Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

BACHへのその視座

2021-08-22 | 
フランクフルトのバッハ会員である。しかしこの十年間かでこれほどのバッハ解釈は経験した事がなかった。トリフォノフの「フーガの技法」がフランクフルトでは無くバーデンバーデンで演奏されたことが悔しい。バルセロナの隔し録音との様子とは異なって、休憩を挿んで第一部と二部に別けて演奏された。そして「フーガの技法」の後で立ち上がって拍手を受けた。
Daniil Trifonov - Bach Chaconne Left Hand - Die Kunst der Fuge - Jesus bleibet meine Freude - LIVE


前半の山は休憩前のコントラプンクトVIIがフランス舞曲に続いて演奏されたが、その主題と対主題における上声に浮かぶ全音が小節を亘って大きく歌う。こういう表現は聴いた覚えが無い。ロシアの音楽家らしくそのリズム取の巧さは分かるのだがこの場合は拡張されたリズムである。そこだけでももうこの人が何が出来て出来ないとか考えないでいい表現力だと感じた。こういう人が登竜門とはいえコンクールを受けていたのが不思議にさえ思える。

そこからの三声、十二度、十度、四声での反行が組み合わされ、最初の四曲の主題による変奏とは音楽的な意味が変わって来る。多くの聴者にとっては急に複雑になって集中力と理解の限界と感じ始めるところでもある。同時にこの楽器が指定されていない楽曲を演奏する者にとっては腕の見せ所で、バッハのそれまでの創作の多義性に立脚するところともなり、第一部を終える。

そもそもここでのコントラプンクト自体がバロックにおける技法の踏襲であって、その文献の原典にはオルガンにあった。そこがフランドル学派におけるルネッサンスの多声音楽における創作そのもののとは大きく異なるところである。勿論ロココを越えてベートーヴェン以降になればただの音楽ジャンルにしかならない。

この最晩年の未完で筆をおいた創作が、息子のカールフィリップエマニュエルが恰好を整えて銅板に総譜の形で売ろうとしたのにも拘らず買い手がつかず再び溶かされてしまったという逸話の通り、その時点において既に時代遅れの創作であったのだ。

しかし矢張りここでも感じるのはその楽曲解釈とその実践が中々伴わないということでしかないだろう。今回の場合は既に前半においても宇宙的な広がりを聴かせていたのであるが、後半のXII、XIIIとフィナーレに掛けて更なる重要な音楽的な素材を提出してくる。

そして圧巻なのはXVの四声にプレリュードの様に主題からそして拍手後演奏の「イエス、我が喜びであり賜う」がそこに先行してという構成である ― CD情報からするとトリフォノフ自身の編曲。それだけで感興は一気に高まるのだが、反行のフーガが挟まれ、バッハの三つの主題の絶筆へと繋がれる。大バッハが最後に行きついた世界は、アルファからオメガへの示唆を通して、愈々三位一体へと意識は進んでいく。するとそれがコントラプンクトというある意味非常に客観視を要される音楽技巧における視座へと導かれているのが分かるのである。

この曲とやはり同様にフリードリッヒ大王の旋律を編んだ「音楽の捧げもの」そして20世紀になってヴェーベルンが編曲をしてという大きな枠組みへと導かれるのだが、自らの使ったBACHの音名をもそこに別の視座が用意されることになる。ある意味とてもプロテスタンティズムに富んだテスタメントとしても良いものかもしれない。このリサイタル後、カトリック圏のザルツブルク、そしてプロテスタント圏のコペンハーゲンでも演奏される。もう一度アルテオパーでも演奏するように画策できないものか。

そしてこのリサイタルは、ヴァイオリンの為の二短調パルティータのシャコンヌに続けて始まった。それもブラームスによる左手の為の編曲だった。勿論そこでブラームスの眼を通したバッハ像が描かれているのだが、まさしくそれは同時に20世紀の眼を通したものであり、1991年生まれのトリフォノフにとっては正しく歴史的な視座であるに違いない。

このピアニストにとってもその技巧は、創作者のその内声であり思考である理念を如何に音化する為に存在しているのかというのが明らかなリサイタルであり、こうした充実はブレンデルのリサイタル以来初めてのことだった。会場も400人程度の割には十分に湧いた。恐らくまた来てくれるだろう。リサイタルで、または復活祭に。

