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日仏会館で、幕末のスイス人写真師の写真展

2017-04-02 16:58:50 | 日記・エッセイ・コラム

恵比寿の日仏会館でスイス人写真師のピエール・ロシエさんの写真展があった。

写真展と言っても当時の世相や記念写真だけです。

恵比寿には東京写真美術館もあって、よく行くところです。

幕末というと1860年あたりに、ピエールさんは来日している。

ちょうど、薩長連合が徳川幕府を責め立てている頃です。

武士社会の崩壊寸前に立ち会ったというわけですね。

幕末3Dとタイトルがついているのは、3Dすなわち立体写真撮影していたのです。

偏光レンズの眼鏡をかけなきゃ立体には見えませんが、こんな時代から3Dが考えられていたとはビックリでしょ。

写真の原理そのものがダゲレオタイプから湿式に変わっていく過渡期でした。

その当時から3Dを始めていたとは、人間の要求やベーシックな知識は現代と変わらないものなんですね。

長崎の入り江に外輪船の外国船と、日本の小舟の対比に当時の先進諸国と日本の国力差が見えます。

このころ、中国はアヘン戦争でイギリスに代表される列強にあっさり負けて租借権をとられた。

それを海のはずれから見ていた日本人たちは、こりゃ国内を至急に近代化させる必要があると感じたのでしょう。

中国が列強に負けたのは、、、おそらく最後の帝国の清の高官たちが腐敗していたからでしょう。

それは朝鮮も同じで、東アジアでは日本だけが時代を切り抜けて近代化に成功した。

イザベラバードの見立てでは、当時の国力というか経済力は清国が世界の中で突き抜けていたが、官僚の腐敗さが、国力を数分のいちにしていたと。日清戦争でも日本が勝てたのは、腐敗した官僚が軍事費をほとんど私腹に入れたからだと言っている。鉄砲の数はあっても形式がばらばらだったり、それに合う弾丸がなかったりてんでんばらばらだった。それじゃ文明開化したばかりで小さな国力しかなかった日本にも勝てません。それがイザベラバードが見た極東状態でした。

当時の維新を進めた清貧な若者達に感謝します!

日清戦争と日露戦争で身の程を見やまった日本は、結局元の木阿弥に戻った。それからの経済発達は、たたかれてそれからの発達は素晴らしかった。また現在の日本は素晴らしい発達に酔って、また身の程を見やまり、東芝のような事態に陥っている。

行ったり来たりですな~~~日本は!

幕末から明治維新になって10年後の日本に英国人のイザベラバードが来日して紀行文を書いています。イザベラバードはカメラマンではなかったが、大きな組み立てカメラを携えて日本の奥地を一人で旅をしていました。その後、中国と朝鮮を旅してその違いを書いています。英国人という第三者の目で見た東アジアの当時がよくわかります。この時代に興味がある方はぜひ読まれることをお勧めします。イザベラバードは女性でありながら、社会の深読み、経済状態の把握、対外的なこと多様性のある視線にびっくりします。

英国人のイザベラバードの日本紀行(上巻)1887年に来日

http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/9c4b8150096cccbbba33fbc2711c3c2e

イザベラバード日本紀行(下巻)

http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/119fb8e45d2c7563144f348f6c65d6bb

イザベラバードの中国奥地紀行1

http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/7c1d52aa204ccb6975824f020bdcc504

イザベラバードの中国奥地紀行2

http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/96ac13d80f8fb7067ac229984ae53ce1

イザベラバードの朝鮮紀行

http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/5f2f1b42636aa986b44cb7594e14d909



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