ポストにカールツルーヘ行政首部から手紙が入っていた。何か表彰される事でもあったかなと思ったら、6月29日のスピード違反の写真付きの聴取書だった。何か赤く光ったところだった。7月初めに通った時に確かめると固定カメラは無かったので、あるとしてもネズミ取りだと分かり、またそこが時速100㎞制限で、その後の工事現場やトンネル前の60㎞などではないことを確認していた。
そもそも光った場所が横過ぎたので自分が写ると思っていなかったのだが、写真は前右方から撮られていて、顔が左前方を見ているので明らかに気が付いていない。運転手特定ということで罰金扱いで罰点が付く。しかし幸いなことの誤差を引いて21㎞超過なので、減点1点と70ユーロで免停などはない。25㎞以上超過ならば一年以内の繰り返しならば免停の可能性があった。
漸く2018年7月のオペルンフェストシュピーレの「三部作」帰りに居眠りで映されたのが三年で、減点が消えた所だった。恐らくそれが加点されることはないと思うが、減点三点までは全く問題が無い。基本的には金で済む。
先ずは写っている運転手を明らかにして、その時にこちらの言い分を書いておこう。通るものかどうかは分からないが、少なくとも100㎞制限が坂を上って下りるところでまた右側にトラックが連なっていたので、左のラインから右に寄る時に目に入る筈がないとしておきたい。実際に気が付かなく、ナヴィが警告を出す前にネズミ取りに引っ掛かった。向こうにも後ろめたさがある筈だ。
(承前)キリル・ペトレンコがミュンヘンの奈落で最後のアコードを振り終わった時、楽員は何時もに無くその様子を凝視していた。拍手も始まっていた。反対側から写しているヴィデオで確認するととても短い時間で、いつものように楽譜の周りといつものハンカチを片づけたりしていたが、楽員の表情が違ったのでもっと長い時間に感じた。だからカメラを向ける時間があったのだ。なにか一言声を掛けていたように記憶している。声にならない言葉だったかもしれない。
その後通常のカーテンコールがあって、パブリックヴューイングに皆が顔を出して緞帳が堅く閉まった。多くの人が名残惜しそうにスタンディングオヴェーションを続けていたが、明らかに何人かの人は続けそうだった。しかし何分ほど掛かるか分からないところでどれほどの人が残って呉れるか自信が無かった。15分も何もないところで拍手を続けられるだろうか?
サイドのローゲに入っていたドラマテュルギ―のマルテ・クラスティングがこちらにも分かりやすいように拍手を鼓舞する様な感じで大きく拍手をして見せた。そして姿を消した。私は彼が何を考えて、ドラマの専門家だと知っているので間違いなく連れ返してくれると確信を持った。それでも他の人は知る由もないので続くか如何かが不安だった。また暫くすると、反対側の支配人席でトーキーを持った進行係が連絡していたので、これは他の人の目にも入ったかもしれない。
そして先ずは外で挨拶を終えた歌手陣が戻って来て緞帳が開けられて、時間を繋いでくれて、そして最後にキリル・ペトレンコが戻って来た。100人程の人が手を叩き続けた終幕だった。そこで最後の最後に会釈して貰ったので価値があった。初日の時のように上階にいると会釈は難しい。最後まで通った甲斐もあったが、本人もいいフィナーレを迎えられたのではないか。
ビールを引っ掛けて、小一時間して車を出して間違ってPV会場の方に左折しようと思うと、劇場の方から歩道橋を歩いて来る人影に気が付いた。何やら派手なスポーツウェア―風で如何にも風呂上がりの感じだった。ヘッドライトに照らされるのは髭のついたキリル・ペトレンコの顔だった。髭を剃っている筈なのに髭が見えたのだった。
方向からすれば出演者の集まる打ち上げの会場に向かう、劇場関係者と挨拶を交わしてさっぱりしたところの前音楽監督だったに違いないが、まさかあそこまで遅く劇場に残っていたのだろうかと思った。少なくとも嘗てからそうやって一人で動く人だとは知っているが、不思議に感じたのだった。まるで夜の道路工事から帰る現場監督のような感じで、まさしく劇場の音楽監督のその最後に相応しいイメージだ。それとも幻覚だったのか?(続く)
