私の親の出身は、広島の高田郡向原町大字坂出口です。
私の本籍も25歳ぐらいまでそこだった。
聞いただけでも、どんな山奥かわかるほど。
村はずれのドンつきの山を超えたら隣の村、、、つまり山道になる。
60年ほど前、両親に連れられて、小学生の低学年の頃に行きました。
親戚一同が九州や東京から集まっていたのです。
祖父母がまだここで生活していた。
それから数年して、祖父母たちを私の親が東京へ呼んだ。
それで広島向原とは縁が切れたのです。
親戚一同が集まると、同い年ぐらいのベビーブーマー世代で、自然の中で遊び転げればすぐに仲良くなった。
よーーーく覚えています。
そのころの日本の自然、空きや水が恐ろしいほどにキレイだった。
星の輝きがすごくて、すぐそこにあるように見えた。
満天の星とは、そういうことを言うのだろう。
残念ながら、その後は世界のどこに行っても、その時の広島の山中の星空にはかなわない。
昔ながらの切符です。
広島から芸備線の途中の駅まではスイカが使えるけど、、、向原はいまだにこんな切符です。
青春18切符どころじゃないです~~~私らだったらジジ介護切符になってしまう。
むろん芸備線は単線で電化されていなかった。
オヤジに連れられて来た頃は、蒸気機関車で客車2~3両連結だった。
客車の後ろに無蓋車が連結されていたと記憶している。
貨客連結列車だった。
今日は、広島の向原に行く予定など無かったのだが、、、。
本当は宮島の鳥居の潮位がマイナス16cmにもなるので、砂浜に立つ宮島を見たいと思って来たのだ。
早朝の天気を見て、薄曇りでもやっていたので、朝いちで宮島行を止めて広島観光でもしようと思ったが、広島まで来たんだから「我が家族のルーツ」を見に行くチャンスじゃないかと、ふと思いついた。
向原は遠かった!
広島で飛び乗った芸備線は途中までしか行かなかった。
しかも、その先はスイカが使えないと、、、。
ずっと手前で列車を待つ羽目になった。
どんどん山が狭まってきて、、、うーーーん、こんな感じだったなー。
向原に着くと3人ぐらい下りた。
たしか、30年前には駅舎の中にパン屋のアンデルセンが入っていたはず。
お腹が空いてきたので、、、。
アンデルセンが見当たらないので人に聞いたら、、、すごく昔に撤退したと、、、。
がっかりして帰ろうかなと思ったが、駅前にタクシーが1台停まっていたので聞いてみた。
「坂出口は知っているか?」
「そりゃしっとるじゃけん」
「うちの跡地を見にいけんかのー、ちょっくら往復してくれないか」
「あーいいよ」
「いくらぐらいだい」
「2500円もしないだろ」
というわけで、家の跡地を見に行くことにした。
ルーツを訪ねて1000km
これは芸備線から見えた風景でさらにさらに山の中。
色々運転手さんと話していたら、、、なんと我が苗字を知っていた。
オヤジのことを知っていたのだ。
向原では有名人だったのだな、オヤジは、、、。
オヤジの口癖は、、、「おれは向原の神童」って言っていたからな。
話が弾んで、そういえばフジ〇〇さんはなんやら、などと言い出すもので、、、そのフジ〇〇さんは今でもよく存じ上げていますよとーーー。
共通の知人の名前が出てきてびっくりだった。
オヤジの事務所で働いていて、弁護士の国家資格を取ったのだから、、、。
弁護士になりたくて、最初に入った大学をやめて、他大学に入りなおして、同郷の親父を頼ってでてきて弁護士を目指した。
タクシーの運転手さんは、さすがに詳しくて、2度間違えただけで、ぴったりと我が家の跡地に立てました。
「本家」さんという家だが、、、人影がなかった。
洗濯ものはあるが気配がない。
犬屋敷のようになっていた、、、心が痛むなー。
このあたりでは苗字を呼ぶことはなく、屋号を読んでいると言っていた。
だから「本家」が苗字なのか、タダの呼び名なのかわからない。
本家(ホンケ)、新屋(アタラシャ)、我家の順にあった。
我家がどん詰まりだったのだ。
だから苗字と思っていたのは屋号みたいな気がしないではない。
こんな山奥のどん詰まりが嫌で、祖父とオヤジは何としてこの生活から逃げ出したかっと聞いていた。
我家も新屋の家屋の影も形もありません。
そう言えば、ずっと手前には「出口」という家があって、さらに手前に「与作坊」とか言っていたな、、、。歌舞伎の役者の名前みたいだ。
やっぱり屋号なのかもしれない。
母に聞いても私の家は何と呼ばれていたか知らないという。新参者で山の最奥に追いやられて暮らしていたのだろう。そりゃ祖父や親父は現状から逃げ出したかっただろう。それで親父は勉強して東京に出てきて、ひと旗揚げたのだな、、、。
この石組みが家のあとなのか、田畑のあとなのか定かじゃないが、間違いなくこの地です。
存在していたのが幻のように自然に帰っていく、ひとの夢あと、、、!
こっちがドン付きだから、ここに我家があった可能性が高い。
石で整地されている。
たぶん畑じゃなく、家屋のあと。
小川がすぐそばを流れていて、子供のころ水遊びしたものです。
水が本当にきれいで、小魚がそれこそ無数なぐらいに泳いでいた。
ヘビも多くて、きっと水辺のカエルなど狙っていたのだろう。
子供の頃はヘビと一緒に水浴びしたものです。
と思っていたら、、、2mにもならんとする、、、巨大な青大将に出くわしました。
まさかーーーですよ。
君はここの主なんだねーーー。
そう言えば、昔の農家の屋根裏には1匹ずつ家の主と言われる青大将がすんでいた!
もしかして、君は我が家の主だったのか、、、君はーーー?
頭は写真の真ん中あたり、お墓を見ていたらふと脇にいらしたのでビックリ。
もしかして、来ることを知っていて待っていてくれたのか、、、君は?
私の足元から50cmぐらいの近距離だったし、、、。
これがマムシだったら、鎌首をもたげて攻撃してきただろう。
跡地なので草ぼうぼうなところが危険なんです。
我家の跡地探索をしていた間、タクシーに待ってもらったので、運賃は4000円ぐらいに跳ね上がってしまった。
だけど、家族ルーツ跡地を見れて、知り合いを知っている方がいて、それにオヤジのことを覚えていてくれて嬉しかった。
パン屋さんのアンデルセンが向原から撤退したのは残念だな!
アンデルセンが広島で始めたときは高木ベーカリーと言っていた。
もう2度と行くことはないだろう、、、我家のルーツ探しだった。
2010年5月 家の記憶
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2015年6月 青山アンデルセン
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