peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都45:宇治平等院(3)

2010年03月15日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

作成中

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 この宇治川は、鵜飼の観光でも有名。シーズンになると篝火を焚いて鮎漁(鵜飼)をする光景を見ることが出来る。(写真が貼ってあった。)

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 喜撰茶屋の近くから宇治川の中州に架かる喜撰橋。この橋を渡って中州(島)へ。「宇治公園」である。

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(上)喜撰橋

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 宇治公園:時計は13:25時を指している。ここでの予定時間は14:40時までなので、「宇治川先陣の碑」などを見ながら、宇治神社まで歩く。

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(上と下)宇治公園にある「浮島十三重石塔」:

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 柿本人麿の和歌:もののふの八十氏河(やそうじかわ)の網代木(あじろぎ)に いざよふ波の行く方(え)しらずも   この歌は、柿本人麿が近江国(滋賀県)より奈良へ帰る途中に、宇治川付近で作った歌で、「宇治川の網代木で一時停滞し、やがて行方知らずとなる波のように、滅びさった近江の都に仕えていた人々はいったいどうなったのであろうか」という意味である。網代は秋から冬にかけて魚をとる仕掛けのことで、杭(くい)を川の中に上流に向かってV字型に打ち、杭の間に竹等で編んだ簀(す)を張り、氷魚(ひうお=鮎の稚魚)を取るもので、この網代に用いる杭を網代木という。 平成4年10月 宇治市

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 宇治公園を歩いていたら、突然吹雪いてきた。鳩が餌が貰えると思ってか沢山寄ってきた。

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 宇治川先陣の碑:古代より水陸交通の要衝であった宇治は、幾多の合戦の舞台となり、なかでも、寿永3年(1184)の木曽義仲と朝廷から義仲追討の任を受けた源義経の戦いは有名です。天下の激流を挟んだ両軍の決戦は、義経軍の名馬「するすみ」に乗った梶原景季(かげすえ)と名馬「いけつき)に乗った佐々木高綱の「先陣争い」で幕を切って落としました。先陣は策にたけた高綱がとり、義経軍が一斉に渡河して義仲軍を打ち破りました。この碑は、その故事に因んで、昭和6年(1931)に建立されたものです。

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 宇治川先陣の碑:橋合戦から4年の後、同じ源氏どうしの木曽義仲の軍勢と義仲追討の義経軍が宇治川を挟んで対峙。義経軍の梶原源太景季(かげすえ)と佐々木四郎高綱が先陣を争って渡河した。高綱は馬の腹帯がゆるんでいると景季に教え、景季が腹帯を締め直している間に渡河して先陣の名乗りを上げた。景季が源頼朝に所望した名馬「生唼(いけずき)」を高綱に与えられたことから、高綱は頼朝に先陣を約束していたのである。宇治川に浮かぶ橘島にその碑がある。[以上、山と渓谷社発行、見延典子著「『平家物語』を歩く」より]

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 宇治川中州の宇治公園

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 平等院の観音堂/扇の芝方面から宇治公園(橘島)に架かる橋(「橘橋」と思われる。)

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 (上)宇治公園(橘島)から宇治神社/源氏物語ミュージアム側に渡る橋


平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都44:宇治平等院(2)

2010年03月13日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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 東側から見た鳳凰堂と阿字池

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 観音堂:鎌倉時代前期に創建当時の本堂跡に再建された建造物とされており、法橋徳応の二天像、不動明王像(重要文化財)が祀られている。

 http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-kannondou.html [平等院マップ:観音堂] 

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マンリョウ(万両)が真っ赤な実を沢山つけていました。

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 (上)平等院の表門

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 同行者たちが向かった「扇の芝」

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 扇の芝:治承4年(1180)5月、以仁王(もちひとおう)の令旨を奉じ、平家打倒を掲げた源頼政は宇治で決戦に及び、衆寡敵せず平等院で辞世の和歌を残し自刃しました。毎年5月26日には「頼政忌」の法要が営まれています。辞世の和歌「埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果てぞ 悲しかりける。」

 http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-ougi.html [平等院マップ:扇の芝]

