アテネからリテュアニアのヴィルリスに向かうライアンエアーがハイジャックされた。中にはKGBのエージェントが乗っていたとされる。強制着陸をミンスク上空で指示されて、搭乗していたルカチェンコの反体制派のジャーナリストを強制逮捕する為だった。
昨日伝えた反体制派のコレンスニカーヴァが政権の触手から逃れる為にウクライナへの国境で拘束された件と全く同様にやり方である。今回の件の民間機を強制的にどうしようかという遣り口でベラルーシ政権の危険性が世界に知られたと思う。
さもなければプーティン派とそれに反対する「西側」の援助を受けた勢力との小競り合いとしか見られないかもしれないが、まさしくこの冬にもルカツェンコがソチを訪れてプーティンとスキー場で過ごしたように、同様に危険な傀儡政権であることは明らかだ。
勿論ロシア側から見れば、ウクライナでと同様にNATOやEUの圏内に収まってしまうと、猛威になることは当然であるのだが、やはりこうした政治手法は看過できないだろう。
聖霊降臨祭初日の午前は、早朝からクリーヴランドからの放送を立て続けに聴いた。シカゴ交響楽団をピエール・ブーレーズが2011年に指揮したプログラムとニューヨークフィルハーモニカーをベルント・ハイティンクが2012年に指揮した両実況中継の録音が流された。
前者は想定内の演奏で、先日ベルリンで同様のプログラムを指揮した制作録音のCDを購入していたので、それ以上に驚く内容では無かった。しかし後者は完全に想定を超えての名演だった。そう思うのは、今は引退してルツェルンで悠々自適の指揮者が最後まで熱心に振っていたブルックナー七番は生も聴いているからで、それらと比較可能だからだ。中継されて評判だったヴィーナーフィルハーモニカーとの最後の七番指揮と比較すれば最早比較の対象ではない。
インタヴューでハイティンクが話しているが、テムポが必ずしも遅ければよいというのではなくて、民族音楽的な軽快さも欲しいが、まさしくここでも成功していて、自ら素晴らしいという一楽章も大成功している。その細工仕掛けの機関車のロッドが上下する様な音形が取られているがそれらがしなやかに動く感じが素晴らしい。生で聴いた最後のチュッリッヒのトンハーレでの演奏はそこまでスイスの精妙な機械仕掛けのようには演奏が出来なかった。ヴィーンではそうした軽やかな動きはしない。
二楽章の唐草模様の第二主題もこれだけ綺麗に髭文字のように撥ねた感じはニューヨークの弦ならではで、殆ど理想的な音化だと思う。ヴィーンの座付楽団ではいつも街で見られているような青年趣味の安物の模様しか描けないのである。まさしく、演奏行為に芸術があるとすればそれが出来るかどうかにかかっている。
三楽章においてもその動感は見事であって、こうして演奏されると疾走する機関車のスピード感とその線路脇の牧歌的な風景そのものである。指揮者もここは分かり易いだろうと語る。蒸気機関畏怖のブルックナーである、
指揮者自ら語るように、確かに四楽章は短過ぎるので、そのフィナーレをどのようにモニュメンタルに終えるかが指揮者の課題だとしていた。それが見事に解決されているのがハイティンクの七番で、これを聴けばなぜあそこまで拘ってこの曲で最後を飾りたかったがよく分かる。
そしてなによりもこれだけの楽団だからそのどちらかというと荒い感じがした指揮の妙技を聴かせてくれたと思う。この録音はこの指揮者の代表的な実況録音となるのではないかと思われた。欧州のどこをでもここまで弾き込める楽団も無く、それどころかクリーヴランドやフィラデルフィアでは無理だ。現在のシカゴなどは残念ながら到底及ばない。
またはこの番組でこれだけの演奏が流れた記憶が無い。昨年生で久しぶりに聴けなかったのが残念であるが、到底昨今の指揮者ではここまで弾かせられていない。最後に聴いたのがマゼール指揮だと思われるが、現地の評でもそれ以上に素晴らしく楽団が鳴った歴史的なことと評されていた。
Bruckner Symphony No. 7, New York Philharmonic, Haitink
