Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

歴史的な意味を今日に

2021-08-28 | 
カールツルーヘから黄色い封筒届いていた。罰則に関するもので開けないでも分かった。抗議が認められなかったが、事情の説明があり、標識は何処の場所に両サイドにあったと書いてあった。これで抗議しても判例上難しいという事の様だ。その説明に25ユーロ徴収されて、75ユーロが100ユーロ支払いになった。カードで払えるらしい。

減点1は変わらない。余分な費用は掛かったが、今後免停などで裁判を起こすとすれば、こちら側の主張も明らかで、要するに不注意とか無謀運転ではないという主張にもなる。

ベルリンからのオープニングは、会場は詰め過ぎで、無料券の中継で観ていても少々見苦しかった。支配人のツェッチマンに言わせると、先ずはこれで二三週間様子を見てと話している。既にベルリンは一部では指数100を超えていて、こうしたコンサートで数字が更に上がるとは思わないが、少なくとも人流に大きく貢献している。前日のヴァルトビューネでホルン首席奏者のドールが話していたように接種のお蔭で平常かに近づいてきていると、このように愉しみたかったら接種をしろとキャムペーンを打っていたが、功利主義も甚だしい。

なるほど接種によって重篤化は避けられるかもしれないが、ギッシリと詰められた豚箱状態で感染は進む。それも高額の料金を徴収してのコンサートである。社会的人体実験でしかない。いい加減にして欲しい。会場にはグリュッタース文化相らも来ていたようだ。

演奏は、通常配置で、インタヴューでも語っていたようにフルトヴェングラーの歴史的な演奏なども下敷きにした演奏が繰り広げられた。なによりも管弦楽団がそのレパートリーへのDNAを引き継いでいるというか、一寸した一節も見事に決まっていた。

ペトレンコの指揮は相変わらず高速のテムポ乍ら、所謂音楽的な内容はぎっしりと詰まっていてフルトヴェングラー指揮の名録音などよりも遥かに抜け落ちるところが無い。テムポとの関係でいえば先日「ミサソレムニス」を指揮して批判されていた80歳になるムーティと正反対のことが言える。

つまりムーティが如何にテムポを緩やかに進めてもそこに内容が宿るものではないという指摘だった。私のようにムーティの半世紀前のヴィーナーフィルハーモニカーデビューの頃から聴いている者には今更何をと思うのだが、いつの間にかマフィアのボスのような大口を叩いているうちにマエストロは世界で一番の稼ぎ頭になって、特に日本などではドイツでの批判が理解出来ないぐらいに巨匠扱いされて勲章までを貰っている。

正しく、こうしたところが玄人の批評が活きているかどうかという問いかけになる。特に独墺音楽において言われるその音楽的な充実というものは、日本でも昭和の評論家なども金科玉条としていたもので、そして今の日本の玄人もどうもそれを十分に指摘出来ていないようだ。つまり独墺音楽への理解が部分的なものでしかないということを語っている。

今回のペトレンコ指揮ベルリナーフィルハーモニカーの演奏も東京公演では七回ぐらいの本番を経て披露されることになった筈だったので、改めてそれが問われることになっていた筈である。それどころかムーティ指揮でヴィーナーフィルハーモニカーが同曲を演奏するというものだから、片や歴史的な演奏、片や三流の演奏となっていた筈だ。

ヴィーナーフィルハーモニカーが如何になんら歴史的な意味を今日に伝えるような演奏活動をしていないという事が明らかになった筈だった。



参照:
ヴァルトビューネの指揮姿 2021-08-27 | 雑感
ミサ典礼文の表情 2021-08-16 | 音
コメント
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