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扇之芝:治承4年(1180)5月26日、源頼政は高倉宮以仁王を奉じて平家打倒に立ち上がり、平知盛の大軍を宇治川に迎え撃ちました。しかし戦利なく、流れ矢に傷ついた頼政は軍扇を開き、「埋もれ木の花咲くこともなかりしに身のなる果てぞ哀れなりける」と辞世の一首を残し、この地で自刃したと伝えられています。(墓所は最勝院境内にあります。)

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 鳳凰堂の阿字池の東側にある庭園に植えられた夏蜜柑の木が、大きな実を沢山つけていました。

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 東側から見た鳳凰堂と阿字池:平安時代後期、天喜元年(1053)に、時の関白藤原頼通によって平等院に建立された阿弥陀堂。

 http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-hououdou.html [平等院マップ:鳳凰堂]

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 上の朱塗りの橋を渡って鳳凰堂の内部に入ります。(ここに入るには、別途ご志納金・一人300円が必要)。

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おしらせ:現在お求めの拝観券で庭園と鳳翔館(宝物館)を拝観いただけます。鳳翔館(宝物館)には、国宝の大半を収蔵・展示してあります。鳳凰堂は、池の周囲からご覧いただけます。鳳凰堂の内部拝観について:別途拝観 ご志納 お一人300円が必要。9:30より拝観開始。以降は20分毎に1回50名様。最終受付は16:10.

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鳳凰堂:堂内の中央には金色の丈六阿弥陀如来坐像が端坐し、周囲の壁および扉には九品来迎図、阿弥陀仏の背後の壁には極楽浄土図が描かれています。そして左右の壁の上部には52体の雲中供養菩薩像が懸けられています。

http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-hououdou.html[平等院マップ:鳳凰堂]

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(下)宇治川の中州(宇治公園)に架かる喜撰橋の近くにあるお食事処:喜撰茶屋。昼食を予約していた。

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 喜撰茶屋の近くに植えてあったサザンカ(山茶花)?

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(下)宇治川の中州(塔の島)・宇治公園に建つ十三重石塔

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平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都43:宇治平等院(1)

2010年03月11日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

作成中

 http://www.byodoin.or.jp/tanbou-syuhen.html [平等院探訪:周辺観光マップ]

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(上)バスの窓から見た宇治川と宇治橋:平等院や宇治上神社など世界遺産がある宇治はまた、「源氏物語」でもよく知られている。「平家物語」に登場する宇治は、巻四「宮御最後」、巻九「宇治川」に描かれた宇治川の合戦の舞台であった。

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 宇治橋:欄干や橋桁に風情のある宇治橋。園城寺(おんじょうじ)での六波羅夜討ちのせん議が長引き、時期をのがした以仁王と源頼政一党は、興福寺へ落ちるべく南都を目指した。以仁王の疲労のため、宇治平等院で休息している内に、平知盛・重衡を大将とする平氏の軍勢2万八千騎が宇治橋にまで攻め寄せてきた。橋板を取り外された橋を挟んで軍勢が対峙した橋合戦の舞台である。橋桁の上では以仁王方の五智院の但馬や僧兵の筒井浄妙明秀、一来法師などが曲芸まがいの大立ち回りをした。このときの様子を再現した浄妙山が、祇園祭の山鉾として巡行している。その宇治橋も、今は多くの車が行き交い、橋合戦を偲ぶのはいささか難しい。[以上、山と渓谷社発行、身延典子著「『平家物語』を歩く」より]

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(上)平等院南側入退場口 

 2010年2月6日(土)、「平家物語ゆかりの地を巡る旅」の第3日目。六波羅蜜寺~清水寺~正林寺~三十三間堂と巡って最後の目的地「宇治平等院」へ。予定通り宇治に到着。ここでの予定時間は、昼食を含めて12:00~14:40時。昼食の予約をしているという宇治喜撰茶屋に近い民営駐車場(平等院の南門にも近い)にバスを駐め、平等院に向かう。

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 鐘楼&梵鐘:梵鐘はかつて鳳凰堂南側の園池のほとりに建つ鐘楼に懸けられていたが、今は大気汚染による錆害など保存上の見地から取り外されて宝物館に収蔵され、鐘楼には新たに製作された復元模像が懸けられているという。平安時代を代表する梵鐘の1つで、古くから「姿の平等院鐘」、「声の園城寺鐘」、「勢の東大寺鐘」の「天下の3名鐘」の1つとしても有名。本物は、現在、鳳翔館で拝観できる。

http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-hououdou.html [平等院探訪:鳳凰堂]

