Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

95%フィルターの意味

2021-05-02 | 雑感
先日バーデンバーデンの祝祭劇場でデジタルオペラが上演された。アイルランドとオッフェンブルクのミドルティーンが協力してネットで生で創作するという内容だった。準備期間は秋から続けられていて、教育プログラムとして財団の援助のもとで行われていた。

結果としては、そうした音楽劇場入門の制作としては成功していたと思う。指導者や音楽の専門家がプロジェクトを率いていて、当夜もロックダウンの中を舞台の上で下で分割モニターなどを前に指揮していた。
Diggin‘ Opera II – Things fall apart: Aftermovie


これだけの独自プロジェクトを出来るとは思っていなかった。音楽芸術的になんらかの意味は持たないかもしれないが、今迄のこの手の教育プロジェクトの積み重ねをそこに感じる事が出来た。将来的にも恐らく続いて行くものだから価値がある。何も無いところに出来上った祝祭劇場であり、そうした場所というものが意味をもつ。

日本の感染状況は興味深い。漸く変異株を持って欧州と同様な感染動向が伝えられるようになった。つまり麻疹ほどではないが、恐らく変異株によってそれと変わらないぐらい人が近づくことで感染する。今迄都合三回ほど感染していて、最初から飛沫を浴びるような感染は一度もしていない。だから日本ではまるで性感染症の様に扱われているのが不思議だった。

それならば今までの日本での感染はどうだったのだろうかと思うと、従来株においては少なくとも集団免疫が嘗てのサーズなどの波によって日本や極東には存在したというのが正しいと思う。今後韓国や特に台湾などにも注目したいが、恐らく変異株によってその免疫が破られるのではないかと思う。

換気の出来ていないところで長居するのも不特定多数と手の届くような範囲での接触も感染を広げるだけになる。兎に角、感染したくないと思えば、出歩く限りはウイルスをフィルターする本格的なマスクの着用しか方法が無い。先日変異株に感染したような様子だったので、その後はスーパーへもFFP2マスクをするようにした。もはやサージカルマスクをしている場合では無くなってきた。

勿論サージカルマスクでもしないよりはマシであるが、そもそもウイルスをフィルターしない。そのようなものを態々着けていても始まらない。KN95とかの数字は95%カットしてくれるという意味であるが、それでも隙間からは入ってくるので、空気の淀んでいるようなところに長居は危険である。そもそもフィルター効果が強ければ長くは着けていられない。適当なところで妥協する為に、そのフィルターの数値と空気の出入りのしやすさで規格が決まっている。



参照:
発注したFFP2髭マスク 2021-02-10 | 文化一般
未だ遅くないマスク選び 2021-02-06 | 生活


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五十人でも代えがたい

2021-05-01 | 
土曜日のメーデーだった。各地で行進が行われたかどうかは知らない。二度目のコロナメーデーなど考えてもいなかった。昨年のベルリンからの中継はロックダウン以降初めて演奏が中継されたような特別な機会だった。多くの特にイタリアでの犠牲などの事が皆の頭に浮かんだ。

今年はどうだろう。ベルリナーフィルハーモニカーはスペインには行けなかったが、昨年とは異なり大人数で密に座って演奏も出来るようになった。感染が収まった訳では無く、ノウハウが出来上ったからだけの事である。

そこで演奏される作品も状況も異なる。先ず何よりも異なるのは、ベルリンの本拠地で無観客で演奏したのは変わらないのだが、ホールから出てロビーを使って空間音楽を奏した。その空間には聴者が居たり人が集まって談話したりする社会が生じるところである。そこに音が響いた。

生中継では、画面を観て適当に流していたが、同時に中継された録音していたラディオ放送を聴いて、よりその音響的な効果とその文化芸術的な意味合いが明らかになり、その内容を吟味することになる。

昨年の様な喪失感も先の見えない途方に暮れる感じも無いのだが、脱コロナの工程表が明確に描き切れないという事では世界中の皆が同じようにトンネルの抜け口を求めて彷徨っている事には他ならない。

曲間に流されたツェッチマン支配人の言葉にも希望はありながらも日程的に明確な計画の出せないもどかしさが垣間見られた。本来ならば既に来シーズンの計画が出されているのだが、本年度のシーズン終わりまでどころか新シーズンのオープニングさえも定員などを含めて明らかに出来ない状況にある事には間違いない。

金曜日にバイロイトでは、夏のヴァークナー音楽祭の開催の方針が劇場管理者であるバイエルン州当局との話し合いで決定された。つまり、5月から新制作舞台などが準備されて6月から音楽的な練習が始まるという事である。その計画が進められる。しかし入場者数は全く決まっていない様で、最低の250人入場ならば許可という事もないようだ。

謂わば、150人でも開幕して、若しくは無観客でも中継するという事になりかねない。250人で上演となると赤字が嵩む。損失は埋め合わされるという事かもしれない。それも一回だけの公演でとなると、当然のことながら主催者の有限会社バイロイト音楽祭は昨年から言われている通りとすれば倒産するのだろう。連邦政府、バイエルン州、バイロイト市、ヴァークナー友の会が別け合っている会社であるが、折からの文化財である劇場のリフォームは連邦政府から税金が流れ、またヴァークナー家の私権の法的な再定義なども文化大臣から要求されていて、ここで大幅にそれらの構造が改造される可能性は高い。

兎に角、空調も何も無いようなところでの上演は、接種が七月中に殆ど終っていても、公衆衛生上の大きな問題となることは容易に想像できる。その一月前にはミュンヘンでオペルンフェストシュピーレが開催されることになっているが、モダーンな空調の設備の有無は甚だしく大きい。

金曜日には再開されたチューリッヒのマークのコンサートホールからの中継があった。僅か50人の聴衆乍ら、指揮したフルシャ本人が前夜放送のベルリンでのラディオで語っていたように、何万の世界中でのネット聴衆者も目の前の50人に代えがたいのは間違いなく、久しぶりに本格的なコンサート中継を愉しんだ。

聴衆が少ないだけにその「世紀の奇跡」と指揮者のヴェルサーメストが感嘆したその素晴らしい音響がマイクを伝わって届けられた。演奏したのはそこを仮の本拠とするトーンハレ管弦楽団である。何度かそこで素晴らしい演奏会を体験したものだから、国境さえなければ直ぐにでも訪問したいと思った。

前夜の放送にも負けずに素晴らしいスークなどのチェコのお国物のプログラムだった。管弦楽団も指揮者の弱みも分かるのだが、これはこれで素晴らしい演奏会だった。その点では指揮者に全面的に共感した。
Livestream: Jakub Hrůša & Tonhalle-Orchester Zürich




参照:
無料前座演奏会の光景 2019-08-28 | 音
玄人らしい嫌らしい人 2019-01-18 | 音
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