CDが特別先行発売されていたら買ってしまう所だった。財布の中身を気にしていたのはそのような気もしたからであった。



参照:
もしもピアノが弾けたなら 2021-04-11 | 音
ミサ典礼文の表情 2021-08-16 | 音
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フランスに入国そして帰国

2021-08-22 | 歴史・時事
バーデンバーデンからの帰りはフランスを通った。手元に陰性証明書もあることに気がついた。止められても証明書もアリバイもある。ラインのダムの橋を渡る前に青ラムプ回転車両が中央に停車していたので何かと思ったが、理由は分からなかった。出国の検問はする必要が無いが注意書き等も気が付かなかった。

いつも通り走って、お買い物をしていたスーパーの光をやり過ごして、戻ってくると国境にシカネーンが丁寧に作ってあって、時速20㎞ほどに落とさなければ通れないようになっていた。更にその後にも停止させるスペースが作ってあった。

矢張り本気で検問しているのが確認できた。確かに我々が南フランスの危険地帯から戻って来たり、ミュールハウゼンの欧州空港へと危ない地域から戻って来て通るところだ。それらを一網打尽にしない事には水際作戦が無効になる。当然かもしれない。

個人的にはスイスから戻ってくるときに昼間にはそこを通るべきではないことが分かった。停止を命じられるだけで時間がより掛かる。但し帰りはカールツルーヘで工事渋滞の可能性があるのでそれも考慮しておかないと駄目だ。同時にスイス国境でも同じような検問をしているであろうことと、フランスよりは若干緩いことも想像できた。

ルツェルン行きの戦略としては、初日には宿に泊まるための有効な陰性証明を持っているので、その時の帰国時の国境の様子で、翌日も陰性証明を持っている方が有利なるのかどうかを試してみればいいと思う。24時間以内スイス入国は免除されるにしても、証明書一枚で済むならばそちらの方が無駄な時間が発生しないかも知れない。

バーデンバーデンでの抗原検査は前回とは異なって綿棒で鼻腔内を強く擦られた。それでもそれ程心配は要らなかったのは矢張り塩水通しなどのノウハウが出来上っているからだろうか。そもそも感染する機会は接種センターでの感染ぐらいで、陽性だったらとことん文句を言わなければと思う。

なによりも嬉しいのはバーデンバーデンの駐車料金が4ユーロと安くなったことで、プログラムも作っておらず、一枚のカラーコピーだけだったので、金要らず。コーヒーとエスプレッソにお菓子までついてで、ミュンヘンなどと比較すると格安。予定していたような休憩無しのぶっ続けでは無くて、20時から22時過ぎまでの公演だった。

マスクを手っ取り早く取れるのがお茶を飲んだりする時となるといそいそとバルコンに出て飲みたいのだ。室内にも場所はあったが誰もいなかった。やはり新鮮な空気が一番。酸素を十分に取っておかないと眠くなる。

そう言えば、場内アナウンスの二つ目が綺麗な使い慣れているフランス語になっていて、そのあと英語が続いていた。徐々に態勢が変わって来ているのを感じる。因みに並びにはフランスからの夫婦がいて、慣れないドイツ語で話しかけられた。

そしてこれからという時に席替えで動いて呉れとあったが、廊下に出ると、技術的問題は無くなったと、恐らく空調が動かなくなったのではないか。その後また空気の流れがそれ以前よりも強く感じられた。

もう一つ気が付いたのは駐車場の出口のところの大きな催し物案内に今年の春の復活祭の大きな宣伝写真が入っていた。キリル・ペトレンコの写真だった。幻の写真で、そのプログラムも出ていない。写そうかなと思ったが、11月に曲りなりにも再演にならない限り心苦しい思いが先に立つ。

抗原検査を受けるのも地元であと一回と、精々宿泊先でもう一回あるかどうか。もうそれで終わりだ。こんなアリバイ作りのようなものはもううんざりである。



参照:
イザ「フーガの技法」 2021-08-21 | 音
金を取れるということは 2021-07-06 | 女
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