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 2001年3月1日開館の平等院ミュージアム鳳翔館:宗教法人としては初の総合博物館だという。

http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-muesium.html [平等院ミュージアム鳳翔館]

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阿弥陀如来坐像&雲中供養菩薩像(国宝):

http://www.byodoin.or.jp/tanbou-kokuhou.html [平等院探訪:国宝仏像紹介]

雲中供養菩薩全体(国宝):

http://www.byodoin.or.jp/tanbou-ko-untyu.html

http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-hououdou.html [平等院探訪:鳳凰1対]

銅製鋳造鍍金鳳凰1対(国宝):阿弥陀堂中堂の大棟の南北両端に据えられていた鳳凰1対。阿弥陀堂は、その外観が尾の長い鳥が翼を広げたような形をしていることや屋根上にこの鳳凰形棟飾りによって、近世以降、鳳凰堂と呼ばれるようになったという。ここでは東向きに建ってられている鳳凰堂の向かって右側に据えられた像を北方像、同じく左側の像を南方像とするが、両像とも今は大気汚染による錆害などの保存上の見地から取り外されて宝物館に保管され、新たに製作された復元模像が大棟に載せられているとのこと。現在、鳳翔館で拝観できる。

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(上)南門:

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(上)右側の建物が平等院ミュージアム鳳凰館、左側は養林庵書院

 養林庵書院(指定文化財):桃山城の遺構と伝えられ、その障壁画は宇治市指定文化財で、床の間には雪景山水図、襖には籬(まがき)に梅図、天袋には花卉(かき)図が描かれている。作者はその作風から狩野山雪とみられている。

 http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-yourinan.html [平等院マップ:養林庵書院]

クロガネモチと思われる木が真っ赤に熟した実を沢山つけていた。

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(上)羅漢堂:茶師星野道斎とその息子たちにより寛永17年(1640)に建立。主要部材が建立当時のままに保存され、鏡天井に描かれた龍は彩色良く保存されている。(宇治市指定文化財)。

http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-rakandou.html [平等院マップ:羅漢堂]

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  最勝院の前の順路から見た鳳凰堂。

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 平等院ミュージアム鳳翔館の庭。

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(上)浄土院:浄土院は平等院の塔頭で、浄土宗の栄久(えいく)上人が、明応年間(15世紀後半)に平等院修復にために開創した寺と伝えられている。文化財である阿弥陀如来立像、帝釈天立像、養林庵書院障壁画などを管理している。

 http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-jyoudoin.html [平等院マップ:浄土院]

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 最勝院前の順路から見た鳳凰堂。

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不動堂:不動明王を本尊とする最勝院の本堂。また最勝院が天台修験宗を極める聖護院末であるところから役小角(えんのおづぬ)(役行者)の像が祀られている。隣接する地蔵堂は地蔵菩薩坐像をお祀りしている小堂。

 http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-fudoudou.html [平等院マップ:不動堂]

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 最勝院境内にある源頼政の墓:以仁王を南都へ先立たせ、平等院での攻防戦を繰り広げていた源頼政は、多勢に無勢、敵に囲まれ足に矢を受けて自害することになる。その自害した場所が後世、平等院の扇の芝であるといわれるようになった。

 渡辺長七唱(となう)を召し、「埋もれ木の花咲くこともなかりしに身のなる果てぞ悲しかりける」と辞世の歌を詠んで腹に太刀を突き立てたのである。この頼政の供養塔が、平等院鳳凰堂の後ろにある最勝院の境内に建てられている。

 http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-yorimasa.html [平等院マップ>源三位頼政之墓]

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最勝院:平等院塔頭2ケ寺の1つで天台宗寺門派聖護院末。その歴史は比較的新しく、承応3年(1654)京都東洞院六角勝仙院(住心院)の僧が平等院に移り、その住庵を最勝院と呼んだことに始まる。中世末以来、平等院と疎遠になっていた天台宗が復帰したとのこと。

 http://www.byodoin.or.jp/tanbou-in-saisyouin.html [平等院マップ:最勝院]

