シュトットガルトで昨年上演された新制作「ボリス」、28日水曜金曜日までオンデマンドで流されている。早めに観て、講評を書こうと思ったが、画面を観ている時間が無い。そこで手っ取り早く新聞評を読んだ。フランクフルターアルゲマイネ新聞の編集者が書いている。今まであまり知らない人でジェルスティン・ホルムという人である。とてもコムパクトに纏まっていて、とても参考になった。
#OpertrotzCorona: BORIS | Staatsoper Stuttgart
#OpertrotzCorona: BORIS (English subtitles) | Staatsoper Stuttgart ー 英語字幕版
音だけは流した。先ず、音楽については、プーシキン原作ムソルグスキーの原典「ボリスゴドノフ」にノーベル文学賞アレクシエーヴィッチ原作ネヴスキー作曲「セカンドハンドの時代 ― 赤い国を生きた人々」をモンタージュしているが、とても気が利いていた。プーシキンでも面倒なのにアレクシエーヴィッチとなるとお手上げで容易には見通せない。
それ故にこうして我々よりも見識のありそうな人が舞台を観てのジャーナルはとてもありがたい。音楽学も学んだ人であるのは記事を読めば分かった。しかし伝えて欲しいのはそこではなく、決して内容的に容易ではない上演の反応も「一部の人にはあまりにも過剰で熱狂にブ―も混ざっていた」と纏めている。
ノーベル文学賞の女性のその民衆を代表する視点が新たな作曲によってムソルグスキーの横におかれたものを網付けているとしている。それもミンスクから見たソビエトの崩壊から、そして作曲家の父親世代がプーティンの独裁を生み出した、自身をドイツへの移民とした失望のロシアへの視線として描かれるとなる。
これだけのことをしっかりと説明している。余談であるが、これこそがジャーナリズムで、文化ジャーナルで劇場ジャーナルなのである。
What happened to Belarus opposition leader Maria Kolesnikova? | DW News
そして、演出や歌手に関しても必要な評をして、指揮者のエンゲルの仕事は、管弦楽の声部と色彩に表出させて、それでもムソルグスキーのエッジや鋭さが出ていたと。しかし注目されるのは、どちらかというと急がない「ボリス」としてあって、これは音を流していて気が付いたと同時に嘗てのエンゲルの指揮を思い起こさせるに十分だった。
まさしく筆者が書くように、現代音楽を得意として振ってのその色合いと同時に独特の音楽の流れのある指揮者でそれでもエッジが欠けない。最後に聴いたのはダルムシュタットでの声楽の入った曲であり、その時にもこの方面で活躍することは予想された。
実はちょうど同じころミュンヘンでは「ユディート」と名付けられたオクサーナ・リニヴ指揮で大成功裏に中継された。その内容的な難易度も異なるのだが、しかし共通点も無くはない。二人の年齢は三つ違いで、エンゲルの三つ上がキリル・ペトレンコである。つまりウラディミール・ユロウスキーよりも三つ下だ。
多言は弄しないが、秋のフランクフルトでのデビューにも期待したい。音楽監督タイプかどうかはなんとも言い兼ねるが、その指揮する音楽はとても魅力的で、ドナウエッシンゲン音楽祭での活躍と共にチューリッヒに戻るにはまだ時間はありそうなので、南西ドイツでもう少し活躍して欲しい。
まさしく公立の音楽劇場というのは、なにも話題になったキリル・セレブニコフだけでなく、昨年ティテュス・エンゲルからメールを貰ったように仲間で行方不明になったマリア・コレスニカーヴァの釈放のことでの署名運動のお誘いだった。今それを振り返ると、まさしくこのプロジェクトの作曲家セルゲイ・ネヴスキーが筆頭にある。
最新のニュースによるとそのシュトットガルトでマネージメントとフルート奏者であったコレンスニカーヴァは十二年の罪で投獄されている。ベラルーシの市民革命の中心に居た人物である。そのニュースでこの作曲家のネヴスキーが扱われるように、「ボリス」はまさに活きたプロジェクトだったことが分かる。公的劇場は、真っ当な芸術活動とはどのようなものでなければいけないか、ここでも明らかで、それを芸術として文化としてどのように伝えるかがジャーナリズムの仕事である。
参照:
#void„BORIS“ AN STUTTGARTER OPER:, Unser Christentum hat Fäuste, KERSTIN HOLM, FAZ vom 5.2.2020
