2017年のヴィーンでのリサイタル中継が再放送されていた。ユジャワンのリサイタルで、咳払いなどはコロナ禍前の雰囲気で気が付いたが明らかに玄人さんが沢山入っていたと思う。
ショパンの24の前奏曲から始めて、ブラームスのヘンデル変奏曲へと後半に繋がるプログラムは聴き応えがあった。ショパンに関してはもう一度じっくりと聴き直したいが、ブラームスのそれの見事なこと、音を流していてこれ程の演奏は嘗てのポリーニリサイタル中継ぐらいしか思い浮かばない。
番組の紹介にも書いてあるように、軽やかな足取りとあるが、それと同時にしっかりした音が響き渡っていた。まさしくここが本格的なところで、同じ女性ピアニストでも上手に弾く人は幾らでもいて、それこそ同じ門下のランランでもパランパランと弾くには変わらない。しかしここまでニュアンス豊かに弾けるロシア系のピアニストも知らない。
番組ではアンコール一曲目のスクリャビンの嬰ヘ長調の紹介時に北京でのロシア流派の先生やその後の教育からしてロシア楽派のピアニストとしていて、中々この番組のディレクターはセンスがいいと思った。
シューベルトの「グレートヒェン」のリスト編曲を持ってきたり、御馴染のプロコフィエフの「トッカータ」、シューマンのスペイン歌曲の編曲、またショパンに戻ってバラード一番ト短調、そして最後はユジャワン編曲の「カルメン」で締める。
ここまで行けば彼のホロヴィッツを思い浮かべない者はいない。ソロコフのようなアンコールか本プログラムか分からないような内容でなくて、とても小股の切り上がった気の利いた都会的なリサイタルになっている。しかし満足度は充分だと思う。
未だに協奏曲以外ではデュオ演奏会しか聴けていないのはこのピアニストへの市場の認識が低いことによるものでしかないが、逆にリサイタルを無暗にツアーで回るとプログラムが出来上る前に質が落ちて来るに違いない。
番組でも紹介していたが北京のバレーの母親だけでなく打楽器の父親とある意味とてもエリートな環境で、カナダからカーティスへと最高級の教育を受けているのだが、ああいう売り出し方をしたので更に本人の気性もあり大きな誤解が生じているのだろう。そもそも満州人のランランとは比較のしようがないのだが、同じゲリー・グラフマンにフィラデルフィアで学んだということが余計に混同させている。
そもそもその名前を比較すればよい。片や王羽佳と如何にも玄人らしい名前を親が付けていて、片や郎朗である。出生とかで人を評価したくはないのだが、この差は大きい。逆にあまりにも良過ぎる名前で片方はなかなか覚えられない。簡単に日本のミドリの様にワンワンと芸名を名乗ればよかったのだが、あまりにも勿体ない本名だったので、異なった判断をしたのだろう。
今夏ルツェルンの音楽祭では、昨年やるべきだったカラヤン二世のギリシャ人に代わって、今年の殆どメインのタレントとして扱われていて、またそのアルゲリッチに代わってベルリナーフィルハーモニカーと共演してデビューした経緯からとてもスイスとは縁が深い。
ランランもスイスを本拠地としようとした様子がありそうだが、ワンの方は遅かれ早かれスイスを拠点とした活動になると予想される。
参照:
ピアニストに女王はいるか 2020-01-20 | 文化一般
雪辱を果たす様な気持ち 2019-09-20 | 女
ショパンの24の前奏曲から始めて、ブラームスのヘンデル変奏曲へと後半に繋がるプログラムは聴き応えがあった。ショパンに関してはもう一度じっくりと聴き直したいが、ブラームスのそれの見事なこと、音を流していてこれ程の演奏は嘗てのポリーニリサイタル中継ぐらいしか思い浮かばない。
番組の紹介にも書いてあるように、軽やかな足取りとあるが、それと同時にしっかりした音が響き渡っていた。まさしくここが本格的なところで、同じ女性ピアニストでも上手に弾く人は幾らでもいて、それこそ同じ門下のランランでもパランパランと弾くには変わらない。しかしここまでニュアンス豊かに弾けるロシア系のピアニストも知らない。
番組ではアンコール一曲目のスクリャビンの嬰ヘ長調の紹介時に北京でのロシア流派の先生やその後の教育からしてロシア楽派のピアニストとしていて、中々この番組のディレクターはセンスがいいと思った。
シューベルトの「グレートヒェン」のリスト編曲を持ってきたり、御馴染のプロコフィエフの「トッカータ」、シューマンのスペイン歌曲の編曲、またショパンに戻ってバラード一番ト短調、そして最後はユジャワン編曲の「カルメン」で締める。
ここまで行けば彼のホロヴィッツを思い浮かべない者はいない。ソロコフのようなアンコールか本プログラムか分からないような内容でなくて、とても小股の切り上がった気の利いた都会的なリサイタルになっている。しかし満足度は充分だと思う。
未だに協奏曲以外ではデュオ演奏会しか聴けていないのはこのピアニストへの市場の認識が低いことによるものでしかないが、逆にリサイタルを無暗にツアーで回るとプログラムが出来上る前に質が落ちて来るに違いない。
番組でも紹介していたが北京のバレーの母親だけでなく打楽器の父親とある意味とてもエリートな環境で、カナダからカーティスへと最高級の教育を受けているのだが、ああいう売り出し方をしたので更に本人の気性もあり大きな誤解が生じているのだろう。そもそも満州人のランランとは比較のしようがないのだが、同じゲリー・グラフマンにフィラデルフィアで学んだということが余計に混同させている。
そもそもその名前を比較すればよい。片や王羽佳と如何にも玄人らしい名前を親が付けていて、片や郎朗である。出生とかで人を評価したくはないのだが、この差は大きい。逆にあまりにも良過ぎる名前で片方はなかなか覚えられない。簡単に日本のミドリの様にワンワンと芸名を名乗ればよかったのだが、あまりにも勿体ない本名だったので、異なった判断をしたのだろう。
今夏ルツェルンの音楽祭では、昨年やるべきだったカラヤン二世のギリシャ人に代わって、今年の殆どメインのタレントとして扱われていて、またそのアルゲリッチに代わってベルリナーフィルハーモニカーと共演してデビューした経緯からとてもスイスとは縁が深い。
ランランもスイスを本拠地としようとした様子がありそうだが、ワンの方は遅かれ早かれスイスを拠点とした活動になると予想される。
参照:
ピアニストに女王はいるか 2020-01-20 | 文化一般
雪辱を果たす様な気持ち 2019-09-20 | 女