Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

五十人でも代えがたい

2021-05-01 | 
土曜日のメーデーだった。各地で行進が行われたかどうかは知らない。二度目のコロナメーデーなど考えてもいなかった。昨年のベルリンからの中継はロックダウン以降初めて演奏が中継されたような特別な機会だった。多くの特にイタリアでの犠牲などの事が皆の頭に浮かんだ。

今年はどうだろう。ベルリナーフィルハーモニカーはスペインには行けなかったが、昨年とは異なり大人数で密に座って演奏も出来るようになった。感染が収まった訳では無く、ノウハウが出来上ったからだけの事である。

そこで演奏される作品も状況も異なる。先ず何よりも異なるのは、ベルリンの本拠地で無観客で演奏したのは変わらないのだが、ホールから出てロビーを使って空間音楽を奏した。その空間には聴者が居たり人が集まって談話したりする社会が生じるところである。そこに音が響いた。

生中継では、画面を観て適当に流していたが、同時に中継された録音していたラディオ放送を聴いて、よりその音響的な効果とその文化芸術的な意味合いが明らかになり、その内容を吟味することになる。

昨年の様な喪失感も先の見えない途方に暮れる感じも無いのだが、脱コロナの工程表が明確に描き切れないという事では世界中の皆が同じようにトンネルの抜け口を求めて彷徨っている事には他ならない。

曲間に流されたツェッチマン支配人の言葉にも希望はありながらも日程的に明確な計画の出せないもどかしさが垣間見られた。本来ならば既に来シーズンの計画が出されているのだが、本年度のシーズン終わりまでどころか新シーズンのオープニングさえも定員などを含めて明らかに出来ない状況にある事には間違いない。

金曜日にバイロイトでは、夏のヴァークナー音楽祭の開催の方針が劇場管理者であるバイエルン州当局との話し合いで決定された。つまり、5月から新制作舞台などが準備されて6月から音楽的な練習が始まるという事である。その計画が進められる。しかし入場者数は全く決まっていない様で、最低の250人入場ならば許可という事もないようだ。

謂わば、150人でも開幕して、若しくは無観客でも中継するという事になりかねない。250人で上演となると赤字が嵩む。損失は埋め合わされるという事かもしれない。それも一回だけの公演でとなると、当然のことながら主催者の有限会社バイロイト音楽祭は昨年から言われている通りとすれば倒産するのだろう。連邦政府、バイエルン州、バイロイト市、ヴァークナー友の会が別け合っている会社であるが、折からの文化財である劇場のリフォームは連邦政府から税金が流れ、またヴァークナー家の私権の法的な再定義なども文化大臣から要求されていて、ここで大幅にそれらの構造が改造される可能性は高い。

兎に角、空調も何も無いようなところでの上演は、接種が七月中に殆ど終っていても、公衆衛生上の大きな問題となることは容易に想像できる。その一月前にはミュンヘンでオペルンフェストシュピーレが開催されることになっているが、モダーンな空調の設備の有無は甚だしく大きい。

金曜日には再開されたチューリッヒのマークのコンサートホールからの中継があった。僅か50人の聴衆乍ら、指揮したフルシャ本人が前夜放送のベルリンでのラディオで語っていたように、何万の世界中でのネット聴衆者も目の前の50人に代えがたいのは間違いなく、久しぶりに本格的なコンサート中継を愉しんだ。

聴衆が少ないだけにその「世紀の奇跡」と指揮者のヴェルサーメストが感嘆したその素晴らしい音響がマイクを伝わって届けられた。演奏したのはそこを仮の本拠とするトーンハレ管弦楽団である。何度かそこで素晴らしい演奏会を体験したものだから、国境さえなければ直ぐにでも訪問したいと思った。

前夜の放送にも負けずに素晴らしいスークなどのチェコのお国物のプログラムだった。管弦楽団も指揮者の弱みも分かるのだが、これはこれで素晴らしい演奏会だった。その点では指揮者に全面的に共感した。
Livestream: Jakub Hrůša & Tonhalle-Orchester Zürich




参照:
無料前座演奏会の光景 2019-08-28 | 音
玄人らしい嫌らしい人 2019-01-18 | 音
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