1922年の室内管弦楽曲 2020-10-18 | 音
天使が下りてくる歌劇 2020-09-29 | 音
ネット署名の楽友協会 2020-09-15 | 雑感
#OpertrotzCorona: BORIS | Staatsoper Stuttgart
#OpertrotzCorona: BORIS (English subtitles) | Staatsoper Stuttgart ー 英語字幕版
音だけは流した。先ず、音楽については、プーシキン原作ムソルグスキーの原典「ボリスゴドノフ」にノーベル文学賞アレクシエーヴィッチ原作ネヴスキー作曲「セカンドハンドの時代 ― 赤い国を生きた人々」をモンタージュしているが、とても気が利いていた。プーシキンでも面倒なのにアレクシエーヴィッチとなるとお手上げで容易には見通せない。
それ故にこうして我々よりも見識のありそうな人が舞台を観てのジャーナルはとてもありがたい。音楽学も学んだ人であるのは記事を読めば分かった。しかし伝えて欲しいのはそこではなく、決して内容的に容易ではない上演の反応も「一部の人にはあまりにも過剰で熱狂にブ―も混ざっていた」と纏めている。
ノーベル文学賞の女性のその民衆を代表する視点が新たな作曲によってムソルグスキーの横におかれたものを網付けているとしている。それもミンスクから見たソビエトの崩壊から、そして作曲家の父親世代がプーティンの独裁を生み出した、自身をドイツへの移民とした失望のロシアへの視線として描かれるとなる。
これだけのことをしっかりと説明している。余談であるが、これこそがジャーナリズムで、文化ジャーナルで劇場ジャーナルなのである。
What happened to Belarus opposition leader Maria Kolesnikova? | DW News
そして、演出や歌手に関しても必要な評をして、指揮者のエンゲルの仕事は、管弦楽の声部と色彩に表出させて、それでもムソルグスキーのエッジや鋭さが出ていたと。しかし注目されるのは、どちらかというと急がない「ボリス」としてあって、これは音を流していて気が付いたと同時に嘗てのエンゲルの指揮を思い起こさせるに十分だった。
まさしく筆者が書くように、現代音楽を得意として振ってのその色合いと同時に独特の音楽の流れのある指揮者でそれでもエッジが欠けない。最後に聴いたのはダルムシュタットでの声楽の入った曲であり、その時にもこの方面で活躍することは予想された。
実はちょうど同じころミュンヘンでは「ユディート」と名付けられたオクサーナ・リニヴ指揮で大成功裏に中継された。その内容的な難易度も異なるのだが、しかし共通点も無くはない。二人の年齢は三つ違いで、エンゲルの三つ上がキリル・ペトレンコである。つまりウラディミール・ユロウスキーよりも三つ下だ。
多言は弄しないが、秋のフランクフルトでのデビューにも期待したい。音楽監督タイプかどうかはなんとも言い兼ねるが、その指揮する音楽はとても魅力的で、ドナウエッシンゲン音楽祭での活躍と共にチューリッヒに戻るにはまだ時間はありそうなので、南西ドイツでもう少し活躍して欲しい。
まさしく公立の音楽劇場というのは、なにも話題になったキリル・セレブニコフだけでなく、昨年ティテュス・エンゲルからメールを貰ったように仲間で行方不明になったマリア・コレスニカーヴァの釈放のことでの署名運動のお誘いだった。今それを振り返ると、まさしくこのプロジェクトの作曲家セルゲイ・ネヴスキーが筆頭にある。
最新のニュースによるとそのシュトットガルトでマネージメントとフルート奏者であったコレンスニカーヴァは十二年の罪で投獄されている。ベラルーシの市民革命の中心に居た人物である。そのニュースでこの作曲家のネヴスキーが扱われるように、「ボリス」はまさに活きたプロジェクトだったことが分かる。公的劇場は、真っ当な芸術活動とはどのようなものでなければいけないか、ここでも明らかで、それを芸術として文化としてどのように伝えるかがジャーナリズムの仕事である。
参照:
#void„BORIS“ AN STUTTGARTER OPER:, Unser Christentum hat Fäuste, KERSTIN HOLM, FAZ vom 5.2.2020
1922年の室内管弦楽曲 2020-10-18 | 音
天使が下りてくる歌劇 2020-09-29 | 音
ネット署名の楽友協会 2020-09-15 | 雑感