参照:
昨今の世の流れの状況 2021-07-04 | 生活
ヘルマン・レヴィの墓の前で 2021-07-06 | マスメディア批評
そもそも光った場所が横過ぎたので自分が写ると思っていなかったのだが、写真は前右方から撮られていて、顔が左前方を見ているので明らかに気が付いていない。運転手特定ということで罰金扱いで罰点が付く。しかし幸いなことの誤差を引いて21㎞超過なので、減点1点と70ユーロで免停などはない。25㎞以上超過ならば一年以内の繰り返しならば免停の可能性があった。
漸く2018年7月のオペルンフェストシュピーレの「三部作」帰りに居眠りで映されたのが三年で、減点が消えた所だった。恐らくそれが加点されることはないと思うが、減点三点までは全く問題が無い。基本的には金で済む。
先ずは写っている運転手を明らかにして、その時にこちらの言い分を書いておこう。通るものかどうかは分からないが、少なくとも100㎞制限が坂を上って下りるところでまた右側にトラックが連なっていたので、左のラインから右に寄る時に目に入る筈がないとしておきたい。実際に気が付かなく、ナヴィが警告を出す前にネズミ取りに引っ掛かった。向こうにも後ろめたさがある筈だ。
(承前)キリル・ペトレンコがミュンヘンの奈落で最後のアコードを振り終わった時、楽員は何時もに無くその様子を凝視していた。拍手も始まっていた。反対側から写しているヴィデオで確認するととても短い時間で、いつものように楽譜の周りといつものハンカチを片づけたりしていたが、楽員の表情が違ったのでもっと長い時間に感じた。だからカメラを向ける時間があったのだ。なにか一言声を掛けていたように記憶している。声にならない言葉だったかもしれない。
その後通常のカーテンコールがあって、パブリックヴューイングに皆が顔を出して緞帳が堅く閉まった。多くの人が名残惜しそうにスタンディングオヴェーションを続けていたが、明らかに何人かの人は続けそうだった。しかし何分ほど掛かるか分からないところでどれほどの人が残って呉れるか自信が無かった。15分も何もないところで拍手を続けられるだろうか?
サイドのローゲに入っていたドラマテュルギ―のマルテ・クラスティングがこちらにも分かりやすいように拍手を鼓舞する様な感じで大きく拍手をして見せた。そして姿を消した。私は彼が何を考えて、ドラマの専門家だと知っているので間違いなく連れ返してくれると確信を持った。それでも他の人は知る由もないので続くか如何かが不安だった。また暫くすると、反対側の支配人席でトーキーを持った進行係が連絡していたので、これは他の人の目にも入ったかもしれない。
そして先ずは外で挨拶を終えた歌手陣が戻って来て緞帳が開けられて、時間を繋いでくれて、そして最後にキリル・ペトレンコが戻って来た。100人程の人が手を叩き続けた終幕だった。そこで最後の最後に会釈して貰ったので価値があった。初日の時のように上階にいると会釈は難しい。最後まで通った甲斐もあったが、本人もいいフィナーレを迎えられたのではないか。
ビールを引っ掛けて、小一時間して車を出して間違ってPV会場の方に左折しようと思うと、劇場の方から歩道橋を歩いて来る人影に気が付いた。何やら派手なスポーツウェア―風で如何にも風呂上がりの感じだった。ヘッドライトに照らされるのは髭のついたキリル・ペトレンコの顔だった。髭を剃っている筈なのに髭が見えたのだった。
方向からすれば出演者の集まる打ち上げの会場に向かう、劇場関係者と挨拶を交わしてさっぱりしたところの前音楽監督だったに違いないが、まさかあそこまで遅く劇場に残っていたのだろうかと思った。少なくとも嘗てからそうやって一人で動く人だとは知っているが、不思議に感じたのだった。まるで夜の道路工事から帰る現場監督のような感じで、まさしく劇場の音楽監督のその最後に相応しいイメージだ。それとも幻覚だったのか?(続く)
参照:
昨今の世の流れの状況 2021-07-04 | 生活
ヘルマン・レヴィの墓の前で 2021-07-06 | マスメディア批評