南米のアンデス山脈に沿って、13000kmのアマゾンラリーに参加したことがあった。
カリブ海のコロンビアから、エクアドル、ペルー、チリ、アルゼンチンまでの長いラリーだった。
コロンビアからエクアドルは、アンデスの4000mを越える山中を、ペルーやチリの太平洋の海岸線、ペルーの砂漠を走り、南米一の標高を誇るアコンカグアのすぐ近くでアンデスを越えた。
あついペルーの砂漠から、南下したチリのアンデス越えは吹雪になっていた。
地形や風土が変わるのと同時に、国々の政治形態の違い、社会情勢の違い、民族の違いをロードムービーのように肌身で感じた1ヶ月だった。
コロンビアの500ペソ
200ペソ
ずいぶん半端な単位があります。
貨幣価値がえらく低いので、両替すると5cmぐらいの束になり、輪ゴムで止めて持ち運びます。
財布などには入らない。
1週間で貨幣価値が変わることは、南米ではよくあること。
米ドルを交換する時は小額で細かくするのがいい。
大金を原地貨幣に交換すると、物価がそもそも安いので、南米貨幣を米ドルに戻せななくて持て余します。
原地貨幣は使い切らなきゃいけないのだ。
コロンビアはその当時は政情が極めて不安定だった。
2つの麻薬マフィア(メデジン・カルテルとカリ・カルテル)がしのぎを削っていて、暗がりには近ずかないほうがいい。
当たり前のように、売人やマフィアの手下が街にあふれていた。
その時の政権はマフィア撲滅などと表ではいうけど、裏ではしっかりつながっていた。
しかも、左翼ゲリラ・コロンビア 革命軍(FARC、赤色革命軍)が、地方の街の広場で赤い大きな旗を振って街頭でアジ演説をしていた。
これらも危険極まりない存在で、持っている武器は軍なのでマフィア以上です。
そんなゲリラは白人や日本人などは誘拐の対象なので、恐る恐る目立たないようにのぞきに行ったものです。捕まったら身代金ものでしょーーー。
ペルーの日本大使館だって占拠されたしねー。
私の若い時は鉄砲玉の命知らずだった、、、。
ラリーはそんな革命軍が支配している土地を通っていくので、ラリーのオーガナイザーが土地のボス(大抵がマフィア)や、革命軍と話をつけてくれたと聞いている。それでも、下部組織の跳ねっ返りは何をするかわからない。
綱渡りのような危機管理だったんじゃないかなー。
そんな土地に入ったら、おとなしく安全な野営地にいれば良いものを、夜の闇に紛れて村の中心までトコトコ歩いて行って、赤色革命軍のアジ演説をひとりで聞いていた。
写真は撮ったがもうどこかにいってしまった。
日本人で真っ黒に日焼けしていたので、現地人と見分けがつかなかったと思うのだ。
インデォですからねー日本人は。
首都ボコダは大きな街でクラッシックなヨーロッパと思えば間違いない。標高が高くて天候の変化が大きく、飛行機泣かせだと聞いた。
ヨーロッパから新ものを全部取り去ったら南米の街になる。
カリブ海に面したカルタヘナは植民地時代の遺産が残っていて、ノスタルジーがある美しい街です。
半島の先には高級住宅地があって、危険いっぱいの下町とは住んでいる人種が違う。
コロンビアのカルタヘナには10日間ほど滞在していた。
ラリーが始まる10日前に原地入りしたからだ。
どんなことがあるかわからないでしょ。
先進国だったらギリギリに行ってもダイジョーブですが、、、。
案の定、ラリーの参加者が払い込んだ参加費、、、500万円から1000万円と安くないのですが、全部無くなっていた。ラリーの開催にあたって、自動車メーカーから大会運営用に10数台提供されていたが、なんと、、、ラリー運営者がお金を持ち逃げするは、提供された車(新車)を売っぱらっちゃうとか、さすが南米とコロンビア到着するなり、感心することばかりだった。
そんなことを感心するな、というほうが日本的で、世界ではどんなことが起きるかわからない、とおおらかに構えているしかないのがいい。
まーーー私も驚いたけど、すぐさま次善の策を考えました。
だって、雑誌社数社と契約してきたからには、何としてもラリーを開催してもらって記事を作らなきゃいけないでしょ。
着いた翌日から、参加者が集まって主催者を誰がやるか、金の工面をどうするか、参加者と通過する5カ国の人たちと、連日ミーティングだった。
私はそんなに言葉(スペイン語か英語、フランス語)がわからなかったが、とりあえず参加していた。
ラリーは暇とお金が有り余っている人がやるものです。
それで、参加者の皆さんが一人1000万円づつ寄付をして、主催者はベネゼエラの方に決め、数日遅れたが開催する運びになった。
知っている米国人は、全米で5本の指に入る富豪と聞きました。
そんな方と丁々発止できるなんて、面白い場です。
プレスの車は、、、自動車メーカーが提供してくれるはずだったが、それを前の主催者が持ち逃げしてしまっていた。
つまりプレスが乗る車がなくなったのだ。
それじゃ、ラリーが開催されても13000kmも追いかけられないじゃないかーーー。
アマゾンラリーは、結局5カ国の自動車連盟、日本ではJAFに相当する団体が、通過する各国の連携プレーで主催することになった。サポートは5カ国の軍隊ということに、、、。
なにしろ、南米は物騒なところですからねー。
それから私が何をやったかというと、、、ラリーに出走するチームを一つ一つ回って、メカニックでもなんでもやりますから乗せてくれと、、、頼んで回りました。
すると、ラリー参加者のサポートチームの一つが、私をメカニックとして働いてくれたら乗せて行ってやると言ってくれた。
無論、英語テストやメカニックテストを受けました。
日本人で、メカに強いものだったら、南米の本職メカニックよりも、、、できるんじゃないかなーーーー。
そんなわけで、6輪駆動の化け物のようなトラックに乗ることができた。
サポートチームも、ラリー参加者と同じ扱いで、マシンをチューンアップしていたのだ。
数チームのサポートをやっていて、パーツを満載していて、同時に同じぐらいのスピードが必要なので、500馬力を軽く超えた、中型モンスタートラックだった。
面白いことは山ほどあった。
アンデス山脈を何度も東西に行ったり来たりして南下して行ったが、4000mの峠にはたいてい祠があってマリア様の像が安置してあった。
ラリーのサポートチームは、むくつけき無頼漢のようなごっつい男達ですが、峠のマリア様の像に膝をついてお祈りするのを見たら、、、思わず笑ってしまうでしょ。
あんな悪人が、、、マリア様なんて、、、何を祈っているのか?
日本人の無神教に比べると、悪者でも敬虔なクリスチャンなんだもの。
マンマミアーの世界なのだ。
ロードムービーのようで、おそらく危険はいっぱいあったのだろうが、痛快な旅(レースですが)だった。
エクアドル編
http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/be9ab08fb638ec803182b0eb6b7a9a08
チリ編
http://blog.goo.ne.jp/photostudioon/e/39c8302eabcb687598c84812b7b46469