当たる部分を中心に小石がまとまって見つかっており、この部分に関しては石を葺いていた可能性があります。ただし、無量光院跡の池(梵字が池)において小石が出土するのは中島・東島・北小島の周辺以外では見つかっていないので、入江のみ石が葺かれていたのか、それとも他の部分まで石が葺かれていたのかが問題となっています。
岬及び入江の南東側部分は、後世の削平で残りが悪いのですが、部分的に池底を整えるために粘土を貼っている部分がありました。また、岬は下半分を地山を削り出して形をつくり、上半分を盛土して作っていたようです。
無料光院がモデルとした平等院の池においても、無量光院跡と同じ池北側から岬と入江が見つかっており、本堂のある中島と北小島との位置関係が平等院と似ていることが分かりました。このことは、平等院との類似性を考える上で重要です。ただし、平等院の場合は岬が入江の入口部分において東西で対になっているのに対し、無量光院跡は片側(西側)のみの確認となっています。
(上)説明する担当者:島原弘征氏。(以上、「無量光院跡第28次現地説明会資料」(平泉文化遺産センター)より)