Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

世界一の歌劇場再開

2021-05-14 | 
ミュンヘンからの中継は感動的だった。待ちに待ったお客さんと舞台上でのその受け止め方が感動的な再開としていた。地元に居れば出かけただろうと思う反面音楽芸術的には価値はそれほどなかった。やはり指揮者が駄目だった。

管弦楽団も初演したそのDNAだけでなくて、近々ではペトレンコ指揮で日本公演でも演奏していたように手慣れ以上の積極的な演奏が出来る。また三人の歌手も客席の期待を一身に受けた熱演であったが、やはり指揮者がまともに音楽を運べないと全く意味をなさない。

日本引っ越し公演に帯同したイスラエルのフィッシュという指揮者だが、所謂劇場の便利屋さんである。初めて耳を傾けたが、やはり最後までまどろっこしくて聴いていられない。やはり歌劇場を訪れる一定の割合の人は楽劇においても奈落の楽団などは伴奏の一種としか思っていないのだろう。それでも長い訳の分からない歌芝居を観ているのだから天晴れである。我々の様に辛抱ができない、取り分けスター歌手などにはそれほど関心の無い者に取っては眠くなるばかりである。

要するにああした劇場指揮者が指揮をすると楽匠がどのような事を考えて筆を進めたかのその流れがさっぱり分からなくなる。所謂文脈とか構成感とか呼ばれるものなのだが、なにも音楽でなくても少し長い文章を書いてその全体を読まさせる為にはそれなりの思慮や工夫が必要になる。何事もそれが出来ないという人がいて、恐らく努力しても身に付くものでは無い能力なのだろうか。

それどころかこの指揮者がアンコールのピアノ伴奏までするものだから有難迷惑だ。先ずはテノールのヨーナス・カウフマンがヴェーデンドンク歌曲集から「夢」を歌ったが、練習ならばいいのだがあれで銭を取られるのは嫌だと思った。そもそもCPが悪いとが思わせたのはこの名前が出ていたからであり、例えば指揮がメータならば高い金を出しても出かけたかもしれない。それにしてもこの曲は女声で歌うものとばかり思っていたので男声では初めて聴いた。

当然のことながら殆どの常連さんにとってはその作品から新制作「トリスタンとイゾルテ」のキリル・ペトレンコとの練習風景を頭に浮かべただろう。その明晰な発声でこれだけで途轍もない期待を抱かせる。
Wagner: Wesendonck Lieder - Träume


アンコール二曲目は、今回の目玉であるリゼ・ダヴィドセンが御国物のグリークを歌ったが、曲の背景が思いだせなかった。勿論曲目も歌詞も分からない。しかしメロディーは知っている。要するに器楽でしか聴いたことが無かったのだが、歌謡である。曲名は二曲の悲歌の二つ目「最後の春」で原詩アスムント・オラヴセンヴィニェという人の作らしい。とても素晴らしそうなのだが、ノルウェー語が出来ない人が歌う曲でもないのかもしれない。大分器楽で聴いているのとも響きや雰囲気が違うと思った。
Edvard Grieg "Letzter Frühling", op. 34 Nr. 2, Sandra & Jürg Hanselmann, Klavier


三曲目は、ツェッペンフェルトが歌ったが、リヒャルト・シュトラウス作シュヴァイクの「無口の女」からだった。

Wie schön ist doch die Musik - aber wie schön erst, wenn sie vorbei ist!

Kurt Moll – Wie Schön Ist Doch Die Musik (Live 1972 aus München/Munich)


このようにどの曲もアンコールに手が込んでいて、流石に世界一の歌劇場の通好みの選曲だと感じた。



参照:
劇場再開第一弾公演 2021-05-13 | 文化一般
ヤッパリ生に限るのだが 2021-05-07 | 雑感
コメント
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