参照:
赤い国を生きた女性 2021-05-23 | 音
ネット署名の楽友協会 2020-09-15 | 雑感
昨日伝えた反体制派のコレンスニカーヴァが政権の触手から逃れる為にウクライナへの国境で拘束された件と全く同様にやり方である。今回の件の民間機を強制的にどうしようかという遣り口でベラルーシ政権の危険性が世界に知られたと思う。
さもなければプーティン派とそれに反対する「西側」の援助を受けた勢力との小競り合いとしか見られないかもしれないが、まさしくこの冬にもルカツェンコがソチを訪れてプーティンとスキー場で過ごしたように、同様に危険な傀儡政権であることは明らかだ。
勿論ロシア側から見れば、ウクライナでと同様にNATOやEUの圏内に収まってしまうと、猛威になることは当然であるのだが、やはりこうした政治手法は看過できないだろう。
聖霊降臨祭初日の午前は、早朝からクリーヴランドからの放送を立て続けに聴いた。シカゴ交響楽団をピエール・ブーレーズが2011年に指揮したプログラムとニューヨークフィルハーモニカーをベルント・ハイティンクが2012年に指揮した両実況中継の録音が流された。
前者は想定内の演奏で、先日ベルリンで同様のプログラムを指揮した制作録音のCDを購入していたので、それ以上に驚く内容では無かった。しかし後者は完全に想定を超えての名演だった。そう思うのは、今は引退してルツェルンで悠々自適の指揮者が最後まで熱心に振っていたブルックナー七番は生も聴いているからで、それらと比較可能だからだ。中継されて評判だったヴィーナーフィルハーモニカーとの最後の七番指揮と比較すれば最早比較の対象ではない。
インタヴューでハイティンクが話しているが、テムポが必ずしも遅ければよいというのではなくて、民族音楽的な軽快さも欲しいが、まさしくここでも成功していて、自ら素晴らしいという一楽章も大成功している。その細工仕掛けの機関車のロッドが上下する様な音形が取られているがそれらがしなやかに動く感じが素晴らしい。生で聴いた最後のチュッリッヒのトンハーレでの演奏はそこまでスイスの精妙な機械仕掛けのようには演奏が出来なかった。ヴィーンではそうした軽やかな動きはしない。
二楽章の唐草模様の第二主題もこれだけ綺麗に髭文字のように撥ねた感じはニューヨークの弦ならではで、殆ど理想的な音化だと思う。ヴィーンの座付楽団ではいつも街で見られているような青年趣味の安物の模様しか描けないのである。まさしく、演奏行為に芸術があるとすればそれが出来るかどうかにかかっている。
三楽章においてもその動感は見事であって、こうして演奏されると疾走する機関車のスピード感とその線路脇の牧歌的な風景そのものである。指揮者もここは分かり易いだろうと語る。蒸気機関畏怖のブルックナーである、
指揮者自ら語るように、確かに四楽章は短過ぎるので、そのフィナーレをどのようにモニュメンタルに終えるかが指揮者の課題だとしていた。それが見事に解決されているのがハイティンクの七番で、これを聴けばなぜあそこまで拘ってこの曲で最後を飾りたかったがよく分かる。
そしてなによりもこれだけの楽団だからそのどちらかというと荒い感じがした指揮の妙技を聴かせてくれたと思う。この録音はこの指揮者の代表的な実況録音となるのではないかと思われた。欧州のどこをでもここまで弾き込める楽団も無く、それどころかクリーヴランドやフィラデルフィアでは無理だ。現在のシカゴなどは残念ながら到底及ばない。
またはこの番組でこれだけの演奏が流れた記憶が無い。昨年生で久しぶりに聴けなかったのが残念であるが、到底昨今の指揮者ではここまで弾かせられていない。最後に聴いたのがマゼール指揮だと思われるが、現地の評でもそれ以上に素晴らしく楽団が鳴った歴史的なことと評されていた。
Bruckner Symphony No. 7, New York Philharmonic, Haitink
参照:
赤い国を生きた女性 2021-05-23 | 音
ネット署名の楽友協会 2020-09-15 | 雑感