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観音堂がある北側の順路から見た鳳凰堂と阿字池

 http://www.byodoin.or.jp/tanbou-byoudouin.html [平等院マップ]

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平家物語ゆかりの地を巡る旅 京都42:三十三間堂

2010年03月10日 | 平家物語ゆかりの地を巡る旅

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 三十三間堂:後白河法皇は広大な離宮「法住寺殿(ほうじゅうじどの)」を造営し、そこで政務を執ることが多かったという。その一角に平清盛が建立したのが三十三間堂(蓮華王院)。境内に法住寺殿址碑が立っている。

http://sanjusangendo.jp/s_1.html [国宝 三十三間堂]

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 2010年2月6日(土)、「平家物語ゆかりの地を巡る旅」第3日目。六波羅蜜寺~清水寺~正林寺と巡って、三十三間堂へ。清閑寺を尋ねる予定が、だいぶ歩かなければならないとのことで、目的地が変更された。予定時間は12:00時までの30分。

http://sanjusangendo.jp/h_1.html [蓮華王院 三十三間堂 拝観ご案内]

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 本堂につながっている「参道閣」という建物の参拝入口から靴を脱いで上がる。

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三十三間堂(本堂東南面):京都市東山区三十三間堂廻町657にある仏堂。建物の正式名称は蓮華王院本堂。同じ京都市東山区にある天台宗妙法院の境外仏堂であり、同院が所有・管理している。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂で、本尊は千手観音である。洛陽三十三所観音霊場第17番札所。

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 後白河法皇が院政を執った法住寺殿跡碑:院が管弦で遊んでいる最中、文覚(もんがく)が押し入った。このことで院の不興を買った文覚は伊豆に配流となる。

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法住寺殿(ほうじゅうじどの)跡:法住寺殿は、保元3年(1158)8月、その皇子・二条天皇に譲位して上皇となった後白河院が約30年にわたり院政(上皇が天皇に代って政権運営をする特異な政治形態)を行った政庁です。上皇になると天皇の住う御所とは 別の所に専用の”院御所(いんのごしょ)”を造営するのが通例で、先例の白河・鳥羽の両帝の続き、その度に大規模な土木工事が行われました。後白河院は譲位直後に御所の造営に着手、東山の麓から西は鴨川河岸まで、南北は八条坊門小路(現・東海道線南・大谷高校辺)から六条大路(現・六条通り)に及ぶ広大な地域で、その地名を取り「法住寺殿」と名付けたのでした。構内は政治的な施設の「北殿(きたどの)」と”常の御所”と呼ぶ、住居に三十三間堂をはじめとする宗教的堂塔が集中した「南殿(みなみどの)」に分かれ、東山を背にする丘陵に地中から湧き出たような大建築が甍を並べたといいます。

 永暦2年(1161)4月、月明かりの夜に、上皇はここに移り、以後20年住まいとします。しかし、賑(にぎ)わいをみせた院の御所も、寿永2年(1183)11月、対立するようになった木曽義仲の夜襲にあい焼失しました。800年の昔に変わらぬ姿でこの場所に伝承されてきた三十三間堂は、その時代をしのぶ稀有(けう)の物証といえるでしょう。

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(下)南大門・太閤塀(ともに重要文化財):当時、交通の要所だったこの地に目を向け、後白河院や清盛の栄華にあやかろうと思い立った秀吉は、その権勢を天下に誇示するため奈良大仏を模した大仏殿方広寺を三十三間堂の北隣に造営し、お堂や後白河上皇の御陵をも、その境内に取り込んで土塀を築いた。今も、その遺構として南大門・太閤塀が残っている。

 http://sanjusangendo.jp/r_1.html [蓮華王院 三十三間堂(創建と歴史)より]

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 国宝:本堂、木造千手観音坐像(附:木造天蓋)、木造風神・雷神像、木造二十八部          衆立像。

 重要文化財:南大門、太閤塀、木造千手観音立像(1,001躯)。

 http://sanjusangendo.jp/b_1.html [仏像:千手観音坐像と千体千手観音立像]

  http://sanjusangendo.jp/b_2.html [仏像:風神雷神と二十八部衆]

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%B8%89%E9%96%93%E5%A0%82 [三十三間堂ーWikipedia]